(今回の目玉、ウォッチランドを目指してジュネーヴ入り〜) ジュネーヴ市内には上記の写真のように、至る所でフランクのコンプリモデルのポスターが目に入る。2002年11月に発表となった、その年のジュネーヴ時計のNO.1の栄誉を受けたそうだ。嫌がおうなしにこちらの気分まで高揚する。フランク・ミュラーの直営店には巨大なトノー型時計がかかっている。この小型をひとつ欲しいくらいに素晴らしい。そう言えば確か、WATCHLANDには”ベガス”の巨大時計も展示さている写真を以前見た覚えがある。ぜひ拝見したいものだとこちらも期待に胸が膨らむ。 念願の訪問準備・アポ取得も完了し、いざタクシーにてWATCHLANDへと向かう。WATCHLANDのある場所は、レ・マン湖に面したGenthod(ジャントゥ)という地である。ジュネーヴから北へ向かう電車路線に近いところでもあり、市内から車でNON-STOPで走ること約15分程。バスも通っているようであるが、市内からは意外と距離がある印象だ。 (フランクミュラーの聖地、ジャントゥGenthoudへ到着〜) Genthodにある家並みは皆、似通っている。地元の人であれば誰でもWATCHLANDを知っているかと思ったが、タクシーの運転手は正確な場所を知らず、最後は自分の足でたどり着いた。一歩入ると、駐車場にはポルシェやらBMW、はたまたフェラーリまでもが並んでいる。持ち主はどなたか知らぬが、流石に世界屈指の成長ブランドだけある。壮観な眺めだ。 ←左写真はメインの建物。中世の古城のような建物の中に、受付、およびデザイン企画部門が入っている。オーナーのF.ミュラー氏もこの建物に部屋を構えるそうである。 (受付は質素な学習机のようなテーブル一つのみ〜) クリスマス・シーズンでもあり、受付にはクリスマス・ツリーも飾ってある。受付と言ってもそっけない机があるのみ。アポを取っている旨を伝えて暫し待つ。他にも来客がひっきりなしであり、Dealerでもなく商談に来た訳でもない自分の存在に恐縮しつつもじっと待つこと約10分。案内嬢のLMさんが来てくれた。 翌年の2003年発表モデルの追い込み作業で多忙とのことで、見学できる部門も限られると言う。こちらとしてはそこまで期待していないので、丁寧に目的を告げ、再度確認した結果、最終的にはケース製造部門を除き、殆どの工程を垣間見せて頂いた。 (いよいよ、工房内部を見学開始〜) 聞けばこの5年間で従業員も300人を超える規模になったそうである。300人というのは時計業界では十分に「大企業」の仲間入りである。それに比例して労務管理、会社管理などの人事・総務・本部機能の様々な新たな仕事も発生しているそうだ。 そんな話をしながら、まずはメインの建物内にあるデザイン企画部門から見学を開始。現行品の図面?イラストらしきものも間近で観察できた。 その後、この建物から出て、レマン湖を臨んで左側下にある建物へと移動する。 ここでは宣伝、企画、組立工程が入っている。いわば、フランク・ミュラーの主要な工房そのものであるのだ。中に入ると驚くほどの若い人が、それも女性も多く見られ、皆、例の時計用の机に真剣に取り組んでいる。ある人はウォークマンを聴きながら、ある人は一心不乱に組み立てや、文字盤の検査、各種検査を行っている。そうした時計技師のすぐ側をゆっくりと歩きながら拝見させて頂いた。特に新品の各種文字盤が揃ったトレイの美しさが忘れられない。 右写真(⇒)も雑誌写真などで良く見る中央の庭にある階段から、メインの建物を見上げた一枚である。あー、この場所にF.ミュラー氏本人がたたずんでいたのだなぁ、などと感慨に耽りつつ、散策させて頂いた。因みに今回の訪問に際してはWATCHLANDに最大の敬意を示す意味からも、ジャケット、ヴェスト、そして蝶ネクタイをしめて臨んだ筆者である。 |
(コンプリケーション工房で記念撮影を許される〜) ←左写真は工房内でも特にコンプリケーション専用の一角である。窓からはレ・マンも望める。皆、意外にもラフな格好、服装であり、白衣を着た人は極めて少数派であった。 この方もジーンズであるが、コンプリケーション担当の超ベテラン技師とお見受けした。良く雑誌の特集でもお目にかかる有名な御仁である。まさか、その方と写真が撮れるとは。無理をお願いして、工房内で許可が下りた唯一の記念写真である。 その為にわざわざ作業中の手を休めて頂き、更には組み立て中のミニッツリピーター(!)の音色まで聞かせて頂いた。初対面のどこの誰かも知らないアジア人に対して、かくも斯様な丁寧なる対応を頂くとは、本当に人間性も素晴らしい皆様であると感謝感激である。 工房内は非常に自由な雰囲気であった。