時計に関する随筆シリーズ (49)

『Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼記』 (その7)

『AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 
〜ル・ブラッシュLe Brassusにて〜





AP、BLANCPAINの本拠地、ル・ブラッシュLe Brassus。
信州の寒村、という風情の小さなこの町からウォッチバレーこと『時計聖地』が始まる。
普通の旅行者はまず来ない場所、ガイドブックにも載っていない場所、
日本人など(多分)一人もいないこの場所こそ、『時計オヤジ』が魅惑される『時計聖地』であるのだ。



(時計聖地こと、ウォッチバレーとは〜)


スイスにジュラ地方、という場所がある。
ジュラJuraとはフランスとスイスにまたがる山脈名。延長約300キロメートルある。
考古学で言うところの中生代の真ん中の地質年代、今から約2億年から1億4千万年前の時代をジュラ紀と言う。
この時代、ジュラ地方はシダ類やイチョウ・ソテツが繁茂し、陸上では爬虫類が全盛を極めた時期であり、中生代末期からは恐竜が闊歩する時代となる。そうした化石類がこのジュラ山脈から発見されたことが『ジュラ紀』命名の語源とされる。

恐竜と時計産業。

現代では全く想像も関連も付かない両者であるが、現在ではこのジュラ山脈に沿って『時計聖地』が続く。
筆者なりの定義では、ウォッチバレーとは狭義においてはジュウ湖、ヌシャテル湖そしてビール湖左岸のジュラ山脈側、即ちこル・ブラッシュLe Brassusを起点とし、フルーリエFlurierからヌーシャテルNeuchatel、ル・ロックルLeLocle、ラ・ショード・フォンLa Chaux-de-Fondsまでを指し、広義では、さらにオメガの本拠地たるビエンヌBienneやバーゼルフェア開催地で有名なバーゼルBasel、IWC故郷のシャフハウゼンSchaffhausenまで含む地域も該当させたい(⇒何を言っているか理解できない方は是非とも、スイスの地図をご覧頂きたい。因みにスキーのメッカ、アルプス地方はジュラ山脈、時計聖地から南部に広がる。)



少々乱暴な括りであるが、ジュネーヴを起点として、ジュラ山脈に沿ったフランスとドイツ国境側の地域全体を指し、終着点がチューリヒの地域がスイス時計産業の中心地、とでも理解すれば良かろう。そもそもスイス全土がある意味、時計聖地。そしてその代表地域が上述のジュラ山脈肌側、更にコアなる『本場時計聖地』、であるのだ。(より探究心ある御仁は、スイス時計産業史やフランスから逃れてきたユグノーの歴史を辿ると宜しい。)

←左写真:こちらが3棟あるAP本社社屋のメイン玄関でもある。こちらは1907年以降、増築&改築を重ねて今も現役バリバリの工房である。
ちょっと見、グラスヒュッテのランゲ&ゾーネ工房(⇒右写真)に似ているね。













(オーディマ・ピゲAPの名作、ロイヤルオークについて〜)

(⇒右写真。2006年5月、ドバイのAP直営店にて撮影。ミラノのモンテナポレオーネにもAP直営店が新設され世界攻勢が著しい。)

最近、オーディマ・ピゲ(以下、AP)の時計が脚光を浴びている。ロイヤル・オークがその中心であるが、確かにそのベースデザインはROLEX同様に普遍的な魅力がある。しかし、ROLEX(DJ)を柔とすればAPは硬派のイメージが漂う。エッジが効き過ぎたケースとブレス、ケース&ベルト前面や、ラグ・ブレス上のヘアライン処理は筆者の嗜好とは全く異なるが、中身の最新自社製キャリバーCal.3120は文句無く気に入っている(36mm系に積まれるCal.2325=JLC製36石、も古い設計だが如何にもJLCらしい仕上げで◎である)。ケース径約40mmは少々大きいが、スポーツ系のブレス付時計と考えれば許容限度ギリギリ一杯であろうか。但し、スポーツ系時計を標榜するのであれば防水性能が50mしかないのは、少々物足りないと言わざるを得まい。ともあれ現在のAPの看板娘、世界中で認知度を上げつつあるAP牽引モデルであることには間違いない。

