時計に関する随筆シリーズ (50)

『Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼記』 (その8)

『ヌーシャテル訪問記〜パネライ門前払いの巻』
〜ヌーシャテルNeuchâtelと首都ベルンBernにて〜





ヌーシャテルNeuchâtel名物、と言えばこのジャケ・ドローのオートマタ3体。
コレを見ずしてヌーシャテルに来たと言うべからず。
加えてPaneristi『時計オヤジ』としてはパネライ新工房を拝観することも、同時並行で最大の目的であったのだが・・・。



(必見、ジャケ・ドローのオートマタ!!!)


2006年1月半ば。気温は真昼ながら氷点下2度。ヌーシャテルも非常に寒い。
ヌーシャテル駅は小高い丘にある。街中へ行くには結構急な坂道ガール通りAve.de la Gareを下ることになる。降り切るとそこはもう市街地。ヌーシャテル湖が眼前に迫る。
『時計オヤジ』は一直線に湖岸の港に面した美術歴史博物館Musee d'Art et d'Historieへと向かう。
考えてみればヌーシャテルとは、かの天才アブラアン・ルイ・ブレゲ(1747-1823)の生誕の地。76歳の生涯をこの地でスタートした記念の地である。どこかに銅像でも建っていてもよさそうなのだが。。。

(←左写真:これがその美術歴史博物館。入館料は4フラン。)




(⇒右写真: こちらは受付嬢のEVENさん。)

時間は午後1時前。真冬のせいか、『時計オヤジ』以外の訪問者はゼロ。
博物館を独り占め出来る幸せ?ハイシーズンではこうも行くまい。
1階にはヌーシャテルの歴史や歴史的工芸品、コインや鍵巻き式ブレゲ懐中時計の陳列もある。
ジャケ・ドローのオートマタもこのフロアにある。
2階は美術・絵画の展示スペースとなっている。ホドラーやL.ロペールの作品が注目されるところ。

尚、オートマタとは自動人形、のこと。自動人形とは機械式時計と同様にゼンマイを動力にして、繊細な動きを奏でる人形のことだ。その余りの精密さ、精巧さから当時、ジャケ・ドローは魔女ならぬ怪しい輩と糾弾され、危うく一命を取り止めたとの逸話もある。それほど素晴らしい動きとパフォーマンスを見せるのがこのオートマタ3体である。




(2階への階段にある巨大なる絵画は必見〜)


←左写真では少々分かりにくいが、壁一面に巨大なる油彩の絵画が飾られている。まさに当時の時計の組立工房風景は臨場感溢れる迫力である。ジャケ・ドローのオートマタと並んで『時計オヤジ』はこの前で釘付けとなる。

実はこの絵画、3部作の1枚である。
画家の名前はポール・ロバートPaul Robert(1851-1923)。
1894年製作の題名は”L'Industrie"。縦7.2m、横5.8m。文字通りの大作だ。19世紀後半の時計産業、工房の様子が工具類と共に見て取れる。女性の『作業員』も多数いるところが注目に値する。買付人か、工房のオーナーか、はたまた何故か聖職者らしき人々の井戸端会議風景など、当時の様子が何とも愉快。









(これが230年前に製作されたジャケ・ドローJaquet-Drozの傑作品〜)

1774年に初公開された3体のオートマタ。
冒頭の写真は左から、手紙を書く少年(?)、通称『書記』。オルガンを弾く貴婦人『演奏家』、そして絵を描く少年『画家』である。
手紙を書く少年には何と4500ものパーツが使われているというから、トゥールビヨン顔負けの『驚愕のコンプリケーション』の極みであろう。毎月第一日曜日にのみオートマタの実演が見られるそうだ。日程がドンピシャリの方はまさに幸運。因みに3体の後ろは大型スクリーンが設置され、ジャケ・ドローの歴史やら、オートマタの動きが映像で鑑賞できる。右写真⇒でも分かるように、オートマタの前は階段状の観客席がある。ここでも『時計オヤジ』は独り占めで、じっくりと映像鑑賞に耽る。何たる幸せ・・・。

