時計に関する随筆シリーズ (46)

『Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼記』 (その4)

〜 新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記 〜
(ジュネーヴ探訪編)





いよいよスイス時計界の大御所登場、である。
プラレワットPlan-les-Ouatesのヴァシュロン新工場は2004年に完成したばかり。
既に時計雑誌各誌でも報告にある通り、最新鋭の設備を有する。
さてさて、訪問を許可された『時計オヤジ』も思う存分に新工房を見学させて頂く。
何度見ても、どの時計工房を見ても『毎回感動、新た』、である。

(上写真↑) 2001年に完成したご存知、20石の手巻キャリバー1400の拡大模型。
このブリッジ形状、如何にもスイス老舗らしい仕上げはあるまいか。
大き目のテンワが気分である。 (2006/1/10 15:45撮影)



(ヴァシュロン新工場の住所は何と、『トゥールビヨン10番地』〜)


ご存知、ジュネーヴ市内のイル島にあるヴァシュロン本社ブティック。
ここで2005年11月訪問時にジャクリーン嬢からお誘いを受けて以来、是非とも訪問をと夢見ていたヴァシュロン(以下、VC)の新工場。それから僅か3ヶ月後にに訪問が実現した。2006年1月9日(月)がクリスマス休暇〜新年の長い休みから目覚めたVCの今年初日である。工場中が新年の息吹でガサガサしている、その二日目の訪問である。

ジュネーヴ市内から車で約15分。住所は何と『トゥールビヨン10番地』!!!
新興工業地帯の様な場所で、このVC工場の周りはガランとした空き地(所有地?)である。
直ぐ傍にはROLEXの工場も見える。丸で工場誘致の為には何でもアリ、のようで、住所もお好きな名称をど〜ぞ、ということなのだろう。

正面玄関受付で訪問の旨を告げると、今回の案内役を務めて頂くマスターウォッチメーカーのヒルナーさんの登場である。今回も、怪しいアジア人の『小さな顧客』を相手に、懇切丁寧に応対して頂いた。VCのその懐の深さに改めて御礼である。

(←写真左: Technical Trainerの肩書きを持つヒルナーさんは1995年入社。オーストリア国籍の長身マイスターだ。まずは記念撮影する『時計オヤジ』は、工場見学を前にして既にアドレナリン放出状態!?)。





⇒右写真: 一階のロビーには不思議なオブジェが〜)

右写真中央にあるグリーンのガラス製物体は地下一階まで続いている。
地下一階には水が張ってある。そう、これは水時計のガラス水槽なのだ。時間を示す目盛が刻んであるレベルまで水が溜まると、一挙にその水が下の水槽へと流れ落ちて、時間を表示する仕組みだ。実際に水が流れ落ちる瞬間は中々迫力がある。老舗ならではの洒落たシステムではないか。

ロビーから天井まで吹き抜けになっている建築構造は、ドイツのグラスヒュッテ・オリジナル本社工場と酷似する。スイス・ローザンヌ生まれの建築家バーナード・チュミ(Bernard Tschumi 1944〜)による独特の設計が光る。洗練されたこの建物は素人の『時計オヤジ』にも一目でタダモノではないと感じるノダ。建物の多くにガラスを多用してあり、外の景色まで見えるところがグラスヒュッテ・オリジナルのそれとは決定的に異なる。そう、グラスヒュッテは中庭のような室内空間であるが、VCはブランドの透明性、企業の透明性をより主張しているようで、『250年の歴史に胡坐をかかず、生まれ変わって頑張ります!』とでも言うべきメッセージがこちらにも伝わってくるゾ。





(いよいよVC工場に『潜入』である〜)

時計製造現場における大きな敵が、塵・埃・静電気である。
床はフローリング製で視覚的ぬくもりと、雑音の発生を考慮している。そして見学者には専用の白衣と靴用のホコリ除けオーバーシューズ着用が義務付けられている。早速、『時計オヤジ』も専用ルームで着用を指示された。

(←左写真: 防塵白衣を着用した『時計オヤジ』。あらら、裾がちょっとめくれてしまったね。)

フロアにはガラスが多用されていることから、色々な場所・セクションが良く見える。
自然光を十分に取り入れた、如何にも近代建築デザインの粋を表現したような最新設計であると共に、企業の解放性、社会への接近を意図するVCの企業理念が理解できる。今や、会社の建物そのものがその会社・経営陣の社是・哲学を物語る時代である。VCはそれをよ〜く実践している。

VC新工場は日本式で言う4階建てである。
1階は、アッセンブリー工房。2階がCEO、Administration(本社経営・企画・本部機能)、3階はレストラン。所謂、『社食』であり、4階が会議室・応接室となっている。今回は、その1階にあるアッセンブリー工房を見学させて頂く。




(いつ拝見してもワクワク・ドキドキのアッセンブリー工房〜)


