時計に関する随筆シリーズ (23)

〜栄光と破壊の狭間で〜
ドイツ時計聖地、ドレスデンDresdenにて。
(Part-3)
『ラング&ハイネLang&Heyne時計工房訪問記』



(↑上写真: ラング&ハイネの半地下工房から外庭を眺める。
閑静な住宅街の中にあるので、まったく静寂の世界。ここでマルコ・ラング氏の時計が生まれるのだ。)

〜2004年9月末訪問記〜



(旧店舗はいつのまにか、SINNの店に〜)

2004年7月、ウィーンのHÜBNERにて初めて実物を見て以来、非常に気になっていたのがラング&ハイネLANG&HEYNEである(←写真、左)。懐中時計用のユニタス・ムーヴをベースとしているだけあって、ムーヴ径だけで37mmはある(16 1/4lignes)。パネライ並みの44mmケースではあるが、その品格と仕上げは全く別の次元にある。まるで博物館からそのまま出てきたような裏スケルトンから見えるグラスヒュッテ仕様には何度もため息が出る。

2004年9月末。
ラング&ハイネの工房がドレスデン市内にあると聞いていたので、オーナー兼時計師であるマルコ・ラング氏Marco Langと会うことを楽しみにして来た。勿論、アポも事前に取得済み。その工房には「地下室」があり、そこで時計・CLOCKの修復も行っているそうで、「時計オヤジ」としては大変興味を抱いていた。

旧市街外から散歩がてら意気揚々とエルベ川の橋を渡り、「アウグスト強王の黄金の騎馬像」をじっくり鑑賞する。そして、5星ホテルBÜLOW RESIDENZ横にある、その「工房」にたどり着く。が、何か雰囲気が違う。写真で見ていた”Lang in Dresden”の看板が取り去られ、何とその場所はSINNとアンティーク中心の時計店に変わっていたのだ。
(写真右⇒: 昔は中央にあったメインの看板が撤去されている旧店舗兼工房)

こちらの勘違い、思い込みもあったのだが、聞けばラング&ハイネは半年前にドレスデン郊外へと引越したそうだ。雨の中、出だしでつまづいてしまった。慌てて近くのホテルでタクシーを呼んでもらい、今度こそ「新工房」へと向かう。『事件は会議室で起こっているのではない!』。いやはや、何事も「現場」に行かねばわからない。これだから、実際の訪問はいつでも「発見」があり、楽しいのだよ。




(「新工房」は閑静な住宅地にある住居兼工房〜)

(←左写真)
市内から車で約15分程。プラットライトPlattleite35番地は、丘の上にある住宅地で、新工房はそこあった。一見して、時計を製作しているとは想像もできない、ごくごく普通の「立派なお屋敷」である。ここの地下室、半地下となっているフロアが工房、となっている。静寂さに包まれ、周囲には木々も多く、時計製作の環境としてはなかなか、ではなかろうか。

玄関の門をくぐると、ラング氏の奥さんとばったり出会う。ラング氏は身長190cm以上はあろうかという大男だが、奥さんはグっと小柄で可愛いお方です。産まれて一ヶ月の次女の面倒で多忙な毎日とのこと。家庭生活も順風満帆の様子で結構結構。







(マルコ・ラング氏のプロフィール〜)

ラング&ハイネLang&Heyneは、1996年に立ち上げたブランドである。マルコ・ラング氏Marco Lang(⇒右、写真)と彼の父親、そしてパートナーのミルコ・ハイネ氏Mirko Heyneの3人が創設者。実際のブランド運営、時計製作はラング氏とハイネ氏の2名によりスタートされた。ラング氏の父親Rolph Lang氏は、あのランゲ&ゾーネA.Lange&Söhneの主任時計師でもある。

マルコ・ラング氏曰く、自分が時計師としては6代目に当たるという。若いながらも、まさに時計一家で純粋培養された筋金入りの時計師、という感じだ。しかし、6代目、ということは初代はアドルフ・ランゲAdlph Langeやガトカスの時代とも重なるか、それ以前?の時代にまで遡ろう。斯くも歴史的な血筋、DNAを持つのであれば、尚更、グラスヒュッテ様式を忠実に守らねばなるまい。まさに時計師は彼の「天職」であるのだ。

半年前にドレスデン市内の旧店舗を売却し、今の場所に移転した。パートナーのミルコ・ハイネ氏は『哲学の違いから』既にこのブランドから去り、現在はグラスヒュッテのNOMOSで働いているそうだ。よって現在は、ラング氏と他の2名、そして見習い1名の計4名体制で生産している。

