〜AP、BLANCPAINの本拠地、厳寒のル・ブラッシュLe Brassusにて。 森の向こう側はもうフランスだ。写真にある教会の鐘の音が、ミニッツリピーターの音色のように聴こえて来る。 まるで中世ユグノーの世界へタイムスリップしたかのように。 氷点下10度の世界で凍える『時計オヤジ』は、 あの『時計師ホテル』(Hotel Des Horlogers)で英気を養うのだ。 (JAN.12'06撮影)〜 |
(いよいよ山越えだ。本拠地の『時計聖地』へと乗り込む〜) フランクミュラーWatchlandの見学を終え、受付でタクシーを呼んでもらう。 行き先はWatch Valleyことジュウ(ジュラ)渓谷。 時計作りのメッカたるVallèe De Jouxである。 ジュネーヴ市内とは反対方向、それも約1時間をかけての雪深い山越えである。 どのタクシーでも即OKとは行かない。待つこと10分、ルノーのステーションワゴンが到着した。 頼りなさそうな『文字だけのナビ』が一応は付いているが、運転手はプロだから問題なかろう、と思ったのは大きな間違い。途中、2度も道を間違える有様。こちらは初めての『時計オヤジ』だが、そこは『予習』の効果が表れ的確な指示を出す側に回る。フランス語、英語を交えての珍道中が続く。おいおい、本当に大丈夫だろうな、この運転手は、とちょい不安げな『山越えオヤジ』である。 (⇒右写真: 右側へ行くとニヨン。今回のル・サンティエはその反対方向。ここからが山越えの正念場。次第に雪深い光景へと一挙に変貌する。。。) 山越えを終えると、標高約1,000m。そこは一瞬だがフランス領内となる。 そう、ジュラバレーとはまさにスイスとフランスの国境地帯にあることを実感する。 チェックポイントではフランス語で、『ここはフランス領内』という看板やら仏側の警備隊も見られるが緊張感は無い。国境沿いに住む地元の人にはごくごく当たり前の光景である。島国暮らしの日本人には極めて珍しい光景に映る。 (←左写真: 急な山越えを終えると、そこは一面の広大な銀世界。 クロカンスキーを楽しむ人々、生活上、必要上からスキーで 移動する人々が目に入る。 気温は既に氷点下5度。一体真夜中には何度まで下がるのであろうか?) (約一時間のドライブで時計師ホテルに無事到着〜) 2006年1月11日、午後4時過ぎ。 ル・ブラッシュの時計師ホテル、ことHotel Des Horlogersに無事到着である。 因みにタクシー代はTIP込みで250スイスフラン。こんなものだね。 タクシーを出ると肌が切れるような冷気を感じる。 ホテル前の路面、玄関は凍結状態。ホテルも氷柱(ツララ)の柵で覆われているようだ。 このホテルを知ったのは『クロノス日本版(創刊号)』120ページの記事だ。 スイスには何とも洒落たホテルがあるものだと、見た瞬間に訪問を決意したのだが、果たして本当に辿りつけるのかは半信半疑だったのが正直なところ。 その紹介によると、AP(=オーディマピゲ)がホテル経営&プロデュースを行っているらしい。 そうでなくては、こんな洒落たホテル名も付くまい。見た感じは、大き目のロッジ。隣にはAP本社屋が鎮座する。ブランパンやらブレゲも直ぐ側にあるという。 1月の厳寒にも拘わらず、こちらの気持ちだけはHOTで、何故かニコニコ顔だ。 (⇒右写真: 受付のサンドラさんを記念撮影。 年代モノの時計工具が無造作に置かれているのがニクイ!!!) 今回の宿泊に際して、色々お世話になったのがこのサンドラさん。 電話やEメール含めて種々相談に乗って頂いた。個人旅行の醍醐味はそうした事前の準備から始まっている。土地勘も無く、右も左も分からぬまま、ましてや観光ガイドも何も無い土地を初めて訪問するのは不安であるが、逆にそれが大きな楽しみにもなる。 ジュネーヴから電車での移動も考えたが、丸半日がかりとなることが判明。 やはりこうした辺境(失礼!)においては車での移動が正解である。 (←左写真:) ホテルの会議室やらサロンにはこうしたお洒落な名前が付けられている。『サロン・トゥールビヨン』やら『サロン・クロノグラフ』、『デュアル・タイム』なんて聞いただけで心ワクワク。どんな名前を見つけることが出来るか探してみるのも楽しい。 このホテルの楽しみはもう一つ。 有名シェフ、フィリップ・ギニャールPhilippe Guignardによるレストランが入っていることだ。