![]() 2002年12月、『時計オヤジ』が生まれて初めて時計工房を訪問したのが このウォッチランドWatch-Landである。 2006年1月、まさかまさかの再訪実現に胸躍る。 今や5ブランドを抱える一大時計帝国。 『色気ある時計』は、『色気ある職場』から生まれているのである。。。 (上写真↑) ご存知、インペリアル・トゥールビヨン・ミニッツリピーターref.5851RMT。 丁度里帰り、こちらでオーバーホールをしていた所。傑作品の裸身は神々しくさえ映る。 この文字盤がまた素晴らしい仕上げだ。この素材は一体、何であろうか。 息を呑む美しさとはまさにこのことだ。 (2006/1/11 15:25撮影) |
![]() (100年の歴史を誇る歴史的な建屋がウォッチ・ランド本社である〜) 最早、説明は不要。 知る人ぞ知るジュネーヴ郊外、ジャントゥにあるフランク・ミュラーの本拠地だ。 名前の響きが良い、ウォッチ・ランド。ピンクのペイントがシックながらも若々しい建屋。 この日は、2006年1月11日の昼下がり。 新年度、2日目の営業日である。初日の10日は棚卸で、この日が実質、工房も『初日』である。そんな慌しい年初であるが、『時計オヤジ』は怖気づかず、淡々と訪問するのだ。 (←左写真: ウォッチランド本社の受付がここである。質素な入口だ。) ![]() (←左写真: 入口を入るゆったりとした空間が〜) 正面玄関ドアを入るとそこは受付&総務、とでもいうべきスペースだ。 フランクの時計BOXのような黒色の革調間仕切りには金色でクッキリと”FRANCK MULLER”の文字盤が映える。とっても静かな空間でもある。 新年早々のせいであろうか?いやいやそうではあるまい。前回(12月)もそうであったように、この受付には常に冷静沈着の雰囲気が漂っている。。。 ![]() (←左写真: 受付のデスクにはまだあどけない表情の女性が。。。) 名前を聞きそびれてしまった。 まだ20代前半の彼女がウォッチランドの窓口、『顔』である。 思えば西洋人の話し方は極めて自然だ。 これが日本の某企業の受付であると、どこも画一的。表現は的確ではないが、皆、スチュワーデスさんのような応対・喋り方になってしまう。しかし、欧米ではあくまで自然体。もっと言えば、個々人の『我』、『個性』をもろにぶつけて来る。どちらがどうこうとは言わぬが、こうした各国様々な土地柄、文化の違いが受付の対応一つで手に取るように楽しめるのだよ。 ![]() (⇒右写真: 今回のガイド役はこの知的な美人女性だ〜) 受付で待つこと約5分。 現れたのは右写真(⇒)のような個性派美人。ナディン嬢は入社2年目。前職は化粧品業界のクラランスであったそう。ガイド役として当然と言えば当然だが、時計の製作工程やら時計の仕様についても良くご存知。一通りの質問には見事にお答え頂く。中々宜しいね、そうした態度と教育が流石にここでもキッチリ成されているのはこちらも大変気持ちが良い。 向かって右の男性は組立ラインの技術者である。 見てくれ、この出立ちを!丸でストリートファッションだ。マフラーを巻いてアッセンブリーを行っている時計師なぞ、どこのメゾンにいるのだろうか。白衣何ぞとは無縁。ヴァシュロンやグラスヒュッテ、クロノスイスでは考えられない自由な雰囲気こそ、フランクミュラーの真骨頂。時計だけではない、時計を作る人々も自由闊達な雰囲気でフランクミュラーというブランドを支えていることが実感できる。いやはや、フランクは全てに自由奔放である。作り手も皆、楽しんでいるのがよ〜く分かって、こちらまで楽しくなる工房だ。しかし、フランクのカタログ写真では技術者も白衣姿。実際はエライ違いのルックスと雰囲気であるのだ。やはり、現場は面白いなぁ。。。 ![]() (←左写真: ウォッチランドの本社屋を背景にお約束の記念撮影を〜) 雑誌で何度も見ている中庭に立つ。 2度目ではあるが、何も変わっていない。もっと新しいビルが着工されているのでは、と半信半疑で来たのだが、まるで3年前と変化は無い。 