時計に関する随筆シリーズ (24)

『現代のドイツ時計聖地、グラスヒュッテGlashütte散策記』
〜NOMOS工房「突撃訪問記」〜


(念願のグラスヒュッテがいつしか現実の町並みとして目に映る〜)

2004年9月末。ドレスデン・クローチェ空港に朝8時到着。
ネット予約のみで搭乗可能であるGermanWingに乗り込み、再度ドレスデン入りを果たす。今回はいよいよドイツ時計聖地の総本山、グラスヒュッテに足を踏み入れるのだ。目玉はグラスヒュッテ・オリジナルGlashütte Original新工場の見学だが、その前に土地勘も無いグラスヒュッテにおいて、町並みを散策することにする。
グラスヒュッテ本社前、反対側には崩れかけたようなグラスヒュッテ駅(鉄道)があるが、とてもここに電車が通っているとは思えない。まるで廃墟である。最近、この駅舎はNOMOSに買収され、近い将来はNOMOS第三の拠点に生まれ変わることだろう。(⇒右写真、グラスヒュッテ・オリジナル本社前にて)



グラスヒュッテ訪問は今回が初めてだ。
事前に色々と情報収集するうちに、その町並みやらの輪郭が次第に自分の脳裏にイメージされてゆく。そして漠然とした疑問点も膨れ上がる。
●ドレスデンで時計産業が発達したのは分かる。ではどうしてドレスデンから4〜50キロも離れた山中にあるグラスヒュッテにA.ランゲは時計産業を興したのだろう?なぜ、隣町でもなく、グラスヒュッテなのか?
●どうしてザクセン時計産業がグラスヒュッテに集中して繁栄したのだろう?



(グラスヒュッテまで約1時間の道中で、想いは巡る〜)
ドレスデン空港でタクシーに乗り込む。が、どうやら運ちゃんもグラスヒュッテへの土地感がなさそうで、出発前に同僚の運転手と色々場所の確認をしている。出発後、20分もするとドレスデンの市内を通り過ぎる。朝の通勤時間帯で道路も混雑するが、雰囲気はやはり地方、田舎の感じで、ギスギスした都市独特の殺伐さは感じられない。一路南下する。走ること約1時間。やがてオーレ山地を越えると、小さな川沿いに道は進む。この川が3年前に氾濫し、大きな被害を与えたとは想像出来ない。のどかな田園風景が続く。

18世紀には社会の進歩と工業化によってザクセンの経済は順調に発展した。しかし、19世紀に入りナポレオンがイギリスに対して大陸封鎖令を発すると共に産業に必要な補修部品の入手が困難となり、その余波はオーレ山地を越えて、このグラスヒュッテにもやってきた。ザクセンの経済は失速し、グラスヒュッテにも失業がまん延する最中、安定した職業をこの町にもたらして再興を図ったのがアドルフ・ランゲであった訳だ。恐らくA.ランゲとは、時計師として一流のみならず、郷土愛に燃え、地域社会に対しても献身的な役割を果たそうとした人道主義者でもあったのではなかろうか。そうした行動も、本人が倫敦、巴里、ジュネーヴ等の欧州大陸で修行を重ねた4年間の経験が人間としての深さ、厚みをもたらしたのではあるまいか・・・。そして何よりも、誰よりも時計への夢と理念に燃えていたのではあるまいか。

そんな空想を抱きつつ、いよいよ有名な「アルテンベルガー・シュトラッセ」に入り、車はグラスヒュッテ・オリジナル本社前に到着した。




(いきなりA.Lange&Söhneの工場が出現〜)
オーレ山地に囲まれた盆地のようなグラスヒュッテは、こじんまりとした町である(←左、写真)。
何と言って形容すればよいのだろうか。この町にはタクシーが存在しない、そんな小さな町である。帰りのタクシーは隣町から呼ぶことになる。人口わずか3千人にも満たぬとも聞いた。人影もまばら。ちょうど道路工事を行っていたが、平日の午前中というこもあり、まるでゴーストタウンのように静かである。

気ままに写真を撮っていると、突然、A.ランゲの看板が現れる(下、写真)。何と彼の名前が広場の名前になっていたのだ。実は本で見てこうした事実は知っていたのだが、実物の看板を見るとやはり感激する。もっとよく見ると、その看板がある建物はグラスヒュッテ・オリジナル社工場のほんの隣にあり、そこはA.Lange&Söhneの工場・工房となっているので更に驚く。SEIKOとCITIZENが工場を隣り合わせで建てているようなものだからね。


これはどのように理解すべきか?恐らく、日本で考える競争相手、competitorではなく、19世紀中頃から発達したグラスヒュッテ一帯における時計産業はお互いに切磋琢磨すると同時に、町の安定と発展のために共に助け合い、支えあって発達したのではなかろうか。そう考えると、こうして対立ブランドが軒を並べる構図も理解出来るのだが如何だろう。大変乱暴に言えば、秋葉原的な時計街がグラスヒュッテであるのだ。





折角、本拠地まで来たのである。思い切って、このA.Lange&Söhneのドアを開けてみる。
(←左写真、A.Lange&Söhneの修理専用工場)

受付の女性から話を聞いたところ、この建物・工場は主にリペア専門という。それも19世紀時代のLange製品、すなわち懐中時計の修理などで、時にはケースそのものを作り直したりと、可也手の込んだアフターサービスを行っている。同時に若手技術者の研修、研鑚を積む場所でもあるようだ。アポ無しゆえに、工場内部の見学は適わなかったが、しっかりとA.Lange&SöhneのDVDとカタログを頂く(後日拝見したこのDVDは30分もので感涙ものだ)。





