2011年9月のドレスデン&グラスヒュッテ訪問シリーズの最終章。 グラスヒュッテ時計博物館、である。正式名称は表題の通り。 結論から言って、この博物館とGeneveの『Patek Philippe Museum』、 そしてラ・ショード・フォンの『国際時計博物館』が新・世界3大時計博物館、と断言する。 一見の価値は十二分にある。 ここは『時計オヤジ』にとって、この10年来における『時計聖地巡礼の最終訪問地』、かも知れない・・・。 (2012/4/1) 424400 |
(グラスヒュッテの『新名所』となった、ドイツ時計博物館〜) ランゲ本社工房を後にして、散策がてらグラスヒュッテ市内を歩く。何処の街並みでも同じであるが、自分で歩いて見て回ることが一番楽しい。徒歩スピードで、肌感覚で感じとる異国での街並みや景色は時に思わぬ発見ももらたしてくれよう。 2008年5月22日、このドイツ時計博物館(以下、時計博物館) が除幕式を迎えた。そのオープンの様子や博物館の建築過程はGurashutte Originalの宣伝DVD”Handmade In Germany”に6分50秒の長さで紹介されているので是非、そちらの視聴をお薦めする。 今回はランゲ&ゾーネのご好意で、博物館よりガイド(英語)を付けて頂き、限られた時間の中で効率的に見学することが出来た。しかし、個人的には最低でも約2〜3時間はジックリと自分なりの時間配分で見学したい。その手応えは、グラスヒュッテ時計産業の興亡から再興の歴史を含めて十分に堪能できる夢の空間であった。 (⇒右写真) 現代に生きる我々はいつでもどこでも正確な時間をいとも簡単に知ることが出来るが、その昔は太陽の位置を把握することから始まった。写真は望遠鏡の原型とも言われる子午儀、Transit Instrumentである。子午儀とは東西の軸の上にのせられた望遠鏡のことで、天体が子午線を横切る時刻を測定するのに使われた。Transit Telescopeとも呼ばれる。因みに、右写真の床に白い線が見えるがこれが子午線。 (2階にある受付横スペースに鎮座する威風堂々とした大型時計の正体とは〜) 2階への玄関を入ると、真正面に鎮座するのがこの荘厳なる『超コンプリ天文グランドファーザー時計』である。 ヘルマン・ゲルツ(Hermann Gpertz 1862-1944)による製作であり、1756個の部品から構成され、完成までに30年以上を費やしたという大作中の大作。この博物館の『花形』である。当初、ゲルツはこのようなコンプリ時計を作る予定ではなかったが、アルフレッド・ヘルウィグ(後述)を中心とした周囲の友人知人から様々な助言を受けて、年月を重ねるうちにコンプリ度合いをドンドン広げていったという。 その結果、文字盤上には年月日のアニュアルカレンダー、そして日の出、日の入り、月齢表示を備えている。現在、この時計は製作当時の動きを正確に保っており、2799年までの表示がプログラムされているそうである。 納まる木製ケースはマホガニー製で、ゲルツのデザイン・設計に基づいて上級職人であったブルーノ・レイチェル(Bruno Reichel)がグラスヒュッテの木製家具工房で製作した。 兎に角、美しい。荘厳・・・。 (”Alfred Helwig”生誕125周年特別展示展を拝見〜) 今回は誠に幸運であった。 丁度、7月6日から10月31日まで開催中のアルフレッド・ヘルウィグ(Alfred Helwig 1886-1974、以下Helwig)生誕125周年の記念特別展示が開催されていたのである。 ドレスデンの宮廷時計技師として活躍したJ.C.Friedrich Gutkas(1785-1845)を筆頭に、Ferdinand Adolph Lange(1815-1875)から始まるグラスヒュッテ黄金期の偉大なるWatch-master達が存在する訳だが、中でもHelwigはフライング・トゥールビヨン(=キャッリジを保持するブリッジを持たない渦巻き構造)の発明者として有名であるが、一方、グラスヒュッテ時計学校の生徒であり、後に同じ学校の教壇に立つ先生として多くの若き後輩を指導・育成したことでも広く市民から敬愛の念を抱かれている。 グラスヒュッテ時計学校、正確には、The German School of Watchmaking Glashutte、は1878年5月1日に創立された。創設者はかのモーリス・グロスマン(Moritz Grosmann)である。そして1881年5月15日に新校舎が開設。以来、グラスヒュッテの時計史の基礎を刻み始めるのである。1945年当時には学生の1/3が海外からの留学生であったという、国際的にも有名な時計師育成専門学校だったのだ。そうしてグラスヒュッテ時計学校を卒業した生徒は自国に戻り、そこでまたもやグラスヒュッテの名前を広めることになり、一方で地元に残る卒業生達はグラスヒュッテの冠名の会社やブランドを新規に立ち上げるなどして、グラスヒュッテの名前は全世界に普及することになったのである。 