一方、現在の『ジャケ・ドロー』ブランドは1991年に復活した。Paneraiやランゲ同様、新たなる資本によるブランド再構築、ルネサンスの成果である。大口径のケースに納められた、その特異なる偏心文字盤のデザインが現在ではトレードマークとして確立されている。恐らく、『時計オヤジ』のコレクションには生涯加わることは無いであろうが、『偏心文字盤の妙』を広く世間(と、言ってもごくごく限られたマニア間における『世間』ではあるが・・・)に知らしめた功績は評価できる。


***


懐中時計・掛け時計類の展示もあるが、質・量共に『特筆すべき点はない』というのが正直な印象である。
(←左写真)鍵巻き式のブレゲの懐中もある。秒針小ダイヤルの右ズレの位置といい、スラっと伸びきったブレゲ針といい、文字盤のカラリング。ブレゲ御家芸のシルバーカラーとローマン数字が色褪せない。極めつけは、文字盤にある『間』である。この空白部分のバランスが見事!!!ブレゲとはムーヴメントの製作・発明のみならず、そのデザイン創作能力にも非凡な才能があったと推測する。

でももう少し、ディスプレイに気を遣ってほしいところ。やはりこの場所はオートマタ3体と階段にある3部作の大壁画・絵画に全てが凝縮されている。ジュネーヴのPATEK博物館同様、ヌーシャテルに来てこれを見ない時計愛好家はモグリである。















(ヌーシャテルにパネライ工房があるのをご存知か〜)

自称Paneristiたる『時計オヤジ』は、2005年1月の生誕地フィレンツエのブティック訪問以来、密かに現場パネライ工房の機会を窺っていた。パネライ公式WEBを見れば分かる通り、その新工房はこの街ヌーシャテルに2004年に新設された。そうと聞いては黙って素通りする訳には行かぬ。ジャケ・ドローのオートマタも大切だが、パネライも同様に大切である。しかし、予習はするものの、工房の住所である"RUE DE LA BALANCE"(ひげゼンマイ通り)などという人を食ったような地名は既存の観光地図では見当たらない。ヴァシュロンの『トゥールビヨン通り10番地』の命名といい勝負だ。この小さな町のヌーシャテルであるが短時間で探し出すには意外にも、結構右往左往させられた。







(⇒右写真: パネライ新工房は街並みに溶け込んだモダンなビル〜)


パネライ公式WEB写真を意識したアングルである。
やっと見つけ出したパネライ工房は時計雑誌で見たと同様の風貌だ。
事前の見学申し込みは丁寧に断られている。
ということは突撃訪問も受け付けられる可能性は極めて低い。
門前払いは承知の上、覚悟の上での訪問だ。
何よりも、フィレンツェから始めた『パネライ詣で』が今ここに成就しようとしているのだ。
工房の前に立つだけで嬉しさもヒトシオ、というのが年甲斐も無き『時計オヤジ』の正直なる感想である。
本当にパネ好きであるのだョ。












(パネライのCI、コーポレイト・アイデンティティは『デッキ』にあり。ここでもモチーフはブティック同様である〜)

結論から言って、当然のことながら工房謁見は許されず。受付で照会願うも結局は門前払い、である。遥か日本から来ようとも、地球の裏側から来ようとも、アポ無しでは話にならない。淡い期待も見事なまでに粉砕された。無理な物は無理、ゴリ押しは禁物。そして、こちらには時間的余裕も無い。仕方無く受付で大人しく引き下がる『時計オヤジ』こと、Paneristiの『時計オヤジ』である。悔しぃかな、悲しぃかなこれが個人旅行の限界&現実だが、たまにはこういうこともあるノダ。

Officine PaneraiのOfficineとはイタリア語で工房のこと。このヌーシャテル新工房こそ、ビル外観のサイズからして工房の名に相応しい。R&D、時計製造、時計本体&ムーヴ品質改良、が一箇所で行えるメリットは大きいと言う。その一気貫通作業をウオッチバレーの玄関口でもあり、古都ヌーシャテルの湖岸にある新工房で行うというのは、歴史と伝統あるパネライに相応しい場所ではあるまいか。

(←左写真)
せめて写真だけでも、とお許し頂いたのが受付前のこの一枚。
フィレンツェのブティックでも同様であったが、パネライのCIは頑なまでにヨット、帆船をイメージしたデッキ・ウィンドウである。この丸窓が永遠のモチーフでもあるのか。中には現行モデルが鎮座する。