(右写真⇒)
こちらは、アルテンベルガー・シュトラッセ15番地にあるA.Lange&Söhne本社工場。泣く子も黙る、A.Lange&Söhneの総本山である。
ここで現在のこの瞬間も、あの名作の数々が製作されているのだ。まるでバチカン宮殿を前にするかのように荘厳。不思議とこちらの気持ちも引き締まり、心地良い緊張感が湧き上がる。

アルテンベルガー・シュトラッセは、ランゲ、グラスヒュッテ、ノモスが面する目抜き通りでもあるのだ。と言っても何も無い片側1車線の普通の道路だが(最後の写真参照)。












(NOMOSのSHOW-ROOMはランゲの隣に〜)
さて、A.Lange&Söhneの修理工場横の道を50mも歩くと、突然、NOMOSの表示がある建物が見えてくる。(←写真左)

もしや、ここがNOMOSの工場か!?と思い、躊躇無く、無遠慮に中へ入るとアレレ?ここはNOMOSのFLAG-SHIPショップらしい。聞けば、2002年12月に旧ランゲの店を買い取り、NOMOS店としてオープンしたそうだ。NOMOSの全商品が質素に並べてある。本当にNOMOSらしいというか、簡素な陳列ケースにそっけないほど「置かれている」という感じだ。こんなグラスヒュッテの小さい町でSHOW-ROOMが必要なんだろうか、と疑問に思うのだが。記念にカタログやら絵葉書までもお土産に頂く。店の担当者の話では、NOMOSの工場はグラスヒュッテには2箇所あるそうだ。場所を聞き、それではと店を後にする。 


ところで、「工場」と「工房」の違いを広辞苑で調べると、
『工場=機械などを使って労働者が継続的に物品の製造や加工に従事する施設。』
『工房=美術家や工芸家などの仕事場。アトリエ。』 とある。

時計製造に関するイメージでは手作業による組み立て工程=工房、の印象が強いので、工場という表現はどうもピンとこない。しかし、独立時計師や10〜20人規模の会社であれば「工房」でも良かろうが、やはりここでは抵抗感はあるものの、「工場」の表現を使うこととしたい。理由は、グラスヒュッテ・オリジナル本社工場見学記で述べる。




(NOMOSの工場を突撃訪問〜)
再びランゲ本社前を通り過ぎて100mも歩くと、アルテンベルガー・シュトラッセは右に曲がってゆく。早くもこれでグラスヒュッテの町並みも終わりかと思いきや、左側にいつか写真でみたような平屋の建物がある。NOMOSである。(←左写真)
因みに、更にこの道をまっすぐ行くとミューレの工場があるようだ。

アポ無し、駄目もとで見学を申し入れると、嬉しいことにあっさりOKが出た。早速、ビデオを回しながら楽しませて頂く。このNOMOS工場は川沿いにあり、3年前の氾濫時には工場の足元にまで水嵩が迫ってきたそうだ。尚、この工場では主に地板やブリッジ、裏蓋などのベース板を作成しており、ムーヴメント等の組立て工場は別の場所にある。そこに、ラング&ハイネLang&Heyneを去ったミルコ・ハイネ氏が働いているはずである。



(←左写真)
CNCマシンで地板を切削しているところ。右側が切削された地板。すでにペルラージュ仕上げも施されているのが見える。文字盤側を上にして並べられている。現場訪問はいつでも緊張感とワクワク興奮感で一杯の時計オヤジである。







次の写真、下の2枚(↓)はそれぞれ裏蓋を作る機械とサンプルの裏蓋モデルである。
丁度、この頃のNOMOSは限定の色付き文字盤のタンジェント・シリーズを生産中(発売済)で、そのモデル毎に異なった裏蓋を作成しているところ。数々の裏蓋ケースの設計図が面白いし、見ていて楽しい限り。














(右写真⇒)
この工場内ではおおよそ10〜15人程度が働いている様子。右写真の女性は完成した地板のチェック、その他の部品の検査を行っている。ここでも、女性の技術者?が多い。時計製作は地場に根差した女性にとっても重要な職業、職場であると感じる。ジーンズに白衣、というのがまた気分だ。
それにしても、この工場は少々手狭である。機械、机、部品箱、その他、色々な「荷物」やらが所狭しとあちらこちらに置かれている。


(NOMOSの自動巻きが来年発表か?〜)
訪問の最後に情報を頂いた。NOMOSでは現在、自作オートマチックを開発中であり、来年初には発表するらしい。来年のバーゼルには間違いなく登場するのであろう。いよいよ、より本格的なマニュファクチュールとして再デビュー?を目論むNOMOSと見た。あのミルコ・ハイネ氏も嬉々として新ムーヴ開発に携わっているのではなかろうか?しかし、個人的には自動巻きよりも、現在のプゾー7001ベースの手巻き機械に更に手を加えて、グラスヒュッテ仕様を徹底させたり(シャトン・ビス留めとか)、チラネジ付きテンプを装着して欲しいのだがね。NOMOSには手巻きが一番似合うと感じているのは「時計オヤジ」だけではあるまい。余談だが、バウハウス精神に根差すと言われるNOMOSのシンプル・デザインは、とても他社では真似出来ない完成度の高い独自性ある作品である。




(←左写真)
つかの間のNOMOS工場見学を終え、再度、アルテンベルガー・シュトラッセを引き返す。左がその道である。左手前の建物は、A.Lange&Söhne。その先、200mくらいの場所には、グラスヒュッテ・オリジナル本社が並ぶ。


文字通り、駆け足でグラスヒュッテの町並みを一部ではあるが垣間見ることが出来た。さて、これからいよいよ今回の目玉、グラスヒュッテ・オリジナル本社工場見学へと、意気込みも新たに足早に向かう「時計オヤジ」である。











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