Helwigの足跡と実物の時計作品、自筆の記録書をこうして間近に見れるのは、えも言えぬ感激と感動で溢れる瞬間。 至福の時間が流れてゆく・・・。 (F.A.Langeによる掛け時計実物!は未だに輝きを失っていない〜) 2階の最初の部屋では、初期のドレスデンとグラスヒュッテの足跡を振り返る。 そこに最初に展示されているのが下写真(↓)にあるA.F.ランゲ製作による掛け時計。中2針式であるが、この文字盤は現在のランゲ腕時計にも引き継がれる古典的なデザインではあるまいか。”Adolf Lange”というシンプルなロゴも素晴らしい。このロゴ書体とデザインをそのまま、現行ランゲ腕時計で復刻させたら更に素晴らしいだろう。 この時代の掛け時計やグランドファーザー式には、レギュレーター式が多いのだが、こうしてみる中2針式というのも中々どうして、見る者を惹き付けて止まない。『時計オヤジ』はここだけでも5分は釘付けとなった。。。 こうしてみる傑作品は、最早、美術品や中世後期の絵画と同等レベル。 本当に観ていて飽きない世界だ・・・。 (⇒右写真: Ludwigが使った革製トランクも展示されている〜) Ludwig Strasser(1853-1917)は時計学校で教授も勤めた。 この革製トランクに自分の旅支度はもちろんのこと、様々な工具やらを詰め込んで、欧州中を旅したのだ。彼は自ら”Strasser & Rohde”という時計工房も設立し、時にはグラスヒュッテ時計学校の校長兼指導員として、時には数多くの国際的な機関や団体の代表者として海外を飛び回った。その時にはいつも愛用の、この茶色のトランクが一緒であったそうだ。 一体、どこのブランドであろうか。 デザイン的にはドクター(ダレス)バックを大きくしたようで、上面には木製バーが『がま口』のようなデザインで大きな開口部を保っている。出し入れが非常に便利なデザインである。 (ドイツ時計学校時代の展示品の数々〜) 下写真の右側はフライング・トゥールビヨンの脱進機模型。Alfred Helwigによる1827年の作品である。 Helwigは1905年にグラスヒュッテ時計学校を卒業した。最後の卒業試験の彼の課題は、『女性用の懐中時計』。彼の母親Pauline Helwigに捧げたというから泣かせる。卒業後、時計職人としての実地経験を積み、1913年には技術指導員としてグラスヒュッテ時計学校に返り咲いている。彼の指導者として、そして研究者としての最大の足跡がフライング・トゥールビヨンの発明であろう。当時の時計では、Helwigのフライング・トゥールビヨン上回る精度の時計も脱進機も無かったのである。Helwigの指導・監督の下で20人の徒弟達が1920-1935年までの間にそうした高精度フライング・トゥールビヨンの傑作品を世に排出している。 その他にも多くのWatchmasterや生徒による貴重な作品やら工具類等が並ぶ。 グラスヒュッテ黄金時代の一幕を垣間見ることが出来るコーナーだろう。 (第2次大戦以降の暗黒の統合時代〜) 大戦後、グラスヒュッテは共産国家の東ドイツ傘下に入った。1951年7月1日、ランゲを含むグラスヒュッテにある6社が国営企業に統合された。それがGUB(=VEB Glashutte Uhrenbetriebe)である。1990年の東西ドイツ統合によって、Glashutte Uhrenbetriebe GmbHが存続会社(=私企業、現Glashutte Original)となった訳であるが、1990年までのGUBによる腕時計の数々がココでは展示されている。 ↓)下写真: GUB時代の腕時計の数々。高級品というよりも、国民的な普及品を念頭に置いた商品展開となっている。Cal.64(クロノグラフ用)、Cal.67.1、Cal.69.1等の名作キャリバーも存在するが、かつてのランゲのような美しさは微塵もなく、質実剛健とも言うべきシンプルで薄型、コストと整備性と耐久性に主眼が置かれた腕時計の数々である。当時のデザインは現在のGlashutte Originalの中心的なモチーフでもある。 (↓下写真)そして、現代。 現存する主要な在グラスヒュッテの時計会社の展示コーナーである。 この博物館は入札の結果、Glashutte Originalの母体であるSwatch Groupが落札し、建設・運営を行っているが、発注主はグラスヒュッテ市であり、その目的は博物館の名前の通り、ドイツ時計の歴史を回顧し、未来を見つめることにある。 グラスヒュッテは、間違いなく、現在ドイツのウォッチヴァレー(時計の谷)であり、新規参入者も積極的に迎え入れている。 エルベ川支流が流れ、オーレ山地の盆地にあるグラスヒュッテは今後ともドイツ時計聖地として、その発展を深化させて行くであろうことは疑いようが無い。 |
