時計に関する随筆シリーズ E

「イタリア時計巡礼〜フランク・ミュラーを探す旅」 



2001年3月、イタリアを旅する機会を得た。

(フランクミュラーへの憧憬〜)

ミラノから南下し、ヴェニス、フィレンツェ、ピサ、そしてローマへの鉄道旅行である。単なる「おのぼりさん」旅行ではあるが、もう一つ今回の大きな目玉はフランク・ミュラー(FM)のカサブランカを探し出す旅でもあった。そもそもFMを初めて見たのは90年代半ば。知人某氏がしていたカサブランカ・ピンク文字盤だ。

因みにカサブランカはFMで初のSS製ケースであり、今年(=2004年)はカサブランカ誕生10周年となる。「ずいぶんお洒落なデザインだなぁ」というのが当時の第一印象。その後暫く接点はなかったが、2000年あたりから始まる世界的な加熱気味のFMブームと同様に筆者もFMを再注目。そして知れば知るほど、そのデザインに魅かれて行くのはブランドを問わず同じこと。とはいえフランクと言えば当時は世界中で玉不足。加えてその価格も超一流。折角手に入れるなら一番モノが集まっているであろうイタリアが狙い目である、という根拠の無い思い込みのもと、いざ実行に移した旅であった。3月とは言え、到着したミラノ・マルペンサ空港は粉雪が舞う寒さ。さすがにスイスに隣接する北のミラノはまだまだ寒い。


(ミラノは老舗時計店の宝庫〜)


ミラノ中央駅前のホテル”ミケランジェロ”にチェックイン後、早速市内を探訪する。まずはVia Della Spiga (スピーガ通り)にあるFMショップに飛び込む(上写真)。期待して中に入るが、驚いたことにまともな在庫は殆どゼロ!FMオウンショップでもこの有様とは。。。改めて本場?イタリアにおけるFM人気を思い知らされた。その後、同じく市内にある高級時計店PISAやOPISA(共にモンテナポレオーネ通り)を訪問したが、どこも売り切れで入荷待ちと言う。マスターシリーズのコンプリ系はあるがお目当てのカサブランカはどこも在庫は無い。結局、一番期待したミラノでは1本もカサブランカを見ることは出来なかった。早くも暗雲漂うイタリア巡礼旅行、である。

ドゥオモ傍にある有名店”グリモルディ”は当時は良く認識していなかった。今から思えば勿体無い話ではあるが、その小さな店の前をショウ・ウィンドウを見るだけで通り過ぎたのだ。その後、荘厳なドゥオモを探訪。屋上から眺める春間近かのミラノ街並みは感慨深いものがあった。



(ミラノから電車でヴェニスへ移動〜)

出鼻をくじかれた傷心のミラノ滞在から鉄道で次なる目的地、ヴェニスへと移動。Santa Lucia駅を出ると眼前にはこれぞヴェニスという光景が広がる。運河、橋、水上船であふれている。ホテルが運河沿いにあればよいが、そうでないと細い道をガラガラとスーツケースを引きずる羽目になる。ホテル到着後、水上バスでサン・マルコ広場を訪問。水の都ヴェニスはロマンティックである。どこへ移動するにもタクシーならぬ水上バス(Vaporetto)を利用するのだ。細かい路線で区分けされ、慣れると意外に便利である。一時間ほどゴンドラにも乗り、運河からのヴェネチア市内を眺めつつ、しばしのんびりとした時間を満喫する。イタリアではどこも食事が美味しい。ワインも美味しい。時計探しもよいが、こうした観光、滞在そのものがイタリアは本当に楽しい。



(サンマルコ広場の時計店で感動の対面、マスターバンカー〜)

暇にまかせて、サン・マルコ広場沿いにある土産店を順番に冷やかす。
時計店が2軒あった。最初の店に入り、店員に駄目もとでFMを探している旨を伝えると、何と上写真にあるトレイがごっそりと出てきた。マスターバンカー、カサブランカ、ロングアイランド、がゾロゾロ登場だ。これには驚いた。ここはヴェニスのサンマルコ広場である。日本で言えばさしずめ、京都・清水寺へと続く参道の土産通りのような場所。そこに本格的な時計店があるようなものだ。突然の大きな嬉しい誤算と感激。意外な地でやっと巡り合えたカサブランカ。目標はRef.6850のマグナムサイズ、黒文字盤である。しかし、こうして他のモデルを一堂に眺めると目移りしてくる。ロングアイランドはさておき、コンプリ系やら、より高級ラインも本当に惚れ惚れする美しさである。