時計の理想の買い方。
それは、まずは一目惚れ出来るデザイン力が時計に宿っていること。デザインを最優先するところが筆者の哲学。
そして、デザインを内面から支える頭の良さ、つまりムーヴメントの出来映えだ。
3つ目が、そのブランドの哲学に共感出来る事。4つ目を強いて言えば、その時計の製作現場を訪問し、自らの『五感』で『プラスα』を体感し、自分なりの納得感・満足感を得ることであろう。この公式は時計には許される。女性に同様の基準で臨むと大変な結果になるぞ。

この歳になって感じるのはどの時計で死ぬか、という命題について。
はっきり言って『時計オヤジ』は若くない(そんあこたぁー、誰しもわかってるだろうけどね)。現在のWEBタイトルは何とも軽い響きであるが、いつか副題を設けて自分の理念を更に昇華させたいと思案しているところだ。その為には自分自身のチューンナップ、一層の熟成が必要な『時計オヤジ』である・・・


閑話休題。

ヒルナーさんによれば、VCの年間生産個数は現在約15,000。これを近い将来、5万個に引き上げる計画だそう。
実に3倍以上、、、 並大抵の目標ではない。現在のVCが3つあっても足りないのだ。これがVCの考える10年後の経営Vision、目標とみた。新社屋建築、ジュネーヴ市内のメゾン・ヴァシュロン・コンスタンタンのリニューアルが成った以上、残る目標はこうした『定量』であり、これに複雑時計や自社ムーヴメント開発の『定性』が加わるのだ。大変、分かり易い企業戦略である。しかし、問題はその実現にあろう。高級時計市場は今後とも拡大の一路を辿るのであろうか?私企業の宿命として成長路線、拡大路線を狙うことは不可避。それでも工芸品・美術品の域にもあるジュネーヴ・シールクラスの時計を『大量生産』することは可能だろうか?はたまた必要であろうか?


VCのアッセンブリー・フロアは大別して6部門に分かれる。
@外部調達部品の検品ルーム Aアフターサービス、OVH部門 Bアッセンブリー部門(レギュラー時計) Cアッセンブリー部門(複雑系) D完成品チェック Eパーツストック&検査部門、というところだ。



(←左写真 2枚〜)


ご存知、ペルラージュ紋様を施す女性技術者。
スタンピング式の機械を使い、一つの時計当たり約600個!!!のペルラージュを細かくスタンピングしてゆく。まさに精神集中の作業である。

地板に細かく押されたペルラージュを見れば、その大きさで手間隙のかかり具合も分かろうというもの。

安物品、手抜きをすればペルラージュはそれなりに大きくなるのだ。細かいペルラージュになればなるほど、デザイン上のバランス取りも難しい。熟練工たる必要性がここにある。成る程、納得だね。








(←左写真: 冒頭の写真でもある。Cal.1400との再会〜)

このCal.1400の模型との再会は懐かしい。

2002年12月に訪問した旧ヴァシュロン本店ブティックで感動したCal.1400が、新工場のアッセンブリー工房に飾ってあったのだ。おぉ〜、オマエはここで生きていたかぁ〜、とお互いが叫んでいるような。本当に楽しいなあ、こういう醍醐味は時計製作現場でしか味わえまい。







(アッセンブリー工房は若手と熟練マイスターの2部署に分かれる〜)

VCには現在(=2006年1月時点)、約190人の技術者がいる。内、約80人がこの組立工房に配属され、その中でマイスターは10名程度。総勢80名を100名まで引き上げることが当座の課題且つ目標であるそうだ。

(⇒右写真: 熟練工のマイスターが部品の厚みをミクロン単位で手作業で削り出そうと苦労している光景。右上の小さなまな板のような台座の上で、部品を磨くように削っては厚みを計測するという苦難な作業の反復は延々と続く。。。)








若手の実務訓練期間は2年。その間に3年制の学校に通い、実務を続ける生活が続く。
この間にVC伝統の技術、DNAを徹底的に指導・伝授するという。
その後も、高度な技術習得に更なる年数を要する。
VC工房で感じたのは、やはり10年後を見据えた今から、次世代のマイスター育成に多大なる投資と準備を実行していることだ。一朝一夕には成しえないブランドの育成とは、こうした現場の人の教育から始まるのだ。

(←左写真: こちらは比較的若手の技術者である。
         頭は薄目だが、あどけない表情に未来を感じる。頑張れよ〜)


現在のVC工房における最年長者はなんと御歳70歳!!!
他の技術者と並んで工房机に向かっていたのが潔い。
スイス時計業界の時計師の一人として、今その使命を全うしようとしている姿はVCの時計以上に感動を覚えた。
70歳まで現場で現役とは、時計師冥利、いや人生の冥利に尽きるだろう。生涯、いちHoloroger。心から羨ましい限りである。





(ヴァシュロンの傑作品、Cal.2475の製作現場を視察する〜)

VC設立250周年記念モデルの一つ。『ジュビレ1755』がこれだ。(⇒右写真)
完全100%自社製のムーヴメントは、どこかイェーガー・ルコルトンJLCの臭いを感じさせる。
勿論、“ジュネーヴシール(Poincon de Geneve)”である。しかし、文字盤にまでジュネーヴシール刻印を示すのはやり過ぎ。こういうところは理性に押さえ込まないといけない。
VCらしくない勇み足である。
3時位置に日付、9時位置に曜日表示、6時位置にはパワーリザーブが。
1755本限定、40mm径、18KYG、27石、315万円也。









