随筆シリーズ(109)

『WEMPE天文台に見るドイツクロノメーター規格の将来』

(〜2011年9月WEMPE天文台訪問記〜)





グラスヒュッテ市街を見下ろす小高い丘の頂上に、その天文台がある。
2006年7月14日、ドイツの老舗宝飾店チェーン”Wempe”によって完成したのが『Wempe天文台』である。
でも何故、Wempeが天文台を・・・?
Web上での情報は極少。日本人による訪問記録は、知る限りではドイツ時計マニア某氏1名のみ。
個人的には今回、グラスヒュッテ訪問の大きな目玉であるのだが、情報は手探りで探すことに・・・
そして、ようやく我が目で見たWempeE天文台。
感激もひとしおである。

(↑上写真: WEMPE天文台は非常にお洒落な外観を保つ。
元来、グラスヒュッテの天文台をWempeが見事に復興・再興したものである。)

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(Wempe天文台への想い〜)

一言で言えば、酔狂である。

長年、Wempe天文台に憧れてきた。
特段、天文小僧ではないし、天文学の知識がある訳でもない。しかし、『あのWempe』が天文台を作った(正確には復興させた)と知ってから、何時の日にか訪問したいと思ってきた。そして、2011年9月、ついにそのチャンス到来、である。今回のグラスヒュッテ訪問の主目的はランゲ本社工房見学とグラスヒュッテ時計博物館訪問にあるのだが、グラスヒュッテまで足を運びながらWempe天文台を見ない手は無い。日程的にも極めてタイトな中、加えて天気は曇天で小雨もぱらつく夏の終わり。期待に胸膨らませつつ、天文台を目指す。まさに酔狂の極致である。。。





(⇒右写真)

Wempeの自社ブランドの時計裏蓋には誇らしげにWempe天文台のレリーフが。ドイツ語で天文台を意味する”STERNWARTE WEMPE GLASHUTTE” と大きく刻印が読める。
思えば、天文台レリーフはオメガやロンジンでもお馴染みのモチーフ。クロノメーター規格をこうした天文台で評価してきた歴史を考えれば、時計とは切っても切れない関係にあることが容易に察しがつく。

では、一体、Wempeはどうして天文台復興に手を染めたのであろうか?







(↓下写真)
所有するLongins Star-Navigation、そしてOmega Constellationの裏蓋レリーフ。
ロンジンは天文台ではないが、海上の大波の上に輝く星座がモチーフ。なんとも美しいロンジンらしいレリーフである。























(⇒右写真: NOMOS本社工場の前の路上には、Wempe天文台への道標がある〜)

今回の訪問前に、WEMPEに対してメールで訪問の申し込みを行った。返事は来たが、要点を抑えていないので埒があかない。グラスヒュッテ市内のWempe小売店を訪問して、情報収集にも努めたが残念ながら具体的な情報は得られなかった、というか、店員は何の知識も持ち合わせいない・・・。

NOMOS本社工房前の路上には、こうしたプレートもある。
ということは、訪問者もそれなりにいるということであろう。
事前にGoogle-Mapでもその位置は確認してきた。但し、平面地図では高低差が分からないので、どの程度の丘の上にあるのか想像できない。もっとも、グラスヒュッテ周辺のオーレ山地の標高は写真で見る限り、たかが知れている。グラスヒュッテの『小高い丘』であれば尚更、であろう、とたかを括る。









(⇒右写真: 狭い道路はいきなり工事中で車両通行止め〜)


当初、車で頂上まで行く予定がいきなりの道路工事で通行止め。
結果として、テクテク徒歩で登ることになる。好事魔多し、である。
それにしても約1キロの上り坂はキツかった。行けども行けども先が見えない。途中で近所のおばさん(といっても可也のお金持ちのご夫人)に道を尋ねると、当然ながらドイツ語で頂上を目指してアッチアッチ、とのこと。まぁ、道は間違ってはなさそうで一安心。それでも時折小雨混じりの曇天に気分は曇る。オマケにゼンマイオヤジのゼンマイも切れそうになる・・・。














すると、ようやく丘の頂上らしき場所にWempe天文台が見えてきた!!!


