ラング氏は33歳。まさに油が乗り切った、ドイツ時計業界でも若手の新進独立時計師である。今後の活躍が非常に注目されるところ。その性格も非常に気さくで、多弁。人当たりも優しい御仁だ。英語も話せるので、こちらとのコミュニケーションも何とか円滑?に進んだことは幸いであった。




(←左写真、グラスヒュッテ仕様、2本を比較〜)


左側時計は持参したドーンブリュートDornblüth、右側がラング&ハイネLang&Heyneである。「禁断の比較写真」だ。と、いうのはラング氏は自分の時計とドーンブリュートは仕上げ等含めて全く別物、別次元にあるという認識であり、そもそも比較の対象にはならない、という考えを持っている。

因みに右側のラング&ハイネは18KWG製で、この時計はレバノンのユーザーからの特注もの、とのこと。その輝きも、当然ながらSS製とは全くの別物。ベース・エボーシュは共にユニタスであり、その基本的なレイアウトは酷似している。しかし、その仕上げは両者独自の味と工夫を演出しており、どちらが堂と言うことはさておき、同じサンレイ仕上げSunray-finishにしても、その渦巻き模様も異なり面白い。また、テンプの受石にはルビーの代わりにダイヤモンド!が使われている。19石+1ダイアモンドとは奇抜だ!こうして色々とラング&ハイネを見ていると、ラング氏が言う通り、ドーンブリュートと比較するのは少々、お門違いというのが判る。そうでなくとも、人の作品とあからさまに比較するのは非礼でありました。時計オヤジ、陳謝。



(ラング&ハイネの哲学とは?〜)

ラング氏と話していると、説明が明快であり、その哲学も明確であるので、素人の「時計オヤジ」にしても非常に分かり易く、かつ会話自体が楽しめる。何よりも若さと勢いがある。こういう御仁と知り合いになれたら、本当に「時計オヤジ冥利」に尽きるというもの。一方、こちらはprofessionalなインタビューが目的ではないので(そんなこたぁ、とーてー出来ないけどね)、時計以外の話も含めてあれやこれやと談義・雑談が出来たことが最大の収穫、かつ至福の時間であった。クロノスイス社長のMR.LANGとの面談時も同様であったが、同じ興味・ベクトルを持つ人との会話は本当に楽しいものだ。

ラング氏の基本的な哲学、取組姿勢を時計オヤジなりに要約すると以下となる:

●伝統的なグラスヒュッテ・スタイルを頑固に守り抜く。
●手巻きのみを生産する。自動巻きは作らないし、嫌いである。
●基本的には全てのパーツを手作り、若しくは手を加える。例外はポーセリン(陶板)文字盤であり、スイスから取り寄せている。ポーセリンのメーカーで良いところはスイスに1社しかないからだ。
●バーゼル発表後に40本ものオーダーを抱え、困り果てたが、基本的には年産20本がペ−ス。品質維持の為にもそれが限界で今後ともキープする。量より質、自分の納得行く時計だけを作る。
●当面はドイツ語圏内をマーケットとして考えている。
●当初は木箱ケースまで自作したが、流石に手間隙がかかりすぎそれは止めた。しかし、極力、自分の手を加えて行きたい。(この箱がベルベット、ビロード張りで、まるでJ.AssmannやUnionの再来のようで素晴らしいのだ!)
●かつての相棒ハイネ氏は既にNOMOSに移ったが、ブランド名は今後とも”ラング&ハイネLang&Heyne”で継続する。変更は考えていない。





(グラスヒュッテ伝統の3/4プレートのMERITについて〜)

さて少々くどいようだが、個人的に3/4プレートの効能、というかその必然性、利点について疑問を抱いて来た。3/4プレートはザクセン製時計の最大の特徴でもあるが、そのルーツは1864年にアドルフ・ランゲAdolph Langeが発明したことに始まり、以降、グラスヒュッテの伝統的な仕様・意匠となる。ランゲ&ゾーネA.Lange&Söhneのカタログによれば、その利点は、"...as the most stable bridges for the going-train"即ち、輪列にとって一番安定性のある受板という意義付けだ。

一方、クロノスイス社長のMR.LANGによれば、『その形状の特殊性でスイス製との相違を出すためであり、機能面での利点は無い』、と断言された。さて、今回、ラング氏に同様の質問を投げかけたところ、上写真の通り、絵を描きながら、熱心に説明してくれた。

