時計に関する随筆シリーズ (52)

『Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼記』 (最終章)

ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond国際時計博物館、再訪記』
〜2006年1月。旅の終わりに〜





チューリヒ・クローテン国際空港。
時計渓谷ことジュラ渓谷の時計聖地巡礼の旅の終わりはチューリヒだ。
ベルンから空港駅行きの電車の中で、これが理想の時計の買い方の一つだろうなぁ、と独り旅の余韻に浸る。
時計聖地巡礼とは余りに奥が深くも楽しい、知れば知るほど新たなる思いが深まる旅であった・・・。



(国際時計博物館の隣には、地元の近代美術館が〜)


2002年12月以来、2回目、丸3年ぶりの再訪は2006年1月中旬の午後。
標高1000mにあるこの街の冷え切った空気は実にうまい。
運良く天気も晴天となり、道路に積もった積雪も乱反射で眩しく輝く。

←左写真: 手前右端の赤い柱がある建物が、MUSEE DES BEAUX-ARTS。ラ・ショード・フォンの近代美術館。時計博物館はその先30m程にある。時計博物館ばかりに気を取られ、意外と見過ごされがちだが、モダンアートの世界も一興である。道の反対側、写真の手前左側コーナーには時計店があるが???という印象の店だ。



時計産業のメッカである以外に、建築家のル・コルビュジェ(=ペンネーム)の出身地としても有名なのがここ、ラ・ショード・フォン。近代建築4大巨匠の一人と言われ、この街に実際の建築物が存在する。こちらの分野に詳しい方には別の意味でも聖地かも知れない。
生憎、今回は時間が無い。時計メゾン訪問も予定には無い。出来れば古い街並みを散策したり、老舗GPやら隣町ル・ロックル、フルーリエまで足を延ばしてみたいのだが、またいつの日にか、、、






(国際時計博物館”MUSEE INTERNATIONAL D'HOLOGERIE”は必見。
 但し、見学に最低でも2〜3時間は欲しいところ〜)


筆者が繰り返し主張する、世界3大時計博物館の大番頭格。
時計好きであれば、この博物館こそ時計聖地の筆頭に数えるべきだ。因みに、残りの2つとはロンドンの『大英博物館・欧州展示スペース44号室』とジュネーヴの『パテック・フィリップ博物館』だ。

⇒右写真: 最早、説明は不要。約3,000点の展示は時計、工作機器、絵画等、『時と時計の歴史』についての世界最大の博物館だ。時間の概念は人類が作った一大発明。博物館入口にある『人類と時間』(L'HOMME ET LE TEMPS)という言葉は実に含蓄ある台詞である。


前回は2階建てのフロアを興奮して舐めるように見学した。
それでも時間は尽きない。出来れば事前に目的意識、見学のテーマを自分なりに掲げて行くことが望ましい。因みに『時計オヤジ』の興味と関心は『時計デザイン変遷と伝動効率』。

腕時計の最大の愉悦はその外観、ケース形状と文字盤のデザインを愛でること。そしてムーヴメントの機械エネルギーを如何にロス無く伝動させるか、その為の開発が全てであると感じている。精度もダブルバレルもロングパワーリザーブも、クロノグラフも年次カンレンダーも全ては伝動効率の延長線上にある。博物館の展示品から何が分かるか、自分にそれを読み取る眼力があるか堂かは別にしても好きなテーマを持つと独自の切り口が出来て楽しい。勿論、その場の『雰囲気に飲まれること』もこれまた大いに楽しい。。。





←左写真: 
こうした展示品の修復実演風景も運良ければ見学できる。
生憎、この日は丁度作業終了直後で清掃の時間であった。
若い女性の技師も混じり、ここでの活動に勤しむ姿はとても新鮮、
かつ次世代への活力を感じさせてくれる。

















(←左写真: 1960年、当時の耐水圧記録を樹立したROLEX〜)

マニアにはたまらないこうした時計もある。
このROLEXは1960年に潜水艦バチスカーフBathyscapheが10,908mの潜水記録を打ち立てた時に深海の世界へお供した時計だ。時計と言うより、ムーヴを鉄の箱に入れた、時計形状の計時機器、と言う方が相応しい。
手で書いたような特別に大きなROLEXの書体がユニーク。
この特厚の風防、特大のリューズと言い、本物ゆえの迫力はタダモノではない。











