遂にやって来た厳寒のビエンヌ。 夢にまで見た、とは言わぬがオメガ工場真向かいにあるオメガ博物館にたどり着く。 文字通り老舗オメガの歴史と傑作品の宝庫。 オメガファンならずとも一度は足を運びたい、ここもまた間違いなく『時計聖地』である。 |
(2006年1月中旬、朝9時のビエンヌ気温はマイナス8度〜) 朝9時前、ベルンから急行で約30分。あっという間にビエンヌBienne/Bier(独語ではビール)に到着する。スイスの駅はどこも似ている。ビエンヌの駅舎外観もラ・ショード・フォン駅を連想させる。 駅前の案内所でオメガの所在地を確認する。2番か4番発のバスに乗れば5〜10分で到着するが、折角の訪問だ、ビエンヌの街並みを鑑賞する為にも散策がてら、徒歩でオメガまで向かうこととする。街頭の気温計はマイナス8度を示す。滅茶苦茶に寒い。それでも時間がある時は歩きに限る。自分の目線と時間で、様々な発見やら連想を楽しむことが出来るから。 ←左写真: おやおや、突然現れたのはあのZODIACの工房?ではないか。思わず突撃訪問を、とも思ったが残念、こちらも時間が無いので建物外観を拝むに留める。こうした偶然の出会いは楽しい限り。看板を見ると’MONTRES ANTIMA SA’はMICHELE WATCHES(MW) とZODIACの2ブランドを所有するらしい。後日調べると、ANTIMA社は1919年創業のデザイン企画・組立工房であったが2001年にFossilグループに買収されたらしい。成る程、ここでもグループ化の波に飲み込まれたスイス時計業界の一端を垣間見る気がする。 (オメガ博物館は一般『制限』公開されている〜) 前出、AP(オーディマピゲ)博物館同様にオメガ博物館は通常は『閉鎖』されている。予約者にのみ開放するスタイルを取り、その場合でも必ず専属ガイドが付く。つまり、入場料を払えば自由気ままに見学できるタイプの博物館ではない。ここに常駐している人もいない。入館料は無料。 ディーラーやら、業界絡み、商売絡みの団体さんなどが見学するケースが多いと言う。 今回の訪問者はこの『時計オヤジ』一人のみ。何とも贅沢。ヌーシャテル美術歴史博物館に引き続き、ここでもオメガ博物館を独占できるとは何ともラッキー。 (⇒右写真: 今回、ガイド役でお世話頂いたピーターさんPeter Schneider) ピーターさんにはオメガの歴史やらを色々と懇切丁寧にご説明頂いた。こうした直接対話をしながらの見学というのが時計博物館ならでは、である。つまり、ここはオメガの重要な広告塔でもある訳だ。オメガという会社の理念、哲学含めてじっくりと『先方主導型』で説明を受ける。オメガの展示品もさることながら、話は時計を超えてお互いの仕事や生活環境、文化の話にまで至る。こうしたピーターさんとの会話も非常に濃密で楽しませて頂く。 オメガ博物館は本社工場の道を挟んで反対側に位置する。 1階は大きな社食のような場所。博物館はこの可也古めかしい建物の2階にある。 1983年にオープンというから23年前のこと。なるほど、古めかしいはずだ。 2階にある博物館は3部屋から構成される。 @オメガの歴史を上映する映写室と機械計測機器中心の部屋、 Aオメガの傑作品・歴代コレクションの部屋、 Bサルバドール・ダリ作の8個限定小像時計やジュエリー調の時計から現代のフルコレクションまでの部屋、である。 オメガの歴史映像は日本語でナレーションがあるのは嬉しい限り。約20分の映画であるが、オメガ歴史の勉強には持って来いだ。しかし、この日本人女性のナレーションには何故かキツメの『訛り』が混じるのが不思議でもあり可笑しい。オメガたる大メゾンでも、プロのナレーターを使わないのであろうか??? (←左写真: まずは敬意を表して拝見。創業者ルイ・ブランの時計机〜) オメガの創業は1848年、ラ・ショード・フォンである。 創業者ルイ・ブランの当時の作業机がこれ。勿論、ホンモノであるがサラリと展示されているので注意しないと見落とすかも。 因みに、ルイ・ブランの2人の息子の時代、1880〜1882年に現在のビエンヌに本社が移転されている。19ラインの名作キャリバーが出来たのが1894年。フランソワ・シビエFrancois Chevillatが開発したものだが、このキャリバーがOmegaと命名され、以降全商品にオメガと記されている。 当時の従業員数は既に800人、年間24万個!もの時計を生産するスイス最大の時計メーカーになっていたというから驚く。100年以上前に、既に年産24万個とは現在のブライトリングの規模に略匹敵する。流石にオメガ、その歴史と懐は想像以上に深い。真のブランド、とはこういうものか。 改めて感心する。凄い。 (オメガと言えばスポーツタイミングの世界と切り離せない〜) 1932年のロス五輪で初の公式スポンサーとなったオメガは、以降、着実に世界にその名を広めることになる。最近でもオリンピック復刻クロノ・シリーズがリリースされたが、スポーツの世界を上手く利用したこうした販売・宣伝戦略は見事に的を得たということだろう。 現在ではSwatch Groupかセイコー、Rolexあたりの冠大会が多いが、仮に新興ブランドがオリンピックの公式タイムキーパーになれば俄然、面白いだろう。ではフランクミュラーがスポンサーになれるか、パネライや、IWC、ブライトリングが出来るかと言えば大いに疑問(期待はするが・・・)。