ここで写真一番右(↑)にあるマスターバンカー黒文字盤、二つ目シルバー小ダイアルに魅せられた。カサブランカも良いが「プチ・コンプリ」も素晴らしい。思わずここで「勝負」しようかと悩んだが、生憎と既に予約済みで諦める。しかし、この出会いによってカサブランカからマスターバンカーへと意識は移って行った気がする。残念ながらもう暫くイタリア旅行を続けることにして、次の機会を待つことにした。それにしてもサンマルコ広場の時計店。名前は失念したが、今でもあるのであろうか。是非再訪したい店である。




(フィレンツェの老舗店にて「あこがれ」と再会、悩む〜)


次の訪問地はフィレンツエ。中世ルネサンスの本場、芸術の都である。
ミラノよりもこじんまりとしたフィレンツエは、歩いて街中の散策が可能だ。このような街のサイズが一番楽しい。また、イタリアらしく革製品が街中にあふれている。無名、ブランド品を問わずさまざまな鞄、靴、小物が豊富なのだ。これはローマでも共通であるが、付け加えれば生地屋さんやYシャツ・オーダー店(テーラー)も一見の価値がある。因みに、ミラノ市内では偶然入った老舗生地店でBURBERRYS(もちろん本物)を数メートル購入することができた。

そうこうしてフィレンツエを散策していると、ヴェッキオ橋へと通じるVia Calimala 通りで時計店Fratelli Coppiniに遭遇。ここでも多くのFMが飾られていた。聞けば1740年創業の宝石店老舗であり、フィレンツェにおけるFMの正式代理店という。足掛け2日に亘り悩んだ挙句、ここで悲願のFM購入を決定。当初のカサブランカではなく、ヴェニスで見たRef.5850のマスターバンカーにした(左写真)。純正クロコ革ベルトにはワンタッチで脱着可能なスプリングバネ棒が装着されている。最近では、カミーユフォルネでよく見るバネ棒でもある。何ともそっけない取説として簡単な”紙きれ”が1枚附属されているだけだ。メジャーのメゾンには有り得ない、手作り工房的な雰囲気がする。

オプションとして、替えベルトのブレスレットも緊急注文した。これは数日後、宅急便にてローマのホテルで受け取ることが出来た。当時の通貨はまだユーロ発足前であり、桁数の多いリラであったことが懐かしい。因みに当時は1円≒Lira16.8であった。尚、ブレスベルト交換は後日、某国のCartierサービスセンターで特別にお願いした。素人にはベルト交換といえども傷つける事が怖くて、とても自分でやる勇気はないのだ。

当初の目的であったカサブランカはマスターバンカーへと変わったが、納得の変更である。そして観光共々、非常に満喫できたフィレンツエ滞在であった。フィレンツェから電車日帰りでピサの斜塔も訪問した。今(=2004年)では斜塔の修復工事も完成し、旅行者はその斜塔にも登れるそうであるが当時(=2001年)は立ち入り禁止の大工事中であった。



(ローマにて革ベルトを探す〜)

さて、フィレンツエから電車で約2時間。最後の訪問地ローマへと向かう。
ミラノから南下してローマに着く頃には、気温も暖かくなり少々汗ばむ気候となる。ローマ市内では期待に反して時計店は少ない。コルソ通りに高級店が1軒。その他カジュアル系の時計店が中心であり、FMはついに発見出来なかった。フィレンツェでの購入は正解であったと安堵する。

ローマでは代わりにと言うべきか、時計革ベルト専門店をいくつか発見した。特に、市内の中央郵便局傍の店は、モレラートを中心に質量共に豊富に揃えていた。右の女性はその店主である。英語が通じず、コミュニケーションに苦労したが結局、計12本ものベルトを仕入れた。クロコ製本モノで約5〜6千円、その他カーフ製は2〜3千円というレベルだ。翌年の2002年にローマを再訪した時には、残念ながらこの店は姿を消していたのであるが。。。