聞けば自治体当局はそう簡単に建築許可を出さぬらしい。 写真にある本社屋でさえ、100年以上の由緒ある建物だそう。 周囲とのマッチング、美観・景観の維持もあり、スイスといえども(いや、スイスがゆえに)時間が必要である。 そう、ここでは全てがゆったりと流れてゆく中で、唯一、フランクの時計だけが革新性を持って誕生しているのである。 ![]() (いよいよ、工房の見学ツアーの開始である〜) 前回は本社屋内の企画・総務部からスタートしたが今回はパス。 早速、時計ケース工房から拝見することにする。レ・マン湖を臨んで右手の建物がそれだ。 ここを訪問するのは初めてとなる。 まずは1階にあるケースのスタンピング・ワークショップを見学させて頂く。 (←左写真: コンキスタドール・コルテツのケース設計図。ホンモノの図面をさらりと見せてくれるのだが、いいのかなぁ〜、と思いつつ興味津々で食い入る『時計オヤジ』だ・・・) ![]() (←左写真:フランクミュラーは最早、時計メゾンとしては大企業である〜) 125トンのプレスマシンが8台鎮座する ここで働く技術者はまさしく筋金入り。ウォッチメイキングとは組立工房の時計師だけによるものではない。こうしたケーシングの技術者も実は、その人数は可也限られている。皆、ウォッチ・ヴァレー(時計渓谷)こと、ジュラ・ヴァレー(ジュラ渓谷)から集まってきた精鋭である。実は現代においてでさえ、こうしたプレス技術者の数は左程多くは無く、それなりの『チェーン』の中で職場(メゾン)を変えたりして移動している人々である。 それにしてもこの機械群やらCNC切削機械(⇒写真にはないが)などの設備は可也の『本気』である。今やフランクミュラーとはP.クンツやEWC、はたまたロドルフ等の新規ブランドも抱える一大企業として、既に立派に成長してしまった、、、のである。個人的にはケーシングが外注であろうと何ら問題視する必要は無いと考える。要はその大本のデザインに独自性さえあれば、ケースを自社製作しようと専門メーカーに外注しようと大きな問題では無いはずだ。 各社ともにマニュファクチュールの道をを突き進むと、ケースやらヒゲゼンマイやら、歯車、文字盤やらまで全て自社生産を目指すのが現代のスイス時計業界の風潮である。他社の部品供給に縛られぬ為、経営・生産の安定化を図る為には、マニュファクチュール化は自社防衛と、独自性を保つことを目的とするのは分かる。が、一方でこうしたマニュファクチュール路線には莫大なる資本を必要とし、同時に他社との差別化を図る為のブロック化が進められる。最早、スイス伝統の部品供給の分業化なる時計業界のスタイルは現代では通じない。その結果、優良なる老舗メゾンであろうとも、力及ばずそうした一大勢力に飲み込まれるか、消え行くか、はたまた独立系メゾンとして自立するかの厳しい選択を迫られる。フランクミュラーはその後者として今や、大きな牙城を築き上げるに至る。 一方でメゾンが拡大するほど、その会社管理・運営に手腕が問われることも事実。有能な時計師が有能なビジネスマン足りうるかは全くの別問題。ここで新たなる問題が生まれる訳だ。サラリーマンでも一担当者で一生を終えるケースは稀。年齢と共に管理職、幹部への道を進まざるを得ない。フランクミュラーの苦悩、というのもそうした一般会社員と重ねるとよ〜く理解できるではないか。 ![]() (←左写真: 型抜きで刳り抜かれた後のSSバーはこうなる〜) 左側2個が外側のケース、右側の小さな2個が裏蓋として刳り抜かれたものだ。 それにしても分厚いSS(=ステインレス・スティール)バーである。 ケースが巨大化するにつれて、より大型かつ大圧力の機械が必要となる。 デカいケースには、それに比例してより高度な技術と工作機械が必要になるのだ。 デカ厚ケースは、見た目の大味さとは裏腹に非常に高度な技術の塊でもあることがよ〜く分かる。 ![]() (⇒右写真: コンキスタドールの『最大ケース』はこうなる〜) このケースは特に厄介である。 