会社の規模、戦略、開発体制、全てにおいてオメガは100年前から突出した存在であることが分かる。 (←左写真: こうしたタイムキーパー、計測機器にはワクワクさせられる〜) 8つ並んだスプリット式クロノグラフは電気式で稼動するようだ。 残念乍、機能の詳細は不明。CITIZEN・ツノグラフのようなGO&STOPボタンが左右で大きさが異なるところを見ると、左のボタンがスプリットクロノ用、右の小さなボタンがリセットボタンと思える。徳間書店刊『オメガブック』(絶版)93ページに説明がある懐中型ストップウォッチに酷似している。 (オメガの顔と言えばスピードマスターSpeedmaster〜) 男性であれば一度は身に着けたい時計、身に付けた時計であろうクロノグラフ。その代表格こそオメガのスピードーマスターSpeedmaster。通称、スピマス。この時計無しにはオメガの歴史も語れまい。オメガファン必見、スピマスファン必見である。 ←左写真: 1957年、ソ連が初めて人工衛星スプートニクを打ち上げた時に使用されたスピマス、アメリカのジェミニやアポロに使用されたスピマス。全てホンモノ。全て個人蔵の品々だ。 ←左写真: 最早、説明不要。アポロシリーズの宇宙服(注:等身大模型)の展示は迫力十分。 1969年7月。アポロ11号の人類初の月面着陸のシーンは今でも鮮烈に記憶している。 同時に西山千さん、鳥飼久美子さんらの同時通訳にも甚く感心したものだ。 上野の国立科学博物館で展示された『月の石』も見学した。 そうした懐かしい、あの時代の思い出がスピマスには完全シンクロする。 筆者にとってのスピマスとは、そんな日常生活の延長線上にある身近な時計だ。 デイトナみたいに価格が高騰しない、質実剛健な時計である点が好感度UPの要因だ。 注)雑誌や他レポートによってはこの宇宙服は本物とも紹介されているが、今回はPeterさんの説明をそのまま記載することとした。確かにジュネーヴ市内でみたディスプレイの模型とも似ているが・・・。 ⇒右写真: 恒例により持参したスピマス・オートマティックと記念撮影。 スピマス代表モデルは、何と言っても無重力でも作動する手巻プロフェッショナル(⇒特に裏スケモデル嗜好)であろうが、自動巻きモデルで、この三つ目銀色デイト付きの文字盤が筆者の愛でるスピマスである。 (ついでに言えば、ETAベースでも、カム式でもコラムホイール式でも文句は無い。最終的に『愛する時計』とは、そんなスペックをも超越した『雰囲気』にある。まさに愛着、自分が惚れ込める時計に巡り会うこと。そこに辿り着けばその人は『アガリ』のはず。アガった人は正直、羨ましい。迷いが無い潔さこそ『時計オヤジ』が求める理想だ。しかし時計好きな人間ほど目移り激しく、新旧モデルへの興味感心も尽きぬ。この世には自分の要求を満たす完全なる時計などは有り得ない。それだからこそ真剣に悩むのであるが、その悩みも程ほどにしないとキリがない。と、自分に言い聞かせているのだが・・・。 2006年、今年のバーゼル&ジュネーヴ新作では新型脱進機が各種発表され、かつてない充実した革新の年となる。しかし、そうした機械は超高額商品にしか搭載されまい。手の届く一般モデルにまで下りてくる可能性は向こう10年以内では極めて低いだろう。2001年登場のユリスの『フリーク』でさえ、未だに搭載モデルの拡大などは想像も出来ぬ状態だ。各メゾンの技術開発力誇示の為の新型脱進機開発競争、、、その点、オメガのコ・アークシャルは当初こそ高値(それでも100万円以下!)であったものの、今や実売20万円前後のモデルまである。僅か5〜6年でここまでの普及に踏み切ったオメガの英断と企業エネルギーに感心しきりである。脱進機はまだまだクラブツース式が主流。そこに少量ながらオメガのコ・アークシャルが割り込んできたのが現実である。これ以外の新型脱進機の量産化への道程は長く険しく遠いのだ。 (オメガの真打、コンステレーションも宝庫宝庫の垂涎モノが氾濫している〜) もう言うことは無いね。 歴代コンステの全キャリバーがずらりと並ぶ。 特に1950〜60年代の黄金期の特徴である赤金メッキされたキャリバーは壮観、綺麗。 最近のF.P.ジュルヌ製の18金プレートキャリバーを連想する。 地板の形状、大き目のテンプ等を見ていると効率よく生産・組立が可能で、精度も出し易いコストパフォーマンスに優れた機械という感じだが、一方では大量生産らしく、現代のジュネーヴシール規格等とは程遠い仕上げである(当然だが)。 各キャリバーやモデルの下には番号札があり、そばにある『台帳』でその詳細を読み取ることが出来る。オメガファンならずとも、一日ここにいても飽きることはあるまい。 ←左写真: 名作Cal.505、551/552、561、564/565等が居並ぶ。 こうしたキャリバーとの遭遇はまさに至福の時間。 ビエンヌまで来た甲斐があったというもの。 マイナス8度の厳寒なんぞは苦でも何でもない。 ルーペ、単眼鏡、超接写可能なデジカメの携帯は必須。 (クロワゾネ文字盤には溜息。ヌーシャテル天文台?が誇らしげ〜) こういう時計を見ると、やっぱり時計は『顔が命』だなぁ、と感じる。 デザインバランス8割、中身(ムーヴ)2割、が持論だ。 理屈はいらない、美しいと感じる時計が一番魅力的。 このクロワゾネはまさに芸術の域にある。天文台を囲むグラデーションの発色も見事。 1954年製、17石、ハーフローター、CAL.354搭載。 『時計オヤジ』が生まれる以前の時計ということにも魅かれる。 |