(⇒見よ!これが夢にまで見たWempe天文台である〜)

一応、駄目もとで天文台内部の見学をお願いするが見学は不可、とのことで外観の写真撮影の許可だけは頂く。

そして何より驚いたのは、Wempe天文台に隣接して”Wempeクロノメトリ”(=組立て工房)が別棟で既に稼動していることだ。これは完全に予想外であった。NOMOSとのコラボで、Wempeブランドのトゥールビヨンが存在することは知っているが、その組立てはNOMOS工房内に別ラインを設けて行っているものとばかり想像していた。
それがこのようなWempe独自の為に独立したクロノメトリが寄りにも寄って、こんな丘の頂上にあるとは・・・。

恐らく、時計雑誌でもここの取材がその内にあるだろう。
是非とも期待したいものである・・・。











今回はアポもなく、クロノメトリも見学できなかったが、窓から見える室内では、時計組立てラインのようなアッセンブリー机がビッシリと並んでいるのが見えた。
組み立て中の女性時計師とたまたま目があったので、手を振って挨拶するとアチラも手を振って応えてくれる。嬉しい・・・。

間違いなく、Wempe時計はここでアッセンブリーが行われている。
従業員はNOMOSの人間かも知れないが、これには大きな衝撃を受けた。Seeing is Believing、を地で行く発見である。
これだから、いつも現場訪問は面白いのである。。。












(⇒右写真: 天文台の裏側はこんな建物になっている〜)

この丘の頂上はWempe広場(Platz)と命名されている場所だ。
従業員用と思われる自家用車が所狭しと駐車されている。
グラスヒュッテの街を一望するこの丘の頂上で組み立てられるWempeのオリジナル時計達。まさに、Made in Glashutteを100%実現している光景ではあるまいか。















(Wempe天文台の意義について〜)

Wempe天文台の意義とは何だろうか。推測だが、以下が大きな役割で有るまいか:

1) スイスCOSCに対抗するべく、ドイツ・クロノメーター規格の復活と定着・普及を図る為の拠点作り
2) 自社Wempeブランドに対する精度検定としての活用
3) 廃墟となって一度は途絶えていたグラスヒュッテ天文台を復活させることによって、時計産業が大きく再興した
   グラスヒュッテの地において、その歴史とクロノメーター規格を復興させ、ドイツ時計業界のシンボルとすること・・・。


ドイツクロノメーター事情については、クロノス第9号にキズベルト・ブルーナーによる詳細レポートがあるので興味ある向きは参照すると良い。
歴史的に注目される事実として、3人の強固な決意と協力がある。
グラスヒュッテ天文台は、1910年に私設天文台として建設された。設立母体は当時のグラスヒュッテ・ドイツ時計学校(DUS)の現役生徒とそのOB達による親睦団体である。そして1930年代後半、3人の事業主による『グラスヒュッテ天文台共同事業体』が設立された。3人のメンバーとは、当時ランゲ社長のオットー・ランゲ、Wempeクロノメーター製作所所長のヘルベルト・ヴェンペ、元祖TUTIMAのウファーグを経営するDr.エルンスト・クルツ、である。しかし、時代は暗黒の大戦、そして共産化された結果、ドイツ時計学校は1965年に閉校となり、グラスヒュッテ天文台も朽ち果ててしまったのだ。


(⇒右写真: 往年のグラスヒュッテ天文台の写真。
         WempeのHPから借用した。)





Wempeはこの天文台再興プロジェクトに300万ユーロ(約3〜4億円程度)を投じたという。
その最大の動機と背景はグラスヒュッテ時計業界の復興と好調さにあるだろう。COSCはスイス製品以外は受付ていない。これに対抗するためにドイツ・クロノメーター規格を設立したのだ。COSCとの最大の相違点は、機械をケーシングした状態で精度測定を行うことである。COSCやSEIKOのGS規格であってもケーシングしては行わない。皆、キャリバー(機械)単体での精度測定に限定されている。よって、ケーシングされた状態では途端に精度が変わってもおかしくはないのである。その意味からも、このドイツ規格は極めて実践的であり、それに伴う時計の扱いやら移動・搬送にかかる手間隙も多大であろう。