(←左写真: 1900年製作のワールドタイム式懐中時計〜)

写真では見難いが、中央部分は小プレートとなって回転する方式である。
時針や分針は無い。外周部分にあたる下側のプレート(文字盤)には各地域の都市名が詳細に記述されている。

一瞬にして判読できる機能性は低い。実際には各国時間を読み取るまでには1分?はかかるのではあるまいか。それでも機能性以上に素晴らしいのがそのデザインだ。中央の回転プレートの白黒の色分けは実に斬新。時計のデザインは20世紀の100年の間におおよそ出尽くした感がある。

現在の時計デザインは過去のデザインを壊して、伝統の枠組みから敢えて逸脱するモデルも少なくない。そんな時計も一時的には売れるかも知れないが、筆者の嗜好にはそぐわない。奇を衒わず、常に王道で攻める。王道デザインの中にもスパイスとその時代の持つ洗練さを加える。この懐中はまさに、1900年当時にそうした理念を実践したデザインのように映る。100年後に見ても新鮮さ、ユニークさは微塵も薄れていない。これが『デザイン』の見本と言えよう。因みに、白黒2色のこうした文字盤はパテック博物館の懐中コーナーにも数点、展示されている。
文字盤をハート型にくり貫いたり、奇抜さと独創性を混同している現代の某メゾンにも是非見習って欲しい好例である。




(F.P.ジュルヌを彷彿とさせるレゾナンス式懐中時計〜)

レゾナンスResonance。共鳴⇒共振⇒同調。
この不思議な自然現象を時計に持ち込んだのがダブル脱進機搭載のレゾナンスと呼ばれる機構だ。実際の同調による精度評価についての論評は読んだことが無いので何とも分からぬが、筆者にとってはトゥールビヨンに勝るとも劣らぬ魅力がある。

←左写真:
1931年、ル・サンティエで製作された懐中時計。脱進機の形状が特徴的。
メーカー名はEcole d'horlogerie, Vallee de Joux Le Santier とある。








⇒右写真:こちらは1933年製懐中時計。
  同じくル・サンティエで製作。
  チラネジ式テンワ、スワンネック付き脱進機2個というのは官能的過ぎる。


このツイン脱進機を初めて腕時計に搭載したのがF.P.ジュルヌだ。2000年のこと。
かの御大G.ダニエルズ博士も懐中でレゾナンスを作成していたはず。
ジュルヌの原点がこのレゾナンス(確か、フランスの掛時計であった)にあると、某誌のインタビューで読んだ記憶がある(⇒注1参照)。理論派ジュルヌの指摘ゆえ、確たる裏付があると思うが、どこかの雑誌特集でレゾナンスの精度を検証して欲しい。合わせてトゥールビヨンについても比較検証して頂きたいが、多分、結果はとんでもない事になるのだろうなぁ。精度は時計の命のはずだが、どうやらそうした検証は時計業界ではタブーのように見受けられる。トゥールビヨンとは200年前の懐中時計時代における精度追求の手段であり、現代では時計技術における最高峰としてのオマージュである。一方、精度面に焦点を当てると現代においては最早、平テンプだけでも可也の精度は出せるはず。そこに敢えてトゥールビヨンを持って来る事は、懐中時代から腕時計へとダウンサイジングの挑戦、製作そのもののプレステージ性、技術と技量を誇るメルクマールに他ならないと考える。買手側にはそれを手にすることで、自己の財力を誇示する意味もあるだろう。筆者にとってトゥールビヨンの最大の魅力とは、斯くも不思議な『回転機械運動』をただただ感嘆しつつ眺めること。いわば高価なオモチャの世界。しかし、時計の基本はやはり精度にある。時計メディアはトゥールビヨンのこの課題に潔く挑戦すべきではなかろうか。その上でトゥービヨンを再考すべきだ。誰しもが精度について沈黙を守るのが解せない。

注1)『世界の腕時計』Vol.62、56頁にその記事を見つけた。
レゾナンスの原点であり、F.P.Journeが所有する掛時計は1780年、フランスのアンティード・ジャンヴィエが製作した2台のレギュレーター式掛時計のレゾナンスの内の1台である。2002年に入手したそうな。彼がレゾナンスの先駆者であり、それに続くのがブレゲという。勿論、腕時計で実現したのはF.P.ジュルヌが初。レゾナンス=共振による精度を産み出すシステム、というのが『時計オヤジ』の理解を超える。驚愕のシステムとしか言いようが無い。(2006/11/5追記)