ベゼル部分の段差といい、複雑な曲面、そして何よりもデカイことが製作に困難を極める。最新の機械があればどんなケースでも出来るというものではない。 ここに技術者の出番、役割が大きく求められる。 経験則、勘、五感、美的感覚、仕上げの技術、等等が複雑に絡み合ってフランクのトノーは生み出されるのだ。こうしたプロセスを無視して、外観だけでフランクの時計を語れまい。いや、語っても良いのだが、舞台裏を知れば知るほど、この個性豊かなメゾンに対して、より深い共感と愛着を覚えるのだ。一見、派手で奇抜な時計であるがその時計に込められた哲学やら舞台裏を垣間見れば、そこにはスイス時計業界の伝統技術と最新技術が惜しみなく投入されていることが分かる。今やケース作成まで自社で行うこのメゾンは、決して上っ面だけで人気を集めている訳ではない。実はしっかりと地に足を付けた上で、『改革』を粛々と実行する極めて『硬派なメゾン』であると読む。 ![]() ![]() (←)左写真2枚: 左はプレス直後、出来立てホヤホヤの18KRGのコンキスタドール・コルテツ(スクエア)のケースだ。 ケース中央部には、いわゆる18金のバリが出ている。超高圧力によりゴールド素材が中央に逃げて出来たものだ。 右の女性は、そうしたバリ等を綺麗に取り除き、磨き込む。全てが手作業だ。取り除いたバリは勿論、リサイクルされてまた黄金の板に変わり、ケースへと再利用されるのだ。 ![]() ![]() (←左写真: 焼き入れ過程の真っ最中。迫力満点だ〜) ナディン嬢の説明によれば、スタンピングでくり貫いたケースは写真の様に焼き入れを行うことで、硬度とスムースさを出すのだそう。 刃物の焼き入れと同じ理屈のようだ。 フランクミュラーではこうした独自の処理設備・工程を持っている。 正直、ここまでやっているとは驚きである。 焼入れの時間と温度について質問してみた。 貴金属、特に18金ケースの場合は700度で45分。 SSやプラチナの場合には1,000度で45分であるそうだ。 ベルトコンベィヤーで運ばれる巨大コンキスタドールが炎の中へ流し込まれて行く光景は中々圧巻である。安物時計でプレスだけで作り出すモデルや、ケース素材の厚みもペラペラのファッション時計とは根本から思想も技術も異なる。手間隙を十分かけ品質共々、高度なレベルを追求するのがフランクミュラー。決して手抜きの過程は無い。こうした工程でも良く分かる。 ![]() プレス工程の見学を終えて、2階へと移動する廊下にて。 (←)途中で懐かしいポスターに出会う。 そう、前回訪問した際に頂いたリトグラフと同様なデザイン画である。 カサブランカ、ロングアイランド、トランス・アメリカの3モデルであるが、こうしたモデルは絵で見ても素晴らしい。色気タップリではあるまいか。 個々のモデルのデザインワークの冴えと切れの良さがフランク全体の雰囲気を盛り上げている。 筆者の時計選びの第一の基準は『心ときめく、デザイン最優先』。 フランクミュラーはそれに答えてくれる数少ないブランドの一つに間違いない。 ![]() (← 裏蓋にあるフランク独特の刻印は自動彫刻マシンによるのだ〜) 2階で最初に案内されてのがここ。 10台のコンピューター制御による自動彫刻マシンが、ギュ〜ン、ギュ〜ンと無機的に刻印を行っている。写真は丁度、SUNSETの裏蓋に刻印を行っているところ。 流石に早い速い・・・ こうした彫刻方法は手動では見たことがあるが、コンピューター制御の全自動というのは初めて見るのだ。成る程、この機械があの裏蓋の『製作者』であったのだなぁ〜、と妙に納得する。 ![]() (← 左写真: 文字通り、『塵も積もれば山となる』〜) 貴金属のケースの場合も、当然ながら削りカスが出る。 それを濡れたハケで集めて、ナディン嬢が手にするプラステックカップに溜めてゆく。このカップを持たせて頂いたが、ずっしりと重い。 そりゃぁそのはず、金塊同様であるのだからね。 ここでも上述の『金バリ』と同様に、そうした削りカスを集めて再利用するのである。 ![]() 彫刻マシンにより完成した裏蓋は寸分違わず、美しい仕上がりだ。 な〜るほど、こうして作り出していたのか。 自分の所有するフランクミュラーもこの場所で生まれたのかと思うと感無量。 こうした感動が時計工房訪問の醍醐味であり、所有する時計への愛着に変わる。。。 ![]() (←エレクトロ・プレーティング、電気式メッキ工房を初見学!) お隣の工房ではケースやら各種部品やらに電気式メッキがかけられている。 まるで小型の縦置き式コインランドリーのような『電気メッキ浴槽』が6〜7台並ぶ。真鍮素材の表面にロジウムプレート(メッキ)をかけたり、18金ホワイトゴールドの表面にもロジウムメッキがかけられたりしている。 それにしてもここのお兄ちゃん(とでも呼びたくなるが)も、仕事場が暑いとは言え、Tシャツ姿で仕事をしているのにはこちらも内心、イイノカヨォ〜、と言いたくなるノダ。 ![]() ![]() (⇒写真右側) これが洗濯槽のようなメッキ浴槽である。 (⇒写真左側) ダイヤが装着されたケースごとロジウムメッキがかけられる。電気反応は金属に対してのみ発生するのであり、ダイヤにはメッキがかからない理屈である。とは言え、ちょっと乱暴にも思えるがこれが正しいやり方であるそうだ。 ![]() (← Tシャツ姿の『お兄ちゃん』から見せて頂いた仕上げの部品の数々〜) よく、メッキは剥がれると言われるがそれは正しい。 例えばケースのような外装部品は他のモノとの摩擦や接触によりメッキが薄くなることは有り得る。しかし、メッキの利点も確かにある。 @ 耐腐食性の向上 A 光沢性の向上 B 全体の美しさの向上 等である。
![]() ![]() (彫金師のお隣では、コンプリケーションの特別組立工房が〜) この日の部署には2人の時計師が。 ←写真左側でジーンズ姿で立ちあがりこちらに歩み寄ってくれたのは、前回も面談したフランクミュラーの複雑時計組立師では第一人者の御仁。 ![]() (←左写真) 今回も前回同様に記念撮影を快諾頂く。 因みに前回(2002年撮影時)の写真を持参したところ、熱心に眺めて頂く。 前回はここでグランソヌリを聞かせて頂いたが、今回は冒頭にあるインペリアル・トゥールビヨンのOVH真っ最中であった。。。 この時計もまた素晴らしい、に尽きる。 (⇒右写真: これが前回2002年末の写真〜) ウォッチランドに敬意を表する意味からも、筆者はバタフライ着用で準礼装だ。 こうして数年後に、また同じ技術者に再会出来たことも、また別な感慨が湧く。。。 ![]() (← 左写真) こちらがそのインペリアル・トゥールビヨンである。 勿論、実物は初めて見る。 エナメル製のような素晴らしい光沢の文字盤。 ギョーシェとは違う、縦にラインがある素晴らしい仕上げは風格十分。 トゥールビヨンのケージを支えるブリッジは独特の形状。 いとも気軽に?写真撮影を許して頂いたのは幸運。前回は全く不許可であったので、予想外の展開に『時計オヤジ』はここでも感動しきり。 (↓写真下2枚: 端正な丸顔のトゥールビヨンもものすごく凄みがある〜) まるで90年代初期の作品のようにシンプル、端正な顔つきの文字盤だ。 ブレゲ針、ブレゲ数字がツボを押さえている。裏側のスケルトンから見えるブリッジに施された彫金も素晴らしい。 ルビーの薄い赤朱色がアクセントとして映える。 ![]() ![]() |
![]() (←クレージーアワーズ・カラードリームズのトゥールビヨンは文字盤が滅茶苦茶に美しい〜) 6時表示の半分がトゥールビヨンのケージ上に置かれているので、一分間に1回の割合で6時表示が完成するという、こ洒落た仕掛も憎らしい。 時間表示の短針が毎時、5時間先にジャンプする仕組みのクレージーアワーズ。2003年に発表された時にはド肝を抜かれた。この発想そのもが仰天ものである。時間表示、時間に対してこういう哲学を持つブランドはフランクミュラー以外には稀有である。 斬新な発想とその実践こそがフランクの真骨頂。 単なる遊び時計を超越した、むしろ玄人向けの究極時計、とも言えまいか。 