それを裏打ちするかのように、コストも問題となる。Wempe天文台における検定費用は、『証明書込みで1本辺り110ユーロ、不合格になったものでも77.50ユーロ』、かかるというから少々驚く。

一方では、ランゲやGOにしても、現実的には精度検定は自社基準に沿った検査手法を取り入れている。果たしてドイツ時計業界がどこまで歩調を合わせる事が出来るのだろか。こうしたドイツ版クロノメーター規格(精度)調整の前に、駄洒落ではないが、まずははドイツ時計業界内における足並み(歩度)合わせが必要ではあるまいか。世界の耳目が集まる所である。

個人的な興味としては以下が挙げられる:
1)現実にWempe天文台で検定を受けているメーカーはどこか?(恐らく、WempeとNOMOSだけと推測するが)
2)ランゲやGOといった巨大メゾンは、今回のWempe天文台とドイツ・クロノメーター規格の普及についてどう見ているのか?
3)他のドイツメゾン、特に旧西側のクロノスイスやSINN等はグラスヒュッテ主導による本件をどのように見ているのか?


こうした更に突っ込んだ情報や詳細レポートが時計各誌やマスコミに期待するところ大、である。


* * *

WEMPE天文台からの帰路、ふと道端から見下ろしたグラスヒュッテの街並みが、今でも強烈に私の脳裏に焼きついている・・・。
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(←左写真)

Wempeブランドの最高ライン、中央は独自の手巻きキャリバー搭載のトゥールビヨン。NOMOSの技術支援の賜物である。
日本での正式な販路は存在しない。















参考文献) クロノス第9号54頁: 『新生されたグラスヒュッテ天文台とドイツ・クロノメーター事情』




2011年8-9月、ドイツ・北欧・バルト海旅行関連ページ:

⇒『コペンハーゲンで欧州最古の天文台に登る』はこちら
⇒『U995/U-Boat搭乗記@ドイツLaboe』はこちら
⇒『エストニアの首都タリン散策記』はこちら
⇒『マイセン磁器工場訪問記』はこちら
⇒『2011年9月、ドレスデン再訪記』はこちら
⇒『2011年9月、ドレスデン市内で観た気になる時計達』はこちら
⇒『2011年9月、7年ぶりに訪問した新旧グラスヒュッテ市街の比較』はこちら
⇒『Wempe天文台に見るドイツ・クロノメーター規格の将来』はこちら
⇒『A.ランゲ&ゾーネ本社工房訪問記』はこちら
⇒『ドイツ時計博物館グラスヒュッテ訪問記』はこちら




以前の『ドイツ時計世界の関連ページ』はこちら:

『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。数学・物理学サロン探訪記』はこちら。(2004年9月訪問記)
『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。ゼンパーオーパーとBIG-DATE機構の因縁』はこちら
『ドイツ時計聖地、ドレスデンにて。ラング&ハイネ工房訪問記』はこちら
『現代のドイツ時計聖地、グラスヒュッテ散策記〜NOMOS突撃訪問記』はこちら。(2004年9月訪問記)
『グラスヒュッテ・オリジナル本社工場訪問記』(Part-1)はこちら。(2004年9月訪問記)
『グラスヒュッテ・オリジナル本社工場訪問記』(Part-2)はこちら。(2004年9月訪問記)

『ドーンブリュート&ゾーン REF.CAL.99.1 DR(2)ST.F 』はこちら
『おかえり、ドーンブリュート!』はこちら
『2004年7月、エリー・スタグマイヤー・シュトラッセ12番地〜クロノスイス訪問記』はこちら
『2004年7月、ミュンヘンのサトラーにクラフツマンシップの真髄を見た』はこちら
『2002年9月、ドイツ時計蚤の市訪問記』はこちら
『2004年7月、最新ミュンヘン時計事情』はこちら
『2006年3月某日、デュッセルドルフ散策』はこちら
『SINN 356 FLIEGER』はこちら
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