(オメガ本社にちょっとばかり『チラ見潜入』する〜) ガイドのピーターさん情報では、向かいにあるオメガ本社内の売店でオメガの各種アメニティが買えるというので早速訪問してみた。 ←左写真: これがオメガ本社の受付。建物に比べれば質素で小さい。らせん式階段の天井からは分銅付きのワイヤーが垂れ下がっている。そのフロアには丸でローマ時代のモザイク壁画のような十二支の円形絵模様が。雰囲気たっぷりの受付である。 ←左写真: そのらせん式階段を下から覗くとこうなる。 ローマ・ヴァチカン博物館の階段、PATEK博物館の階段やらを連想させる。 いいね、いいね、こうしたノスタルジーな雰囲気はオメガにぴったりである。 ←左写真: エレベーターに乗り、案内された場所にはこうしたアメニティが無造作(失礼)に在庫されている。定番のオメガCAPやら、アーミーナイフ、ジャケット・Tシャツ類からスカーフまで何でもござれ。ここで『時計オヤジ』が購入した物は、何と・・・。 ご想像にお任せする。 |
←左写真: 道を隔ててオメガ博物館の反対側は、斯様なオメガ本社の正面玄関。 生憎、オメガ本社工場(この規模は明らかに工房ではない!)訪問は叶わぬが、それでもオメガ博物館と『チラ見本社潜入』で十分満足だ。 それにしてもオメガ工場は、一見して時計工場(工房)とは思えぬ規模、大工場である。 2008年で創業160年を迎える。この間の総生産個数は6000万個を超え、15000モデルにも上るという。現在ではSwatch-GroupでNo.1の売上を誇り、同グループの25%を占める。 まさに横綱。 まさに老舗オメガたる所以である。(2006/10/14UP) (最終章、その10 『旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』へと続く〜) (2006/10/21)加筆修正。 (時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等) ⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら。 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら。 ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら。 ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら。 ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら。 ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら。 ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら。 ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら。 ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら。 最終章 ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら。 『ちょい枯れオヤジ』のオメガ関連WEB: 「OMEGA CONSTELLATION CAL.564 12角ダイアル」はこちら。 「OMEGA CONSTELLATION CAL.564 ジェラルド・ジェンタモデル」はこちら。 「OMEGA SEAMASTER GENEVE CAL.565」はこちら。 「バンコク、再訪!」OMEGA購入記はこちら。 「トルコのグランドバザールで12角・黒文字盤と遭遇する」はこちら。 『オメガ、新旧12角ダイアル・デザインの妙』はこちら。 (時計オヤジの『2002年スイス時計巡礼』関連のWEBはこちら) ⇒ 『極上時計を求めて〜ジュネーヴ編』はこちら・・・ ⇒ 『ヴァシュロン博物館探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『パテック・フィリップ博物館探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『フランクミュラー、ウォッチランドWatchLand探訪記』はこちら・・・ ⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(T)』はこちら・・・ ⇒ 『ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fond聖地探訪記(U)はこちら・・・ ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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