結論を言えば、スイス式のような分割式の受板では、長年の間にどうしてもその緩みから、ルビー軸間の距離に狂いが生じる。それを一枚の受板、つまり3/4プレートにすることで、ルビー軸間の狂いを抑えることが出来、引いては精度と耐久性の両面でスイス式に勝る、というものだ。フムフム、お説ごもっと。しかし、スイス式の構造で、本当に精度誤差、構造面で狂いが生じるのであろうか。3/4プレートにすれば、逆にその分、輪列がフルカバーされることになり、メカが見えなくなる。実利と外観、理論と特徴。これから先は、あとはその仕様・意匠をユーザー各自がどのように評価するか、気に入るか堂か、にかかるだろう。

時計の世界では、特にデザインに関する世界になれば「勝ち負け」は無いのだ。
スイス製に対抗して、ザクセン製の時計が立ちはだかることは素晴らしい。欲を言えば、日本製の機械式にしても決定的な「日本的な特徴」が兼ね備われば最高である。ウイスキーの世界で例えれば、スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、アメリカン(バーボン)、そしてジャーパニーズ・ウイスキーと分類できるように、これから先、時計の世界でも各地域や伝統でそれぞれの特徴がムーヴメントなり、ダイアル全体のデザインなりで表現できれば何とも素敵なことではあるまいか。理想であれ、戯言であれ、「時計オヤジ」としてはそうした夢を今後とも追い求めたいと思っている。



(マルコ・ラングの工房を案内頂く〜)


その工房は加工・工作場、会議・展示室兼アトリエ、そして個人の机も並ぶもう一つのアトリエの3部屋から成る。工作場には大小、様々な工作機械が整然と並ぶ(←左写真)。どれも年代モノ、年季が入った機械ばかりだ。聞けばラング氏はこうした工作機械の習得を特に重点的に、ドイツ国内の専門学校で研鑽を積んだそうだ。勿論、生まれた時から時計工房の中で育った環境にはあるが、こうした基礎工作技術の勉強が今の仕事で大いに役立っていると言う。どこの世界においても基本が第一。『99%の地道な努力と1%のひらめき』、が勝負を決めるのである。









(右写真⇒)
磨き前と磨き後のアンクルを顕微鏡で見せてくれるラング氏。いやはや、大変丁寧な応対で、こちらが恐縮してしまう。「今日は時間があるから特別だけど、いつも暇ではないよ」、と言ってくれた。この日は土曜日で、本来は休み。よって、他の技術者は誰もいないが、各自の机の上には、作業中の部品やら、工程途中のメモ書きなどがそのままであり、まさにキャビノチェの雰囲気たっぷりである。アンクル以外にも、輪列の歯車各種、3/4プレートや地板、その他数々の磨き込まれたパーツを見せて頂く。必ずしも自作のみの部品ではないが、徹底してパーツに手を加えることで「自作」へと昇華している部品も数多い。ダイヤモンド粉を使い磨きをかけたり、ホオの木を使って磨いたりと、その手のかけ方は流石に半端ではない。









(←左写真)
部品の精度を拡大鏡で確認する。大手メーカーでも同様な機械を導入している。今や、手作り工房とは言えども、こうしたハイテク機器の使用は当然の時代である。伝統と革新、基本技術とハイテク、根気と執念。独立時計師の一端を垣間見た気がする。
もしアドルフ・ランゲが今の君の時計をみたらどう思うかな、と質問すると『そんなこと、僕には分からないよぉ〜』、バカなこと聞くなあ、このオヤジは、という感じで無邪気に笑っていた。









(念願の訪問を終えて 〜)

ラング氏の「趣味」を尋ねると「時計」、と返事が帰って来た。『一日、11時間も作業することもあるよ』。う〜ん、日本のサラリーマンであれば毎日、そうであるのだがね。彼の奥さんも針Handsなどを作るそうだが、最近は育児が忙しくその時間もないそうだ。ということは、FAMILYビジネスでもある訳だね。75%を腕時計に、20%はペンダロン(掛時計)作成に、そして5%を修復作業に時間を費やすという。家庭、仕事場、そしてその生い立ちともに時計一色の環境が、新工房への移転によって更に磨きがかかっているようだ。ビート・ハルディマンBeat Hardimannら他のドイツ時計師とも情報交換をよくするそうだ。この後、1時間ほど色々な話に付き合って頂いた。

ドレスデン、プラットライト35番地。
何とものんびりした郊外の雰囲気の中にも、濃密なドイツ時計師の魂に触れることが出来た、忘れがたい土曜の午後であった。

まだまだこれから期待しているぞ。
頑張れ、6代目のザクセン時計師よ!!!


(参考文献)
「世界の本格腕時計大鑑2002−2003」徳間書店刊 別冊GoodsPress
「WHEN TIME CAME HOME」 EDITION 2004/2004(A.Lange & Söhne)



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