←左がその12本のベルトである。
未だに未使用のベルトも多いが、とても楽しい当時の想い出として手元に残っている。
ローマ滞在も楽しい。ミラノやフィレンツェとは異なり、洗練された雰囲気というよりは、どちらかと言えば良い意味でバタ臭いムードの「古都」である。南部の文化と色濃く混ざり合った風土であることもその大きな理由かも知れない。数々の名所旧跡や噴水広場には青空カフェも多く並び、休憩にも食事にも格好の場を提供している。

気を付けるべきは、治安。特にスリ、
盗難が年中多発している。地下鉄車内の集団スリ、そしてジプシーと呼ばれる幼児を抱いた地元のプロ集団には特に要注意である。貴重品は身に着けない事。言い古されたことであるが鉄則であろう。ホテルのsafety-boxを活用することも特にローマではお勧めである。但し、ホテルによってはsafety-boxも信用できないので最後は自身の判断と防御にかかってくる。こうした旅先おける「格闘」も、ある意味楽しみに感じられればその旅行は成功である。





(質感の高さこそフランクミュラーの真骨頂〜)

さて、こうして「イタリア時計巡礼」旅行の末に手に入れたマスター・バンカー(⇒右写真)であるが、その造り、仕上げは期待通りだ。曲面のみで磨き込まれたトレードマークのトノー・カーヴェックス・ケース。一つのリューズで時刻合わせが可能な小ダイアル・2ヶ国時間表示はまさに独創的機構である。レイルウェイ式分表示index、独特のアラビア数字。そして時針、分針、秒針の全てに夜光が盛られた美しいブルースチール針は幻想的でさえある。クロコ革ベルトも良いが5連ブレスの出来ばえも素晴らしい。このマスター・バンカーにはブレスがより似合うと感じる。手にした適度な重みがイタリア時計巡礼の想い出と重なる。いつしか、じっくりとこの時計のレポートを記したい。

「時計とは単なる計器」ではない。
別にブライトリングの宣伝文句を否定するつもりはないが、そのモデルを選択するまでの試行錯誤と紆余曲折、そして購入するに至る迄の数々の過程や想い出の結晶が時計には宿っている。人に歴史あり。時計にも歴史あり。こうした「歴史」を積み重ねることが、腕時計の楽しみに他ならない。そしてその歴史とは入手後も続くのである。その人の愛着と共に、新たな想い出を重ねてゆく。それが半永久的に続くのだ。何とも素晴らしい世界ではないか。


腕時計礼賛のイタリア旅行は、このあと一年後には念願の「スイス時計巡礼」へと昇華するのであった。(2004/05/02)


加筆修正) 写真一部変更(2008/7/26)

『ちょい枯れオヤジの』関連ページ:

『ちょい枯れオヤジのミラノ徘徊』はこちら。
元祖、『ドオゥモ店のGRIMOLDI訪問記』はこちら。
『再訪、ミラノの名店GRIMOLDIでBUGATTI TYPE370を楽しむ』はこちら。
『生誕地フィレンツェにPANERAIブティック1号店を訪ねる』はこちら。
『イタリア時計巡礼〜フランクミュラーを探す旅』はこちら。
スピーガ通りで発見した『フランクミュラー・WATCHLAND REF.6850SC』はこちら。
フィレンツェの『Ferragamo博物館探訪記』はこちら。
フィレンツェのアウトレットで買う『Tod's Calfskin Loafer』はこちら。
『イタリアで英国靴を探す旅〜Church購入記』はこちら。



フランク・ミュラー関連WEB:

『極上時計礼讃・序説』はこちら
『極上時計礼讃〜ラジオミールPAM00062』はこちら
『2001年3月、イタリア時計巡礼〜フランク・ミュラーを探す旅』はこちら
『2002年12月、スイス時計巡礼の旅〜FRANCK MULLER WATCHLAND探訪記(ジュネーヴ編・W)』はこちら
『2005年1月、FRANCK MULLER 限定モデル"WATCHLAND"6850SCのレポート』はこちら
『2006年1月、厳寒のWatch Valley時計聖地巡礼記 (その2)」(ジュネーヴ買物編)』はこちら
『2006年1月、厳寒のWatch Valley時計聖地巡礼記(その5)」(ウォッチランド再訪記)』はこちら


Part-1 『リミテッド2000・本体編』はこちら
Part-2 『アガリの考察・個人的各論』はこちら

Part-3 『フランクミュラーに見るブレスレットの妙』 へと続く

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