時計に関する随筆シリーズ (55)

『BEYER時計博物館訪問記@Zurich』

(シャフハウゼンSchaffhausen ⇒ ジュネーヴGeneve訪問記シリーズC)



(チューリヒ市内の散策の目玉はココ。老舗『BEYERバイエル(バイヤー)時計店』だ〜)

チューリヒ市内に南北に伸びる目抜き通り、バーンホフ通りのほぼ中央に位置するBEYER。
スイス最古の時計店で有名なBEYERの創業は1760年。日本ではこの年に葛飾北斎が生まれている。江戸時代中期に、既にこの時計店が誕生していたというからヨーロッパの歴史は深い。

パテック・フィリップと家族ぐるみで親交が深いことでも有名である。
現在の社長であるRene Beyer氏は1963年生まれの7代目。
機械式時計が歴史上、最大の進歩と革新と競争にさらされている現代において、7代目の手腕が問われるのはこれからだ。従業員30名を率いて、来る激動の10年間でその統率力と経営手腕が問われよう。幸運と繁栄を祈りたい。

そんなBEYERの地下1階に時計博物館が併設されている。
今回のチューリヒ訪問での目玉でもある。午後2時の開館時間を心待ちにして、それまで市内散策を楽しむ『時計オヤジ』であった。



(←階段を降りると、そこにはこじんまりとした博物館が〜)


地下1階の受付で5フランの入場料を支払う。
そこにはガイド役でもあるJohannes Albrechtさんがいらっしゃる。
英語、ドイツ語(=母国語で当然だが)に堪能であり、面白おかしく御説明を頂いた。
65歳で引退してから、このガイド役を務めているそうだ。
御歳71才、まだまだ矍鑠(カクシャク)とした現役ランナーである。







(←左写真: これが博物館のほぼ全景。
  加えて、ペンダロンやら教会時計、置き時計も展示されている〜)


街中のギラギラした宝飾店のウィンドーショッピングも楽しいが、やはりこうした歴史的な展示品を見るのは心休まる。ワビサビが効いた枯れた時計が、『ちょい枯れオヤジ』にも優しく感じられる。館内はまばらながらも、訪問客の姿は途切れることは無い。見ていると、Albrechtさんの出番は結構あるものだ。そして、見学者の多くは時計マニアとは程遠い、一般旅行客が大多数。
いいね、こうしたアットホームな博物館は。







(紀元前1400年頃にエジプトで作られた、水で計測する陶器製の壷〜)


⇒写真右は1400BCに作られたエジプト製の原始水時計(レプリカ)。水を一杯に溜めて、その減り具合で時間を計測するという。水時計のアイデアとしては、完成されたものだ。人類の英知たるや古代においても決して侮れない。この水時計が博物館入口に鎮座し、原始時計コーナーが始まる。

BEYER博物館は大別して6つのセクションからなる(⇒筆者独自の区分けである)。
@ 機械式以前の原始時計コーナー。
   日時計(影時計)、水時計、など。
A 変り種時計コーナー。
   重力を利用した置き時計、ミステリー時計、ナイトクロックと呼ばれる投影式時計、などなど。
B 鉄製の時計、木製時計コーナー。
C 1680年から1850年までに製作されたヌーシャテルの時計コーナー。
D 懐中時計コーナー。
E 20世紀における腕時計コーナー。





PATEKミュージアムでも有名なモーゼのオートマタがここにもあるとは〜)

PATEK博物館で販売されているDVDにも詳しい説明があるモーゼのオートマトン。まさかBEYER博物館でも同じデザインのこの時計にお目にかかれるとは感激である。
推定1815〜1820年頃にルロックル、またはジュネーヴで製作されたと思しきこのオートマトンは数ある傑作中の傑作の一つ。モーゼの頭が動き、腕で杖を振ると水が湧き出る。下では天使が鐘を鳴らす。モーゼの頭上には瞳(片目)がオレンジ色の炎のような中に見える。欧州の中世文化はキリスト教と切り離せない。現在のイスラム教が日常生活の一時一時に根付いているのと同じ感覚、とでも言おうか。

腕時計技術がとことん進歩した現在、小型オートマトン式腕時計がもっともっと生産されても良いではないか。但し、完全機械式だととんでもない価格になるので、これこそクォーツ駆動式+ステップモーターを併用したコストパフォーマンス重視で是非とも腕時計化して頂きたいものだ。






(驚異。ブレゲ製・同調時計の謎〜)

ガイドのAlbrechtさんによれば、この時計博物館で至宝の位置付けにあるのが、このブレゲ製の置時計。ただの置時計ではない。驚異の『同調時計』である。同調時計とは何か。簡単に言えば、置時計の屋根に当たる上部に懐中時計が鎮座する形である。2つで1セット、ニコイチの時計とでも言おうか。日中、屋外で使った懐中時計を自宅に持ち帰って、この置時計の上に置くと、あ〜ら不思議、狂っていた懐中時計の時間が正確な置時計の時間に自動調整(同調)されてピタリと合う、というシロモノである。因みに製作時期は1800年代前半。懐中時計は狂って当たり前の時代である。