そもそもコンプリケーション・ウォッチとはOFFの為の時計である。 アランシルベスタインと同様に、とことん色・デザインで遊びに徹するのも良かろう。 ![]() (←こちらは少々シンプル?なカラードリームズのトゥールビヨンだ〜) 伝統的な丸型のケースであるが、ラグを2段にデザインしている。 小振りな造形美が逆に新鮮。 ここでもブレゲ針を配置しているところが秀逸。 放射状のギョーシェ模様を作らしたらフランクミュラーに勝るブランドは少ない。 時計の機構・構造の発想もさることながら、文字盤の仕上げの美しさはフランクがダントツに優れている。 乱暴な言い方をすれば、文字盤を見るだけで、まるで有名な絵画を見るがごとく素直に感動と共鳴と驚きを覚える。カサブランカであろうと、こうしたハイコンプリモデルであろうとも、やっぱり全てのフランクミュラーは素晴らしい逸品揃いだ。。。 |
![]() (← 最終品質検査、仕上げのチェックである〜) こちらではベルト装着前の最終製品チェック工房である。 チェックのポイントは主に外観、仕上げのバランスといったところ。 精度検査までは既に終えたムーヴ組み込み済みのケースが並ぶ。 ![]() (← ダイヤモンドが埋め込まれたケース3品〜) カラードリームズ、女性用トノーモデル、そしてコンキスタドールコルテツ、である。ケースの大きさもありずっしりと重量感を感じる。 勿論、手袋をして細心の注意を払いつつの検査である。 筆者もこうして持たせて頂いたが、どれも美しい。 フランクミュラーの醸し出す色気と気品は業界随一。 ここが老若男女、万人の心を鷲掴みにする所以ではありまいか。。。 今回はスイス時計業界の老舗中の老舗、ヴァシュロン・コンスタンタンと、20世紀時計業界における時代の寵児、フランクミュラーの2工房を訪問した訳だが、両者ともに共通しているのは『変化は常態』、ということ。 伝統に胡坐はかけぬ、常に革新を求めるエンドレスな開発と拡大が求められる。 それはそれで結構ではあるのだが、正直のところ、もう少し時間軸にゆとりを持って欲しいものである。 新商品投入で技術革新と新規市場を開拓するのも結構だが、今やスイス時計製作はあくまで贅沢品と工芸品的位置付けにある。毎年の新作を競い、直ぐに新作も陳腐化する傾向には疑問を感じている。一昔前の自動車新車発表間隔と同じだ。 2010年頃までは更なる新技術開発とM&Aの加速でスイス業界は揺れ続ける予感がするが、同時に今ほど機械式時計の新技術が開花している時代もなかろう。それは客観的事実。一方で、ハイテク電波時計、クウォーツ系のの進歩も凄い。 毎度ながらそうした感動と色々な思いで頭の中がグチャグチャになりつつ、時計の都、バレー・ド・ジュウこと『時計渓谷』へ向かう『時計オヤジ』であった。おぉ、タクシーがようやく来たようだ。。。 (その6、『時計聖地本丸にある時計師ホテル滞在記』へと続く〜) (時計オヤジの『2006年1月、Watch Valleyこと、厳寒のVallèe De Joux時計聖地巡礼の旅』関連のWEB等) ⇒ 『その1、ジュネーヴ到着編』はこちら。 ⇒ 『その2、ジュネーヴ買物編』はこちら。 ⇒ 『その3、ジュネーヴ気になるブレゲ編』はこちら。 ⇒ 『その4、新生ヴァシュロン・コンスタンタン工場訪問記』はこちら。 ⇒ 『その5、ウォッチランド再訪記』はこちら。 ⇒ 『その6、時計師ホテル滞在記』はこちら。 ⇒ 『その7、 AUDEMARS PIGUET & Co.博物館訪問記』 はこちら。 ⇒ 『その8、ヌーシャテル訪問記』はこちら。 ⇒ 『その9、オメガ博物館訪問記』はこちら。 最終章 ⇒ 『その10、旅の終着点、ラ・ショード・フォン再訪』はこちら。 ⇒ 前回、2002年12月のWatch-Land訪問記はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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