随筆シリーズ(99)

『PANERAI聖地巡礼、フィレンツエBoutique再訪記』

〜イタリア聖地巡礼3部作編・そのA〜





2005年1月に初訪問以来、7年ぶりに訪問したフィレンツェ。
パネライ直営Boutiqueを再度訪問する機会に恵まれたことが何より嬉しい。
2001年10月の開店以来、この1号店Boutiqueは今やパネライ生誕地の代名詞的な存在となる。
店の看板も1900年当時のオリジナルに変更されている。
前回お会いした店長さんは元気だろうか。
そんな再会への懐かしさと期待も膨らむ今回の訪問であった。(2011/8/01)





(パネライ生誕の地、フィレンツェを再度訪問する〜)


5月のフィレンツェは最高の季節だ。
日中は汗ばむ初夏のような気温になっても、夜には上着なしでは風を引くように冷え込むことも珍しくない。朝晩はまだまだ肌寒い日が続く季節。前回の真冬の1月と異なり、今回はそんな絶好の季節に訪問することが出来た。

この10年間でパネライは大きな『脱皮』を遂げることになる。
前半の5年間では、パネライの知名度UPとモデル構成群を確立した。
そして後半の5年間で自社製キャリバー開発・搭載と、立て続けにマニュファクチュール・モデルを投入することで、一躍、自社独立路線を確固たるものに築き上げた訳だ。この変わり身の早さ、素早い開発促進と綿密なるマーケティングに裏打ちされた軸がぶれないパネライの戦略は見事、という他あるまい。CEOのA.ボナーティの牽引力と、そのバックに控えるリシュモンGの強力なるBack-Upが上手く噛みあった結果でもある。但し、その戦略が個々人の嗜好に合致するかどうかは別問題。『時計オヤジ』こと『中道左派系Paneristi』にしてみれば、『喜びも中くらい』・・・。ブラックボックス的な歯車が見えないプレートだらけの自家製キャリバーには、古典的要素を好む立場としては正直、興味がそそられない。最新手巻きCal.P.999や、P.3000があるではないか、と言われればそれはご尤もではあるのだが、古典的なデザイン要素を排除した『最新の設計に基ずく、何とも味気ない手巻き』としか映らないのだ。


(⇒右写真)
今回は、PAM00183こと手巻き45mm径のBlack-Sealでフィレンツェに乗り込む。そういえば前回2005年1月にはPAM00088の44mm径GMTで訪問したことを懐かしく思い出した・・・。






(←左写真)

Boutique内部から見ると、相変わらずの光景である。
この八角形のSt.ジョバンニ礼拝堂を垣間見ることが出来る1号店は、まさにフィレンツェを感じさせてくれる素晴らしいロケーションにある。
店舗の間口は写真のように縦型の長方形であり、注意してみないと時計店であることさえ見落としてしまいそう。

筆者はこの前で何十枚と写真撮影をしていたのだが、道行く通行人から怪訝な視線を何度か感じた。確かに、興味の無い人から見れば単なる店舗正面を写真に撮ってどうするの、という疑問しか湧かないだろう。加えて言えば、バックパッカーらしき若者が店の正面ドア前に座り込み、飲食まで始める始末。こちらはその場所で敢えて、写真撮影をこれ見よがしにバシバシ行うことで、そうした座り込み旅行者を蹴散らしてしまったのだ。全く、パネライの店の前で座り込むなっちゅーぅの。






(創業当時の看板を忠実に復刻した店舗は風格さえも感じさせる〜)


⇒右写真にあるように、”OROLOGERIA”の昔ながらの濃紺ガラス看板が映える。
当時の店名は『スイス時計店』(Orologeria Svizzerra)であるのだが、こうした『店舗復刻』までやってのけるのが、上述した『戦略』の一環である。まさに、Paneristi悩殺の為の心憎い気配り、と言っても良かろう。生誕地への思い入れをより一層感じ取ることが出来るDisplayの一つでもある。