人によってはウォークマンを聞きながら作業に没頭している人もいる。女性の時計技師も多く、2〜3割位は占めるであろうか。そして恐らくWATCHLANDに限らないであろうが、年齢的に若い人が多い。ざっと、30歳前後と思しき若い才能が半分以上のように感じられた。フランク・ミュラーの精鋭集団は明るく、伸び伸びした雰囲気でWATCHLANDで活き活きしているように見えた。 (右写真⇒が玄関に相当するドア〜) 今回、WATCHLANDを順番に案内して頂いたL.M嬢をWATCHLAND正面玄関前で記念撮影(右写真⇒)。長身で非常に美人な方でした。ヴァシュロン博物館の女性といい、WATCHLANDといい、時計業界には美人が多いこと・・・。 (PS)2006年1月の再訪時には、LM嬢は既にWatchlandを辞めていた。聞けば、今はジュネーヴ市内のグリゴソノGRIGOSONO直営ブティックで働いているそうである。いずれにせよ同じ時計業界にいるとのこと。(2006/1/15追記) 見学は短時間ではあったものの、筆者にとっては十二分の体験である。特に組み立て工房内を歩いて直に各パーツを見学できた感動は何物にも換えがたい。そして最後にはお土産としてフランク・ミュラーWATCHのリトグラフセットまで頂く始末。筆者にとってはひと足早い、何とも大きなクリスマスプレゼントであったこと。。。 (←左写真) お土産に頂いたリトグラフは、1枚1枚記念写真と共に額に入れて自宅で毎日眺めている。あの興奮は1年以上経た今でもまるで昨日の事のように新鮮に蘇える。 (加熱気味のフランク人気の行方は〜) フランク・ミュラーを流行の一環として追い求める人もいる。単にその美しさに憧れる時計オンチの女性も多い(男性も!)。フランク・ミュラーを人の名前であることさえ知らない人もいる。しかし、それはそれで良いのではないか、と素直に感じる今日この頃である。 フランクを好きになる理由は人それぞれでも、これだけ多くの人々に支持され、また感動を与える時計ブランドというのも昨今、稀有な存在である。腕時計は時計オタクの人の為だけにあるのでは無い。機械式であれば、その美術工芸的な価値もある。単に魅せるだけでも立派な凄みである。乱暴な表現をすれば、チラネジが無いとか、ムーヴがオリジナルでないとか、ETAを使用しているとか、そんな細かいことをもっと超越して眺めても良いのではないか、とさえ感じる。 勿論、フランクの時計はもの凄い技術と発想とデザインに裏打ちされていることは間違いない。その腕時計が何よりもこの世に現存するブランドオーナー自身により発明され、WATCHLANDで承認され、そして生産されている、というプロセスに感動せざるを得ない。パテックもブレゲもパネライも、その創業者は既にこの世には存在しない。フランク・ミュラーの魅力は数々あるが、そのブランドオーナーが現実に存在し、実際に新デザイン・新機構を発表し続けている同時代に我々が共に生きていることが極めて大きな感動を生み出す背景であると考える。 パテック博物館で見た歴史的傑作品の数々にも恐れ入ったが、WATCHLANDにおける若い力と、新しいデザイン創造への熱い意気込みに触れることも出来た。そうした現場の生の雰囲気に接することで新たなる感動を覚えずにはいられない。タクシーを待つ間、受付に飾られた小さなクリスマスツリーを見ながら、ふとそんな思いに包まれた。 腕時計の世界は奥が深すぎる。。。 そして知れば知るほどその楽しみも膨れ上がって行く自分がそこにいたのである。 (時計オヤジの『2002年スイス時計巡礼』関連のWEBはこちら) ⇒ 『極上時計を求めて〜ジュネーヴ編』はこちら・・・ ⇒ 『ヴァシュロン博物館探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『パテック・フィリップ博物館探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『フランクミュラー、ウォッチランドWatchLand探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(T)』はこちら・・・ ⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(U)はこちら・・・ ⇒ 2006年1月、『再訪、ウォッチランド訪問記』はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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