フレンチスタイルの夕食をこの後、たっぷりと堪能させて頂く。 これがまた何とも悦楽の時間であるのだよ。 (← 写真左:) 右手前が『時計師ホテル』。 左手奥に見える建物はAPこと、オーディマピゲ本社ビルである。 このようにAPと『時計師ホテル』は隣同士ということがわかろう。 2005年3月に開業したこのホテル。 恐らく、時計をモチーフにしたホテルとしては世界で唯一ではあるまいか。 エレベータードアにはムーヴメントの写真が全面にプリントされている。 廊下には所狭しと時計の図面やら写真が額に入って飾られている。 のんびりゆったり廊下を歩く訳には行かぬ。自然と全ての額、一枚一枚を食い入るように見入ってしまう。 時計フリークにはまさに天国のホテル。 こじんまりしているが本当に楽しいなぁ〜、このホテルは!!! (丸で体育館?丸でウナギの寝床?APの本拠地がここにある〜) ル・ブラッシュ訪問の目玉は@このホテル滞在と、AAP本社博物館訪問である。 スイスの冬は朝が早い。そして、その早さは半端ではない。 この『時師ホテル』の部屋から、AP本社も良く見える。 朝、6時過ぎ。APの駐車場がグングン埋まってゆく。何だ、何だ、この早さは!? 6時過ぎでは辺りはまだ真っ暗。と言うこちら側も何故か起きているのだが、面白いほど出社する人が多い。車を降りて、凍結した駐車場で滑りながら本社屋に歩いてゆく人々。 そんな、単なる日常の一齣を垣間見るのも現地ならでは。。。 (夕食前に厳寒のル・ブラッシュを散策する〜) 外に出ると本当に寒い。 持参した温度計では氷点下10度。筆者にとって、初めて体験する気温である。 夕方の5時。路面は終日、凍結常態、肌には突き刺さる冷気が容赦ない。 明日の気候も、(移動の)時間配分どうなるか読めぬ段階では、出来る限り前広な行動を取るに限る。 よっしゃぁ〜、ブランパンを探しに行こう、と、サンドラさんから聞いた道順を行くが迷うこと頻り。こうなったら最後の頼りは自分の記憶するブランパン本社外観の写真、建物だけである。 (← これがブランパンの正面玄関。有名な『3段式』階段だ〜) 松本零士著、「時の歯車〜機械幻想スイス紀行」(NHK出版)によれば同氏が訪問した際(=1995年5月)はこの3段式の階段はボロボロに壊れたままであった。それが今や見事に、より広く、より使い易く改装されていた。因みに当時、永澤琢夫氏もこのブランパンで3年間の基礎教育終了直後であったという。フィリップ・デュフォー氏に憧れてスタートしたスイスでのキャリアも、今や名工の域に近づきつつ日々奮闘されていると聞く。現在は、かのBNBで時計製作を行っているそうだが、いち時計ファンとしても更なる健闘を心より祈りたい。 1735年創業のブランパン。長い休眠状態から蘇ったのが1983年。それ以来、『クウォーツは作りません』のフレーズで有名なPRが印象的。その時計のデザインも全体的に極めて質素、という表現が当てはまる。生憎、アポも無く、夕方でもあり中を覗くことは出来なかったが、建物外観はクリーム色と白色コンビで大変柔らかい色調だ。周囲の雪景色にも程よく調和している。夏でも、冬でもこうした周囲の自然に溶け込んだ建物が何ともいい雰囲気だ。 そして、ブランパンの直ぐ隣が何とスキー場となっている(⇒右写真)。 ケーブルワイヤー式リフトで、自分でワイヤーを握って登るスタイルのゲレンデは子供達で賑わっている。自宅から徒歩の距離に全てがある。日本ではまず考えられないであろう、こうした環境。 そして、こじんまりとしたブランパンの本社屋。 全ての概念、環境、人々の生活様式も日本とは全く異なるこの地でブランパンも製作されているのだ。 大自然の中で『時計オヤジ』はただただ感無量。そして、とにかく極寒、クソ寒いのである!!! (寒さを癒すのは地下にあるこのジャグジー〜) 地下一階相当にはジャグジーや簡単なジムの設備もある。 窓からは一面の銀世界。ここにワインも持ち込み、暫し、CWO(=Choi Waru Oyaji)を気取る。 そういえば、LEON8月号でもジローラモがこのホテルに泊ったレポートがあったなぁ。 このホテルの周囲は何も無い平野のみ。まさに田舎の中のロッジ。 のんびり自然と戯れ、本でも読んで、フレンチを食す。 動きまわるだけではない、何もしない時間こそが贅沢。 凍えた身体には本当に至福のジャグジータイムである。 |