2005年時点でAPの年間生産本数は約24,000個。数量としては可也少ない部類だろう。手間隙かけてます、という声が聞こえてきそうだ。そしてその半分がロイヤルオーク系である。ケース素材としてはSS、及びSS/18Kのコンビネーションがトレンドセッター的な存在である。恐らくROLEXも数量的にはDJ系列が一番多いのではないかと勝手に想像するのだが、APにおけるロイヤルオークもまさにそうした中心選手、不動の4番バッターかも知れない。(因みに筆者推定では、年間生産本数はROLEXがダントツで約70万本、VCがAP同様2万本内外、PATEKで2.5〜3万本、フランクミュラーが5万本、である。オメガは多分、ROLEX以下で30〜40万本位、ブライトリングは20万程度ではないか。全て根拠は無いので悪しからず。間違いあれば後日、訂正予定。

ケースデザインはご存知、御大ジェラルド・ジェンタによる。
更に氏が手掛けたかったブランドとして秋波を送ったのがROLEXらしいが(実現せず)、APとROLEXを好敵手と位置付ける事も価格帯こそ違えど左程、はずれていないと思っている。





(AP博物館はガイド付きでみっちり2時間コースである〜)


←左写真:こちらが今回、AP博物館の案内役であるミシェル・ゴレイ氏Michel Golay。見た目、強面の御仁であるが、終始丁寧なる説明を2時間に亘って頂いた。

同氏は1984年にAP入社後、主にインド市場の新規開拓に奔走したそうだ。その後、インドは自国製品の保護関税を導入した為、APとしては苦しい時代を送ったという。ゴレイ氏は現在、AP博物館の担当をされている。彼の左手首には新型ロイヤルオークの18Kピンクゴールド製黒文字盤の茶色クロコ革(Ref.153000R.00.D088CR.01)が装着されていた。もしロイヤルオークを買うなら筆者もまさに同様な選択であるがゆえに、時計を一目見てこちら側の気分も和む。まさに長年に亘るAPセールスマンとしての勲章がこの18金製『桃金黒文字盤』のロイヤルオークであろう。思わず『お疲れ様でした』、との気持ちがこみ上げて来るのは業界を超えて同じ海外経験を持つ者同士である所以か・・・。









(APの本社ビルは1875年創業時から続く〜)

さて、上記写真のAP本社玄関をくぐるとそこはこじんまりとした受付があるのみ(⇒右写真)。
フランクミュラーもそうであったが、かなり質素な受付である。ヴァシュロングラスヒュッテ・オリジナルの新社屋のコンセプト・雰囲気とは丸で異なる。

注意すべき点はAP博物館は一般には非公開であること。
写真撮影も禁止、であるのが誠に残念。

博物館見学をご希望の御仁は、事前にAPとのアポ取得を薦める。工房(工場)内部は完全に非公開だが、博物館2階にはガラス越しでワークショップを見学出来る仕組みが嬉しい限り。見学者は自由に一人で見る事は許されない。必ずAP担当者が付き添い、APの歴史や企業理念の説明を受けながら見学するというスタイルだ。つまり、ガイド付き完全ツアー、ということ。APの哲学を主張することには労力がかかる。2時間をかけてじっくり理解してもらう。これが一般非公開の理由である。

この博物館は1875年の創業当時の創始者の一人であるジュール・ルイ・オーディマJules Louis Audemarsの住居兼工房であった由緒あるAP生誕の地、だそう。1階は4つの展示室に分かれている。
最初のボルドーの部屋はAPの外観について、1992年のロイヤルオーク誕生20周年を記念して設立されたAP森林保護財団についての説明(ロイヤルオークでかなり稼いだ恩返しかな?)。グリーンの部屋はAPの歴史について。2つの青の部屋は技術的な展示中心である。2階は更に製品の歴史展示やワークショップが併設され、3階にはクロノグラフやら歴代のコンプリケーション等が展示されている。

現在、ル・ブラッシュの本社工場では約350人が働く。ケース専門工場はジュネーヴにも構えているという。意外であり、当然でもある。意外に感じた理由は当初、APはこの地で一貫生産をしていると思ったから。当然と感じたのは、スイス時計業界はそもそも分業の上に成り立っており、大手メゾンとは言えども、いや大手になれば成る程、マニュファクチュールと分業路線の2大潮流に経営路線が分かれる傾向にあるからである。APはマニュファクチュール路線を目指すが、まだグループ内や協力部品メーカーとの提携が必須であると見た。AP最大の強みは、ル・ロックルに構える頭脳集団たるAPルノー・エ・パピ=R&D部門を抱えることだろう。




(博物館の圧巻はその展示品と歴史を垣間見ること〜)

