時計に関する随筆シリーズ P

「エリー・スタグマイヤー・シュトラッセ 12番地」
〜2004年7月、クロノスイスChronoswiss訪問記〜



(ミュンヘン郊外にあるクロノスイスは1983年創業〜)


かつて長年ホイヤーの技術者でもあったオーナーのゲルト・リュティガー・ラングG.R.Lang氏。クロノグラフのコレクターとしても著名な同氏の哲学は明快。過去の名作、クラシックデザイン懐古にある。そして徹底したAfter-Serviceを常に念頭に置き、少量生産、まさに堅実な商品開発を行っている。

その哲学は同氏の著書"Signs of the Times"(日本版:時報-タイムリー・ブック)にも示されている。「違いの分かるごく少数のお客様に限られた数の時計しか製造しませんし、頻繁にモデルチェンジは行いません。」(同p.9) 「私はいつもあらゆるファッション・トレンドや一過性の流行に抵抗してきましたが、こうした抵抗への情熱が、ともかく私の最も強い原動力の一つであったことは確かです。」(同p.15) 「クラシックが廃れることはありません。これまでずっとそうでしたし、未来においてもそうであり続けるでしょう。」(同p.44) 

この本を読み感銘を受けた筆者の脳裏には、日増しにクロノスイスの存在が大きくなってゆく。そんな折り、雑誌「世界の腕時計」(NO.65)にて同誌編集長の訪問記を拝見。出来ればいつしか自分も、と機会をうかがっていたところようやくチャンス到来である。(上写真:イギリスの探検家キャプテン・クックJamesCook(1728-1779)が使ったとされるマリンクロノメーター実物!を見せてくれるMr.Lang。両腕にはしっかりクロノスイスが巻かれている。”2個ハメ”はZenith社長Thierry Natafと同様にMr.Langのトレードマーク。この応接室にはキャビノチェを再現した等身大の人形技師までいて、まるで博物館のたたずまいである。))


(ミュンヘン郊外の工房は質素な工業団地の中〜)

その建物は独立したものではなく、事務所が数社入っている小型の工業団地のようだ。周囲には同様な建物が並んでおり、雑誌で良く見るスイス工房の「古い屋敷」タイプをイメージすると、アレレ?ということになる。(右写真、窓が開いているのは総務関係の部屋) 階段を上がると2階の玄関では、予てからcommunicationをとってくれたS.R.さんが待ち受けてくれた。嬉しい。

フランクミュラーWatchlandバセロン本社博物館でもそうであったが、時計業界の皆様は大変親切。こちらが恐縮してしまう程、非常に丁寧な応対をして下さった。工房の全プロセスはおろか、一人一人の社員全員にまでご紹介頂いた。早速、工房を案内頂く。カメラ撮影もOKというので、内心一層舞い上がる「時計オヤジ」である。








写真下、左から:
●全モデルのギャランティーペーパーがstockされている。ここでモデル1本ごとに梱包も行われる。
●部品が在庫された引き出し机。膨大なるパーツ数で50万ピース以上はあるそうだ。
●姿勢差におけるタイミング計測中のレギュレーターモデル。
















従業員総数は36名のこじんまりとした工房である。文字通り工房、キャビノチェ、という雰囲気。窓から見える周囲はまるでのどかな田園風景。田舎、もしくは森の中の住宅地、という場所柄である。7月の涼しい風も心地よい。工房の窓も一部は開放されている。空調を完璧にしてゴミ・チリを排除する時計工場もあるが、こういう方式もまた許されるのであろう(注:クロノスイスには一部密閉された部屋もある)。下の写真中央は組み立て中のミニッツリピーターである。GeneveのWatchland訪問時にも聞かせて頂いたが、クロノスイスでも再度その柔らかい音色を聞けるとは予想外の感激だ。そして、ここでも例外なく若い女性の技術者も中心戦力としてしっかりと働いている。

















(Mr.Langと短時間ながら面談を〜)


著書にもある彼の哲学を色々と直接お話し頂いた。握手も力強く、大柄なお方だ。御歳60歳になっていると思うが非常にお元気。社長室と工房の間をしきりに行き来したり、工房での組み立てをじっくり監視?される姿が印象的であった。(⇒右写真:持参した"Signs of the Times"にトレードマークの緑色インクの萬年筆でサインを頂いているところ)

会議室にて貴重な時間を頂き、時計以外にも色々な話題でなごむ。マラッカ海峡の難破船から引き上げられたという中国製の陶器までお見せ頂く。趣味のクラシックカー以外で、こうした骨董品にも興味をお持ちのようだ。以下、Mr.Langとの一問一答の一部を抜粋する:

Q)ムーヴメントの内製化は今後とも計画はありませんか。
A)外部調達してクロノスイスで調整、手を加える方式がベストと考えています。パーツも独自に変更しているのでクロノスイスのoriginalityを出しているつもりです。