(ジュネーヴ・シールの意義とは〜)

この自動巻きCal.2475は手巻Cal.1400と並んで、今後のVCにおける基幹ムーヴメントになるだろう。18金製のローターが目立つ。ローター上のギョーシェ装飾も見事だが、ちょっと淡白な美観である。VCは現在のジュネーヴ・シール比率を25〜30%から70%程度まで高める計画にある。やはり、ジュネーヴ・シールには手間隙がかかるのだ。(そう考えると圧倒的にジュネーヴシール製品を中心とするパテックの底力、実力たるや凄いものがある。)

ヒルナーさんの説明で興味深かったのはジュネーヴ・シール制度の生い立ちについて。
19世紀後半にかけて、パテックやヴァシュロン等の偽物コピー品が市場に氾濫したという。勿論、現在巷にあふれるような完全フルコピー品ではなく、紛らわしいブランド名を付けたりした、エセコピー品が中心で、これが品質レベルを落として市場を混乱させたそうだ。これに対抗して作られたのがジュネーヴ・シール制度であるという。即ち、スイス時計技術の伝承の他に、『コピー品対策の法規制』という説明が愉快(失礼)ではないか。現在では12項目の厳しい部品仕上げ条件が規定されているが、こうした規定の起源は本家ブランドの商標・品質保護と技術水準の維持・向上にあったのだ。何とも面白い。時代はいつも繰り返すことを実感する。






(←筆者の好み、JLC製Cal.928ベースの45石Cal.1127パワーリザーブ〜)

ローターのくり貫き形状が特徴的なイェ−ガー製のムーヴメントだ。
VCはJLCとの関係が深いと思える。象徴的なムーヴが元祖Cal.928お利用したパワーリザーブモデルのCal.1127である。幸いにも、生産中のムーヴを裏スケから拝見させて頂く。ローター外周には21金の錘が付くのがアクセントとしても美しい。今回の旅でお気に入りの一枚となる。

『時計オヤジ』推奨のパワーリザーブの質実剛健ムーヴはこのJLC製Cal.928とゼニス製Cal.685である。はっきり言って共に『華』は無い。しかし、この上ない『無骨さ』が安心感を物語る。特にゼニス製は機能的にも良く出ており、筆者が愛用する1本でもある。愛用するからこそこのWEBでも披露出来る訳だ。『時計オヤジ』は伝聞・伝播だけでは納得しない。自らが使った結果、満足&納得時計だけがフルイにかけられこのWEBに登場するのだ。ゼニスも近々、その出番が来るだろう。。。




(今回のVC見学を終えて〜)


パテックと並ぶ『スイス総本山』の一社を訪問出来た、ということは冷静に考えると大変貴重な経験である。(⇒)右写真、アッセンブリー工房のように、プラレワットPlan-les-Ouatesの明るい新社屋はVCの未来を暗示するかのように若い力が漲っていた。しかし、こうしたヤングパワーが製品に発揮されるまでにはこれから更に10年はかかろう。
時計産業とはまさに一大プロジェクト、極めて長い歴史と文化が必要であることが実感できる。

別れ際にヒルナーさんにいくつか質問をしてみた:

Q) VCが意識する相手は誰?
A) パテック、AP、PIAGET、ブレゲだね。

Q) VCに似ているブランドは?
A) パテック。でも仕上げはVCの方が丁寧だよ。

Q) ドイツブランドについてどう思うか?
A) ランゲはこの10年間の躍進が凄いがまだ新生ブランド。ブランドID確立にはまだ10年が必要だろうね。

Q) 他社品をバラして研究することはないか?(愚問、あってもNOだろうけど)
A) NO。

Q) SEIKOのスプリングドライブについてどう思うか?
A) 詳細は知らないが、非常に興味ある。



今回の見学を通して感じたのはVC、ヴァシュロン・コンスタンタンは企業としての社会的責任も認識しつつ、極めて正攻法な取組をする会社である、ということ。当然と言えば当然。この真面目さ、真摯な企業姿勢が今の製品の性格にも出ているような。
しかし、もう一皮剥けないと更なる飛躍は難しい。その一皮とは何か?すでにVCは気付いているはずだ。
しかし、焦らず、マイペースで堅実に取り組む姿勢こそが250年の歴史を持つ老舗ブランドの成せる業であろう。

VCはこれから間違いなく変わることだろう。
この後で訪問する、VCの対極にあるメゾンにおいてそれを一層、ヒシヒシと感じた『時計オヤジ』である。


(その5、『WATCH-LAND再訪記』へと続く〜)

(加筆訂正: 2007/01/21)


(時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等)

⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら
 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら
   ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら
    ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら
     ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら
       ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら
        ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら
         ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら
          ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら
    最終章   ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら


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