写真が無いのが残念であるが、以下、記憶に残った説明や商品を列挙すると;

●1740年くらいからこのジュウ地方で時計生産が開始された。
  標高1,000メートルで何も無い場所であり、農家の主な生計はチーズ・ミルク、牛肉や
  森林伐採が中心。冬場に時計生産を行い、春になると製品をもって行商に出かける
  生活であったそうな。
●APの歴史:
 1925年 フラットポケットウォッチ生産#SVF17''' #5 1.32mm
 1927年 最小のキャリバー使用(ルクルト製)
 1946年 厚さ1.46mm手巻キャリバー開発(Piaguetの1.10mmでは薄すぎて壊れ易い)
 1967年 自動巻き開発(21金センターローター使用)、#2120 2.45mm
 1970年 DATE付き#2121 3.35mm開発
 1974年 クォーツ(年差±12秒)開発
 1986年 腕時計トゥールビヨン開発 自動巻き#2870
       (⇒右写真: 1986年製の初の自動巻き式トゥールビヨン、ムーンフェイズ付き。
                ラ・ショード・フォンの国際時計博物館にて展示中。薄型、質素だ。)

  
● 1925年製の懐中時計コンプリケーションは5個のみ生産。
  3個はPATEKに納入、1個はオメガに、残り1個はAP博物館蔵である。
● グランドソナリ(毎時正午に鳴る)は2バレル使用。ソナリは1バレルである。
   この音色を実際に聞かせて頂いたが、まさに感動もの。

と、まぁ、とてもではないが拙い記述では表現出来ない。
全体にAP製品の雰囲気としては、大変デリケートで繊細なドレスウォッチを長年作り続けて来た印象が強い。
その最大の歴史的変換はコンプリ発表でもなく、トゥールビヨン開発でもない。
1972年にプロトタイプが発表されたロイヤルオークの登場ではあるまいか。今で言うところのラグジュアリー・スポーツ、ドレス・スポーツモデルの先駆者であるが、多分にライバル意識したのはROLEXであると筆者は推測している。





(APではCOSCクロノメーターは生産していないのをご存知か〜)

APにはクロノメーター規格モデルがない。
社の方針としてCOSC規格は取得しないそうである。COSC規格品とNON-COSC品で差別したくない、差別されたくない、というのがその理由らしい。それではCOSCに代わる様なAP規格があるか堂かは不明である。JLCの1000時間マスターコントロール、SEIKOのGS規格のように社内規格を設けているメゾンは分かり易いが、今後APとして精度を謳い文句にする為にどのような手を打ってくるか楽しみである。


(←左写真: 
まるで体育館!?2000年に増築された現在の母屋、アッセンブリー工房が見える)









ゴレイ氏との濃密なる2時間はあっという間に過ぎた。
APは現在ではリシュモン系列に属するが、長い間、完全なる独立系でPATEKにも似た経営風土を持っている会社ではないかと感じる。PATEKは博物館しか知らないが、VCも加えてこの3者には何か底流で共通する姿勢、哲学のようなものを感じる。
いつかそうした雑感を集大成として総括したいと考えている。

(右写真⇒:)
博物館を出ると、AP本社反対側にはこのような看板が。
ゴレイ氏所有のROの桃金黒文字盤モデルと同じポスターである。
この時計はかなりゴツイが、人生の晩年に、いやサラリーマンとして長年勤め上げた晩年に自分へのご褒美として締めくくる時計としてゴレイ氏が選んだ『自社と自分の誇り』である。



さてさて、自分の場合、最終的にはどの1本を選ぶのであろう?
やはり、ラジオミールのPAM00062か、ROLEXのDJか、はたまた手巻GOパノリザーブか、8日巻きJLCか、#2851トノーか、金無垢コンステかLUCか・・・。ゴレイ氏とAP、そして『時計師ホテル』とル・ブラッシュに別れを告げ、単線のル・ブラッシュ駅から次なる目的地へと出発する『時計オヤジ』である。厳寒のル・ブラッシュ、来て良かった。(2006/09/09UP)


(その8、『ヌーシャテルでパネライ門前払いを食らう編』へ行く前に、
      『ベルンBERNでチーズフォンデュを食すの巻』に続くのだ〜)


(2006/10/19)1986年製、薄型自動巻き式トゥールビヨンの写真を追加。
加筆修正(2006/10/31)。



(時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等)

⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら
 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら
   ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら
    ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら
     ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら

       ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら
        ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら
         ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら
          ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら

    最終章   ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら


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