Q)チラネジ式テンプ、スクリュー留めシャトン、スワンネックの採用など、外装のみならずムーヴメントにもクラシックな構造をもっと多様できないでしょうか。
A)手巻きユニタスベースのタイムマスターではチラネジテンプを使っています。(と言って、実物のタイムマスターを持ってきて説明下さった。)

Q)ドイツ伝統的な3/4-plateについてはどのようにお考えですか。
A)3/4-plateはスイス製plateに比べて優位点は何もありません。それはスイス製と比較して視覚的な違いを出すためにドイツ時計業界で普及したものです。(この回答はある程度予想してはいたがここまで断言されるとは少々意外だ)

Q)一番気を遣われる点は何ですか。
A)品質管理、アフターサービスです。ホイヤー製の古い時計も受け付けており、専任技術者が対応しています。クロノスイスではメンテナンス体制をより一層充実させています。

Q)トレードマークの赤い眼鏡フレーム愛用の理由を教えて下さい。
A)(笑って、回答無し)

最後の質問は少々お調子過ぎるかもしれないが、1993年に結成された「新党さきがけ」の武村代表の眼鏡を彷彿とさせる似たような赤い眼鏡フレームも氏のトレードマークである。また、Mr.LangはピンストライプのBDシャツも良くお似合いである。ペリカン製特注のクロノスイス仕様の吸入式万年筆(⇒右写真)は2001年に同社創業20周年を記念して999本限定発売されたもの。ベースはスーベレーンM800であり、インク色は勿論、緑色だ。筆者同様にファッションも懐古的、筋金入りのドイツ的トラッドオヤジとお見受けした。この後も暫く様々な話題で時間を共に頂いた。話し振りも冷静沈着、技術者出身らしい?物静かな経営者兼マイスター、という感じであった。





(徒然なるままに〜雑感)

生粋のドイツ人であるMr.Langは本来、自社製ムーヴメントを組み込みたいのではなかろうか。しかし、ベースムーヴで斯様に手の込んだものはない。かといって、自社製となれば莫大なる投資と手間隙が必要となる。結果として、クロノスイスはモーリスラクロワ等と同様にベースエボーシュを徹底的に手を加えて独自色を出す道を選んだのだろう。他方、クロノスイスの社名からもわかるように、Mr.Langの志向はどちらかと言えばスイス時計。師と仰ぐのが英国人のJ.Harrisonであり、愛車も英国製クラシック・ジャガー。またミュンヘンというドイツ南部バイエルンの土地柄からしても、Glashütte等のドイツ的な伝統仕様とは別路線を目指しているのかも知れない・・・などと勝手な妄想は膨らむ。

Mr.Langはマリンクロノメーター全般にわたり深い知識と関心をお持ちである。中でも「大英博物館探訪記」でもご紹介したLouis Berthoudによるレギュレーター式マリンクロノメーターを特に気に入り、かの傑作品レギュレーターとしてクロノスイスの腕時計でこの文字盤をデビューさせたのである。温故知新。クラシシック懐古、いわばレギュレーターモデルの元祖。筆者もこのレギュレーター文字盤のデザインに注目しているところ。現在、大手・老舗メゾンも含めて複数社からこうしたレギュレーターのモデルが発表され続けているが、一番古典的、歴史的なデザインを踏襲しているのは間違いなくクロノスイスである。

クォーツ全盛の70年代から80年代初頭の「斜陽」の機械式時計業界において、新たに時計の会社を興すということは、当時では可也の「冒険」、RISKをはらんだ今で言う「ベンチャー起業」であったことと推察する。ご本人も言っていたが、時代に逆行する行動を信念を持って実行する、ということは想像を絶する逆風に立ち向かうことであったことだろう。同時期にスイス時計学校を卒業し、時計の実業界に入って行ったFranckMuller等も同様の環境下にあったことは容易に想像がつく。

クォーツ時計の発明された状況はある意味、「野焼き」に似ている。野焼きとは早春のうちに野を焼き、害虫駆除もかね、次世代への土壌を再生することだ。野焼きの最中、その温度は800度、地表は300度にもなるが、地中数センチのところは常温であるそうだ。まさに、スイス時計業界もこうした熱波に一度は焼かれ、精鋭のみが、技術を持ったところのみ、そして機械式時計への「志」を持った人々のみがまた這い上がって来たのではあるまいか。

最後に。現在、クロノスイスで一番気になる時計は、レギュレーター式のクロノスコープChronoscopeとオレアOreaに他ならない。共にクロノスイスの理念と技術がフルに表現された美しき古典、”クラシック”である。こうした名品を産み出す、夏真っ盛りのエリー・スタグマイヤー・シュトラッセ12番地はミュンヘンにおける時計聖地であると感じた。

短時間ながらも最大のhospitalityを頂いた社主のMr.Langと皆様には感謝の気持ちで一杯である。
あらためて今後のクロノスイス哲学の更なる具現化・進化を願ってやまない。


(参考文献)
「世界の腕時計」NO.65(ワールドフォトプレス)
"Signs of the Times"(日本版:時報-タイムリー・ブック)




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