(⇒右写真:こちらは初の自家製キャリバー搭載のラジオミールだ〜)

別の壁にはCal.P2002搭載のラジオミールGMTのポスターが堂々と飾られている。
モノクロの写真、公式WEB同様に硬派なイメージ漂うラジオミールは何とも素晴らしい。
Cal.P2002搭載の”ルミノールGMT 1950 8-DAYS”も出たが個人的には断然、ラジオミールの方が優勢。別にラジオミール贔屓する訳ではないが、より凝縮されたマッシブ感はラジオに軍配が上がる。
束の間の『玄関滞在』もあっという間に終えて、そそくさと別れを告げたPaneristiオヤジである。


*パネライ新工房の詳細は別冊Begin『パネライスタイルブック2』を参照アレ。









(⇒首都ベルンにある『時計台』と再見する〜)

ヌシャテルから今宵の宿であるスイスの首都、ベルンに到着する。丸で一国の首都とは思えぬこじんまりとした小さな街である。ベルン駅からマルクト通りを路面電車に沿って歩くと、この時計台に到着する。
ベルン市内で最古の建物でもある時計台は、12〜13世紀には市の西門として存在していたそうだ。


2002年12月のベルン初訪問時の随筆Jから以下引用する:

『もともとこの時計台は外敵から街を守るための監視塔として中世古来より存在していた。それが、16世紀初頭(1530年)に長年の修復作業の結果、時計台として生まれ変わったのである。以来、いわばスイス時計産業における文字通りの監視役兼時計台としてのシンボルとして今日に至っている。機械の詳細はわからないが、この時計台は時刻表示のみならず、星座表示、ムーンフェイズ表示機構、更には人形が動き出すオートマタ機構もついている。動力は大きな錘(分銅)によるそうである。このような「複雑時計」が既に500年!近く前にも完成されていた当時の技術力、学問、芸術の力には驚かされるばかりだ。まさに『時は鐘なり』、とはこのことだ!?』

悠久の時を刻む時計台。塔の表側も裏側も両面式時計となっており見所満載。
ベルン訪問の際には必見である。











(ベルンでの最大の楽しみはチーズフォンデュにあり〜)

ヌシャテルはフランス語圏。特にそのフランス語はスイス国内でも、最も綺麗なフランス語と言われている。一方、首都ベルンはドイツ語圏になる。心なしかドイツっぽく、市内にはソーセージやらハム、肉料理の食材店が多いような気がする。こういう食材店で好きな料理をその場で試すのも楽しいが、今宵はフォンデュと決めている。
スイスであればどこでも食べられるが、とにかく無性にチーズフォンデユが食べたくなる。
ベーレン広場に面した小さなフォンデュ専門店に飛び込み、まずはソーセージを前菜?代わりにビールを楽しむ。





←単純なチーズフォンデユではあるが、白ワインとマッチして何とも美味。
小さな鍋は一人前。あっという間に平らげる『時計オヤジ』は、本日の訪問地であるヌシャテルと先ほど見たばかりのベルン時計台を酒の肴にする。厳寒期こそチーズフォンデユはその美味しさを増す。冬場に食してこそフォンデユの醍醐味があるのだ。


さてさて、いよいよウオッチバレー時計聖地訪問の小旅行も大詰め。
明日はビエンヌにあるオメガ博物館、そして旅の終着地であるラ・ショード・フォン再訪に胸躍らせ心地良い酔いを満喫する『時計オヤジ@BERN』である。(2006/10/1UP)






(その9、『オメガ博物館訪問記〜ビエンヌにて』へ続く〜)

ブレゲ懐中時計の写真追加(2006/10/22)、 加筆・修正(2006/10/30)

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(時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等)

⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら
 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら
   ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら
    ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら
     ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら
       ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら
        ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら
         ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら
          ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら
    最終章   ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら


(時計オヤジの『2002年スイス時計巡礼』関連のWEBはこちら)
⇒ 『極上時計を求めて〜ジュネーヴ編』はこちら・・・
⇒ 『ヴァシュロン博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『パテック・フィリップ博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『フランクミュラー、ウォッチランドWatchLand探訪記』はこちら・・・
⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(T)』はこちら・・・
⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(U)はこちら・・・
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