(最後に出口への廊下を歩いてゆくと、そこには・・・) 重厚な展示品の数々を満喫して、最後に登場するのがワークショップである。このコンセプトはラ・ショード・フォンにある国際時計博物館と同じコンセプトだ。 ここでは、歴代の懐中時計、腕時計、マリーンクロノメーター、そしてペンダロン(振り子)式時計の修繕・修復に当たっている、担当するのは経営母体であるGlashutte Originalの技術者である。 大きく開放的な工房での修繕光景を真正面から見て眺めることが出来る。こちら側、観客側としてはこの上ないサービスであるが、ここまで真正面から凝視されると、技術者達にとっては邪魔ではなかろうか、などと大きなお世話をしてしまう。 * * * おわりに。 冒頭でも述べたが、このグラスヒュッテ時計博物館の内容は圧巻である。 展示総数は400以上、1000平米の広さを誇る。 世界の時計博物館の新御三家として、PATEK博物館、ラ・ショード・フォン国際時計博物館に並ぶ至宝の博物館と言っても過言ではない。ザクセン時計産業の過去から現在への道程をこれほど見事に表現している場所は勿論、唯一無二。しかし、グラスヒュッテは遠くて、辺鄙な場所である。時計産業以外に観光の目玉は存在しない。そして、グラスヒュッテには宿泊場所も殆どなく、公共交通手段もローカル電車のみであり極めて不便。訪問するとなればドレスデンからの日帰りが現実的ではあるが、『時計オヤジ』が今回で3度目のグラスヒュッテ訪問であるように、何度訪問しても時計好きにはたまらない『ドイツ時計聖地』であるのだ。 振り返れば筆者もこの10年間で色々な博物館やら時計工房を訪問してきた。振り出しは2002年12月のGeneveへの『時計巡礼の旅』であった。その場所場所で素晴らしい発見と人々との触れ合いを思い出に刻んで来たのであるが、そうした時計遍歴、時計聖地訪問の旅シリーズも、今回のグラスヒュッテ時計博物館訪問で略、成就出来たのではあるまいか・・・。 そんな、感慨にも似た深い感動を独り、静かに感じている。我が時計聖地巡礼の機会に恵まれたことを、そして多くの人々との触れ合いと協力に対して、ただただ感謝あるのみ。(2012/4/01) 424400 |
2011年8-9月、ドイツ・北欧・バルト海旅行関連ページ: ⇒『コペンハーゲンで欧州最古の天文台に登る』はこちら。 ⇒『U995/U-Boat搭乗記@ドイツLaboe』はこちら。 ⇒『エストニアの首都タリン散策記』はこちら。 ⇒『マイセン磁器工場訪問記』はこちら。 ⇒『2011年9月、ドレスデン再訪記』はこちら。 ⇒『2011年9月、ドレスデン市内で観た気になる時計達』はこちら。 ⇒『2011年9月、7年ぶりに訪問した新旧グラスヒュッテ市街の比較』はこちら。 ⇒『Wempe天文台に見るドイツ・クロノメーター規格の将来』はこちら。 ⇒『A.ランゲ&ゾーネ本社工房訪問記』はこちら。 ⇒『ドイツ時計博物館グラスヒュッテ訪問記』はこちら。 以前の『ドイツ時計世界の関連ページ』はこちら: 『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。数学・物理学サロン探訪記』はこちら。(2004年9月訪問記) 『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。ゼンパーオーパーとBIG-DATE機構の因縁』はこちら。 『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。ラング&ハイネ工房訪問記』はこちら。 『現代のドイツ時計聖地、グラスヒュッテ散策記〜NOMOS突撃訪問記』はこちら。(2004年9月訪問記) 『グラスヒュッテ・オリジナル本社工場訪問記』(Part-1)はこちら。(2004年9月訪問記) 『グラスヒュッテ・オリジナル本社工場訪問記』(Part-2)はこちら。(2004年9月訪問記) 『ドーンブリュート&ゾーン REF.CAL.99.1 DR(2)ST.F 』はこちら。 『おかえり、ドーンブリュート!』はこちら。 『2004年7月、エリー・スタグマイヤー・シュトラッセ12番地〜クロノスイス訪問記』はこちら。 『2004年7月、ミュンヘンのサトラーにクラフツマンシップの真髄を見た』はこちら。 『2002年9月、ドイツ時計蚤の市訪問記』はこちら。 『2004年7月、最新ミュンヘン時計事情』はこちら。 『2006年3月某日、デュッセルドルフ散策』はこちら。 『SINN 356 FLIEGER』はこちら。 『世界初のIWC直営BOUTIQUEをドバイに訪ねる』はこちら。 『IWCの故郷、シャフハウゼン散策記』はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
※掲載の写真・文章等の全てのコンテンツの無断転載・無断複写は厳禁です。 ※特に金銭絡みのオークション説明等へのリンク貼りは固くお断りします。 |