(このホテルのもう一つの看板でもある”フィリップ・ギニャール”Philippe Guignardで夕食を楽しむ〜) 午後6時には外は真っ暗となる。 ジャグジーの後、まずはホテルバー”Spiral”(ひげゼンマイ)でビールを楽しむ。 『時計オヤジ』は”Spiral”でまさしくゼンマイ・オヤジとなる。 ワインもしこたま満喫しつつ、それでは、と注文したのがこの3品。 まずはパンプキンの冷製スープ。お味は上品。まさにフレンチである。 筆者のお気に入り。 エスカルゴのガーリック焼き。 酒の肴、として持って来い、である。 おやおや、ここで御婦人の団体さんが入ってきたぞ。 どうやら、ル・ブラッシュ村の婦人会の夕食会をこのレストランで始めるようだ。 レストランは俄然、慌しく、喧騒の度合いを増してきたな。 メインはリゾットの上に、骨付き子羊のモモ肉ロースト、赤ワインソース和え。 ボリュームはタップリ、これが無茶苦茶に美味。 羊肉の香ばしさがソースと上手く調和してあっさり系リゾットがより引き立つ。 この頃には酔いも回り、CWOこと『時計オヤジ』は、かなりご機嫌。 窓から眺める静寂な白銀世界も、メルヘン世界?へと誘う。 それではコーヒーはシガールームで楽しむことにしようか。。。 |
(食事の後はシガールーム兼、バー兼、読書スペースでもある”サロン・トゥールビヨン”で一服する〜) ここのサロンも重厚である。 革張りの椅子に身を委ね、愛用のシガーをゆっくりと楽しむ。 本棚には各種時計の本や、AP、ブランパン等のカタログも鎮座する。 勿論、ここでも時計工具が各種飾られている。 そんな中で、目に留まったのがブレゲに付いて書かれたフランス語版『BREGUET』。 これが面白い。写真、図解入りでブレゲの歴史から、ブレゲ歴代の逸品の開設がギッシリ詰まっている。仏語であるが、それなりに理解に努めるCWOこと『時計オヤジ』である。1時間などあっと言う間に経過する。 サロン・トゥールビヨンには他にも数々の書籍があるので、時計好きにはかくも楽しく隠れ家、也。 (← これが終点、ル・ブラッシュの鉄道駅〜) この汚い、古い、まるで一見すると納屋にも見間違うのがル・ブラッシュの駅である。 単線の鉄道は、ジュラバレーを一直線に走る。但し、途中Le Day駅で乗り換えないと幹線には出れない。 通学に子供達が愛用する愛しき田舎のローカル線であるのだ。 ここの切符自動販売機を使うのもコツがいる。 決してここからベルンやらジュネーヴまで切符を買わぬこと。 お金を入れても反応しません。何故かって?それは現地でとくとご自身でお試しあれ。 (その7、『AP博物館探訪記』へと続く〜) (時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等) ⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら。 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら。 ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら。 ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら。 ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら。 ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら。 ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら。 ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら。 ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら。 最終章 ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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