⇒左側白黒写真は1900年当時の店舗正面である。


写真には店舗正面に位置する聖ジョバンニ礼拝堂がショウウィンドウに映り込んでいるのが見えよう。この光景こそがPaneristiにとってまさしく『聖地』を感じさせる一コマでもあり、当時の⇒右写真と重ねることで感慨もひとしお、というところであるのだ。












(←左写真)
因みにこちらが2005年1月当時に撮影した店舗正面。
看板の雰囲気が大きく変わっていることに気が付く。
ここにもマイアーレMaialeこと人間魚雷のモチーフシルエットがさりげなく配置されている。













(懐かしの再会、Boutique Managerは優しい女性である〜)

7年ぶりにお会いしたP.Mazzoniさん(以下、PMさん)はお元気そのもの。
その仕草から、ちょっと神経質そうな一面も垣間見えるが、色々日々の接客でもご苦労のご様子。実は、この前日夕方にBoutiqueを訪問したのだが、丁度、顧客クレーム対応に追われて可也切羽詰った緊迫した店内となっていたので、気分を変えて翌朝に出直した。顧客と言えども、世界中からこの店に集まってくる御仁の中には、色々と問題を抱える『クセモノ客』もいる訳で、ビジネスの世界では当然ではあるのだが、パネライと言えども爽やかな接客だけでは乗り切れない辛い場面もあるのだ。

今回はご本人の希望もあり写真撮影では顔を伏せることとする。
ミラノBoutiqueと同様に、ここでも大型のパネライ時計が壁面一杯に鎮座するのは中々良い眺めである。

ご多忙の折、手短に訪問を終えることにするのだが、今回、聞きたかった質問は2点。即ち、ベースユニタスの手巻きキャリバーの今後、と、2階にある博物館の現状についてである。


(その1)『ベースユニタスの機械は今後、自家製キャリバーに取って代わるのではないかという疑問』:


『時計オヤジ』の予想では、手巻きCal.P.999や3日巻きP.3000の自家製キャリバー開発の結果、現行のユニタス製キャリバーは消滅するのではないかというもの。しかし、PMさんのお話ではアッサリと『却下』された。パネライ戦略としては、自家製とユニタスを今後とも並存して使うと断言された。理由は、パネライとしてベースユニタスの古典的キャリバーを重視・活用する方針に変化が無いからだという。そのようにキッパリと断言される説明には、少々安堵すると同時に、依然として『本当かいな?』という疑問も正直、払拭されてはいない。恐らく、並存の理由にはコスト、が絡むはずだ。自家製キャリバーは開発コストを上乗せする必要があり、値段は高め設定とならざるを得ないだろう。方や、ユニタスであれば加工費用も可也圧縮できるだろうし、その結果として比較的廉価モデルに搭載することで、特にリーマンショック以降の市場テコ入れを目論んでいる事も想像は出来る。しかし、昨今、怒涛の自家製キャリバー開発で攻めまくるパネライが、ユニタスを消滅させない覚悟が本当にあるのだろうか、はたまた最大の競合相手であるSwatchグループによるETAキャリバー供給停止問題とかのRISKを考えると、実はまだまだ腑に落ちないのである・・・。


(その2) 『前回は見学できた2階の博物館は現在、公開される予定はあるのか?』:


残念ながら、現在は非公開であり、改装中とのことで再度拝見することは叶わなかた。
今や、時計市場・時計業界においてもメジャーブランドの地位を確立したパネライである。そのファンや訪問者の数も半端ではないことは容易に想像できる。もしもこの2階が一般公開されればとんでもない混雑となってしまい、1階のBoutiqueでゆっくり商談することなどは不可能となる。そもそも、この1号店Boutiqueの意味合いとは、パネライ時計を販売する店舗というよりも、パネライ生誕地の守護神的存在であると理解した方が正しい。事実、この店でゆっくりと時計を眺めて、商談する雰囲気は少ない。場所柄、狭いし、ひっきりなしに客が入ってくるので落ち着かない。それよりも、『パネライ生誕地でパネライを買う行為そのものに意義を見つけるコアなPaneristiへのリシュモンからの贈り物』、とでも解釈した方がすんなりと理解できるのだ。





(午後の強い日差しにはこのように白いシェードが現れる〜)