驚くべきは、ブレゲはこの同調時計の性能をアピールする為に、懐中時計の脱進機には敢えてルビーシリンダー式を用いて、わざと狂うようにした点だ。一方、置時計側には定力脱進機なる高精度の脱進機を採用した。しかし、一方でこの時計は一日に20分以上狂うと同調は出来ない。日差20分以内に故意に遅らせて、尚且つミステリークロックのように同調の仕組みが分からないようにするという、とんでもない時計である。あのパルミジャーニが1600時間もかけてこの同調時計を修復したことで一躍名声を得たことからも、如何に複雑で難解な時計(機構)かが分かるというもの。

かのジョージ・ダニエルズ博士によれば、ブレゲ製の同調時計は計11個が作成され、現存が確認出来るのは9個のみ。内3個はPATEK博物館にあり、このBEYER博物館にも1個ある訳だ。この同調時計は製作された年度で機能が異なるというから更に複雑怪奇。例えば、
@1800年以前に製作されたものは、ピンで懐中時計を同調させる。
A1800年以降のものは懐中時計の時針調整に加えて、脱進機の緩急も行なう。
B懐中時計の時間同調(調整)に加えて、ゼンマイまで巻き上げる、振り子付きの置時計タイプ。
  (⇒Bの振り子型はパテック・フィリップ博物館で現物ににお目にかかれる。凄い迫力と存在感である。)

夜、帰宅して懐中時計をセットすれば翌朝には置時計の時間とピタリ同調する。アブラアン=ルイ・ブレゲ(1747-1823)という人物は、稀代の天才技術者であると同時に、卓越した商魂・アイデアにも富んだ起業人、アントレプレナーでもあったようだ。

このBEYER博物館の同調時計には更にエピソードが続く。
最初は置時計のみを手に入れたそうだ。その後、あるツテを通じて偶然にもこの置時計とペアの懐中時計を発見、入手に漕ぎ着けたと言う。う〜ん、丸で60カラットを超えるダイアモンド宝石が幾多の人々の手を渡り、数奇な運命を辿ったかのように、このBEYER博物館の同調時計にも、まだまだ隠された逸話があるような気がする・・・




(⇒右写真: ブレゲ製懐中時計は1824年製〜)

こちらもブレゲ・デザインの真骨頂。
偏心文字盤、ブレゲ式ローマン数字、ブレゲ針、センターをはずした1時位置にある秒針小ダイアル。偏心の中に存在する偏心(秒)ダイアル。
ブレゲNo.4021の懐中は183年も前に製作されたものだ。
今日、同じ製品を出しても通用するデザインの普遍性と完成度は流石、ブレゲ。
ブレゲ・デザインは全ての時計の基礎ともいえる。
いわば、
『ブレゲとは時計界のOS=基本ソフトデザイン、であるのだ。







(←BEYERの1階にはこのような修理受付、修理工房が存在する〜)

流石、クロノメトリーChronometrieを名乗るBEYERは修理工房をも併設する。この窓口、一般の時計店の中に独立して存在するところが凄い。
日本の大手百貨店時計修理コーナーでもこのような規模は持ち得ない。








(右写真⇒: 修理受付の窓口にはROLEXサブマリーナの置時計が〜)

初めて見るROLEXの置時計。Date-Justではなく、一番人気の大型サブマリーナーで
さて、BEYER本家HPによれば、2006年度の博物館訪問客数は7360人になったという。
前年度対比34%の伸びであり、5612人が外国よりの訪問客という。
冒頭でも述べたように、チューリヒ市内の観光ポイントとして、BEYER時計博物館は今や、すっかり定着しつつあるのかも知れない。

チューリヒの街中にある老舗のBEYER時計博物館。
日本の銀座にでも、いつかこのような時計文化が花咲くことを期待したいのだがどうであろうか・・・。(2007/2/10)


〜『IWCの故郷、シャフハウゼン散策記』へと続く〜

(参考文献)"PATEK PHILIPPE MUSEUM"(日本語版)


2006年10月末、『時計オヤジ』のシャフハウゼン(チューリッヒ)&ジュネーヴ2都市訪問記は以下:
⇒ @ 『モーザー本社訪問記』はこちら
⇒ A 『最新・チューリッヒ時計事情』はこちら
⇒ B 『Baume&Mercier クラッシマ・レトロ・ジャンピングアワー』はこちら
⇒ C 『BEYER時計博物館訪問記』はこちら
⇒ D 『IWCの故郷、古都シャフハウゼン散策記』はこちら
     ⇒ ドバイの『世界初、IWC直営店訪問記』はこちら
⇒ E 『2006年10月、ジュネーヴ時計王国・最新情報』はこちら
     ⇒ 番外編 『2006年10月、ジュネーヴで買った理想のWモンク・シューズ』はこちら
⇒ F 『フレデリック・コンスタント新工場訪問記』はこちら



『時計オヤジ』のブレゲ関連記事はこちら〜:
2006年1月、ジュネーヴ市内における『ブレゲ再考』はこちら
2006年1月、ヌーシャテル美術歴史博物館で見たブレゲ懐中はこちら
2006年10月、チューリヒ市内・BEYER時計博物館で見た『ブレゲ・驚異の同調時計』はこちら
2009年9月、ドバイ再訪で見たブレゲ#5157寸評はこちら
2010年2月、『ブレゲ再考・Re.5157考察』はこちら


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