(←左写真: 今は亡き”FORGET”も展示されている〜)

FORGET(フォルジェ)というメゾンを知っている人は少ない。
1987年創立の新興ブランドだが、悲しいかな、既に消滅している。
この時計を最初に見たのはかれこれ15年以上前だ。当時、キワモノに見えた記憶があるが、なかなかどうして、このデザインは素晴らしい。もし、今、手に入るのであれば『時計オヤジ』は迷わず動く。デイト付き。秒針の小ダイヤルは、まさに『小さいダイヤル』以外の何物でもない。これ以上にも以下にも出来ない小ダイヤルである。

ブレゲ式の文字盤、独特の針形状、ギョーシェの美しさ、そして大胆過ぎるパワリザ表示は180度以上もある。まさに『偏心文字盤の妙』を20年前に完成させたFORGETはシャレではないが”Never Forget”である。ETA2892ベースでも結構。こうして時計博物館に堂々と『殿堂入り』するのも頷ける。








(スイス時計聖地巡礼。今回の旅の終わりに〜)

いくつかの時計工房の現場を見る楽しみと驚きは毎回尽きない。
特に、それが自分の所有する時計のメゾンであれば尚更だ。
時計を愛でる楽しみ、それに加えてその出生の現場を訪問して製作現場に立ち会う感動。
贅沢な表現であるが、時計はこうやって買うのだなぁ、としみじみ感じる。

しかし、個人旅行であるがゆえにここまでが限度。時計師や経営レベルの人との腰を据えた会話というのはまず難しい。今回、VC新工場やウォッチランド再訪が実現できたのは夢のよう。欲を言えばヌーシャテルのパネライ新工房の内部見学と経営幹部の御仁と少しでも会話がしたかった。パネライについての興味と質問は尽きない。。。
(⇒右写真: ヴァシュロン新工場にて製作中のJLCベースキャリバーをSHOOT。実にいい顔している。ローター上の刻印なんてサブマリーナ文字盤の『呪文ロゴ』のようだ。これぞ裏スケの妙。)

実動、僅か4日間の旅であったが、その密度を自分なりに高めること、旅の途中で修正を加えつつ、聖地巡礼を完遂する楽しみ。行く先での人々との会話、そして何よりも時計メゾンの人々のホスピタリティ。個人の力の限界を感じつつも、その中で自由に振る舞い、行動する醍醐味。

全て”PRODUCED BY MYSELF”、個人旅行の成せる業だ。
暇と気力がある酔狂な御仁には是非ともお勧めの『時計聖地巡礼の旅』である。
感動はすれど後悔は微塵も無い旅となろう。。。(2006/10/28)



(PS:〜この後、2006年10月下旬にシャフハウゼン⇒ジュネーヴを訪問した。
     『意志あれば道あり』、『意志あれば時計あり』、だ。)
(追記)2006/11/5、2014/01/13



(時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等)

⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら
⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら
⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら
⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら
⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら

⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら
⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら
⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら
⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら

最終章   ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン国際時計博物館・再訪』はこちら



(時計オヤジの『2005年11月のジュネーヴ再訪〜』関連のWEBはこちら)


⇒ 『ジュネーヴ再訪、PART-1』はこちら・・・
⇒ 『ジュネーヴ再訪、PART-2』はこちら・・・
⇒ 『パテック・フィリップ・ミュージアムPATEK PHILIPPE MUSEUM再訪』はこちら・・・
⇒ 『再訪、新メゾン・ヴァシュロン・コンスタンタン』はこちら・・・
   ⇒ 『2002年12月、旧・ヴァシュロン本社博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『2005年11月、ショパールChopard本社工場探訪記』はこちら・・・



(時計オヤジの『2002年12月のスイス時計巡礼』関連のWEBはこちら)

⇒ 『極上時計を求めて〜ジュネーヴ編』はこちら・・・
⇒ 『ヴァシュロン博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『パテック・フィリップ博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『フランクミュラー、ウォッチランドWatchLand探訪記』はこちら・・・
⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(T)』はこちら・・・
⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(U)はこちら・・・


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