白いシェードに青地で記されたOFFICINE PANERAIの文字がまぶしい。
お土産に頂いた紙袋にはBoutique正面玄関のドアがエンボスされている。ミラノ店の紙袋にドゥオモの正面がエンボスされていたのも同様であり、最近のパネライBoutiqueの紙袋にはこうして地元の名所がデザイン化されているのが特徴。

今回見た1号店の『復刻看板』は、忠実にパネライの歴史を辿った生誕地としての素性を訪問する客に訴える。
そしてそれを理解し、何かを感じる取ることが出来ればPaneristiとしての
資格は十分だろう。
フィレンツェ1号店Boutiqueには、単なる販売店という枠組みを超越したパネライ生誕地として意義がより色濃く反映されているのだ。
このパネライ総本山を訪問せずしてパネライを語ること無かれ。
そんな思いをも新たに感じさせるパワーがある、まさにPaneristiとしての『メッカ』がフィレンツェ1号店Boutiqueなのである。(2011/8/01) 381000






























追記1) (2011/8/01 381111)

全く関係ないが、イスラム世界では2011年8月1日からラマダン(断食)月に突入した。
地元のパネライBoutiqueから送られたGreeting Cardにはこのような写真が(⇒):

昨年は8月10日に開始したラマダンだったが、太陰暦の為に今年は10日間早まった。真夏の気温は50度近い。一番キツイ季節のラマダン初日を本場、サウジアラビアで迎えた『時計オヤジ』はこの不便極まりない一ヶ月を過ごした後、いよいよ待ちに待った今年第二弾の『ドイツ聖地巡礼』に出発する。その為の準備もいよいよ佳境に入ってきた。何とも楽しみな9月である。。。










2011年5月、イタリア再訪関連ページ:
⇒『GRIMOLDIの長男、ロベルトと再会する』はこちら
⇒『2011年5月、ミラノ再訪記』はこちら
⇒『U-BOAT直営Boutique訪問記@フィレンツェ』はこちら
⇒『ダ・ヴィンチ科学技術博物館訪問記@ミラノ』はこちら
⇒『聖地巡礼3部作・パネライ・ミラノ直営Boutique訪問記』はこちら
⇒『聖地巡礼3部作・フィレンツェ1号店Boutique再訪記』はこちら
⇒『聖地巡礼3部作・イタリア海軍技術博物館訪問記』はこちら


パネライ関連WEB:
@ルミノールGMT(PAM00088)はこちら
Aラジオミール(PAM00062)はこちら
B『生誕地フィレンツェにPANERAI Boutique 1号店を訪ねる』はこちら
C『デカ厚ブームの嘘、パネライの真実』はこちら
D『マニファットゥーレ・フィレンツェManifatture Firenze・Aged Calf Leather Strap 1942』はこちら
E『マニファットゥーレ・フィレンツェ・新作2本』はこちら
F『ヌーシャテル訪問記〜パネライ工房門前払い』はこちら
(2006/10/01UP)
G『ラジオミール・ブラックシール(PAM00183)』はこちら
H『ラジオミール用革ストラップにおける”全体バランス論”』はこちら
(2010/01/01)
I『2010年8月、リヤドの直営BOUTIQUEを訪問する』はこちら
(2010/08/13UP)
J『ラジオミールPAM00103、小体で古典な三味胴ラジオの楽しみ方』はこちら
(HP開設7周年記念)



『ちょい枯れオヤジ』の過去の関連ページ:

『ちょい枯れオヤジのミラノ徘徊』はこちら。
元祖、2005年1月の『ドゥオモ店のGRIMOLDI訪問記』はこちら。
『再訪、ミラノの名店GRIMOLDIでBUGATTI TYPE370を楽しむ』はこちら。
『生誕地フィレンツェにPANERAIブティック1号店を訪ねる』はこちら。
『イタリア時計巡礼〜フランクミュラーを探す旅』はこちら。
フィレンツェの『Ferragamo博物館探訪記』はこちら。
フィレンツェのアウトレットで買う『Tod's Calfskin Loafer』はこちら。
『イタリアで英国靴を探す旅〜Church購入記』はこちら。




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