BREGUET  ブレゲ

BREGUET CLASSIQUE EXTRA-THIN
Ref.5157BB/11/9V6 (White Gold Case), Cal.502.3


『 〜ブレゲ再考・ブレゲにみる日本庭園・石庭の美〜 』



『近代時計の原点』、と言っても良いだろう。
時計好きであれば、いつしか”ブレゲ”を意識することは必然。
誇張して言えば、現代の全ての時計はA.Louis Breguet(1747〜1823)の基礎技術の上に成立する。
『ブレゲとは時計業界におけるOS(基本ソフト)』である。
『時計オヤジ』も遂にそんなブレゲの虜となる。
選択したのはClassiqueラインで一番シンプルな2針の自動巻き。
単純な2針時計であるが、その美しさは深淵なる世界に潜む。
そんなブレゲに垣間見たのは、純日本的な美意識に通じる『石庭』のワビサビであった・・・。(2010/02/05)



(現行の2針時計で、最も美しいブレゲ〜)


『2009年夏。最新、ドバイ腕時計事情』でも紹介したRef.5157である。
昨年9月のドバイ再訪時に市内のショッピング・センター”Emirates Mall”にて見つけたブレゲ・クラシックラインに触発されての購入に至る。

ブレゲを身に付けること。筆者にとってそれは特別な意味を持つ。
PATEKも別な意味でそうであるのだが、ブレゲは『別格』である。
過去10年にわたり、折に触れ欧州各国を訪問する機会を得た。そこでたびたび目にしたのが、18〜19世紀に製作されたブレゲの懐中や置き時計であった。ご承知の通り、19世紀の『腕時計が夜明け前の状況』において、時計と言えば一般的に懐中時計を指す。そんな懐中にブレゲの本物、つまりブレゲが生存中に製作された『ブレゲによるブレゲ時計』に触れる機会を得ることが出来たのはこの上ない幸運であった。その圧倒的な存在感と美しさは、今も脳裏から離れない。現行のアエロナバルやブレゲ・マリーン等のスポーツ・ラインも良いが、やはりブレゲと言えばクラシック・ラインが保守本流だろう。その中で機能的にも極限まで贅肉をそぎ落としたのが、この2針時計のRef.5157である。

この時計には、流行り言葉で表現すれば『究極の引き算の美学』が宿る。
しかし単なる2針時計に終わらないのがブレゲ。
その隠し味は至る所に散りばめられている。

まず最大の見所は『文字盤』である。
その緻密な手作業によるギョーシェ彫りは、見る者を飽きさせない。
雑誌クロノス第19号・104-105頁で時計評論家の広田雅将氏がこう指摘する:
『高級なシンプルウォッチに限って言うと、ベゼルは年々細くなり、反比例して文字盤は大きくなった。デザインを間延びさせないためには、ギョーシェなどを用いて時計を立体的に見せるか、エナメルのような装飾を施して、面に際立った上質感を与えるしかない。(中略)ブレゲの「クラシック エクストラフラット」はこうした事例の好サンプルだ。』


上記論評はケースの大型化に伴い、文字盤の表情が間延びするのを防いだのはギョーシェという古典装飾が有効に機能している証、という趣旨の説明である。成る程、お説ご尤も。的確な指摘であり賛同する。
しかし、『時計オヤジ』はもう一つ別の見方をしている。
以下、独自論を述べる。




(ブレゲにみる日本庭園の石庭の美しさ〜)


●仮説その1: 昔のブレゲ(懐中)の文字盤の大きさは現行腕時計と比較にならぬ程、大きい。
           即ち、ブレゲの出自からして間延びした意匠が存在したのであり、年々大きくなった訳ではない。

5157のケース径は38mm。しかし昔のブレゲの懐中の文字盤は更に一回りも二回りも大きい。そんな文字盤上の面積の大部分を占める場所にギョーシェ彫装飾を施すのがブレゲの伝統的な特徴であり意匠である。これは腕時計が登場する100年以上も前から続くブレゲ・スタイルだ。
果たしてブレゲはデザイン的に、文字盤上の広大なる空間が間延びするのを防ぐためにギョーシェを生み出したのだろうか?
筆者の解釈は”NO”である。

●仮説その2: ブレゲは文字盤の『間延び』をギョーシェで隠そうとしているのではない。
          逆に、文字盤上の『間』はブレゲが故意に作り出した『積極的な間』である。

ギョーシェを用いたことで、故意に作り出した白くて大きな文字盤面積に立体感を与えると同時に、その面積において逆に『絶妙なる間延び』を生み出した。このデザイン力にこそ、ブレゲの非凡なる才能を読み取るのだ。更に言えばギョーシェで間延びを防ぐのではなく、むしろ反対に『間延び』を生み出し、立体的なギョーシェで『間延び』を更に強調している、ということだ。



(⇒右写真: 日比谷の帝国ホテル正面玄関にある『石庭』〜)

本当は京都にある有名な竜安寺の石庭を見学したかったのだが、近場の石庭で我慢する・・・。
石庭においても細かい白砂利の模様が大きな役割を果たす。
そこにポツリ、ポツリと配置された岩が、白砂利との色合いのコントラストと共に時空を超えた静寂を生み出している。いや、これを『静』と見るか『動』と見るかはその人それぞれの感覚で変わってくることだろう・・・。

ブレゲの5157においてもまさに『石庭』の美しさと、日本的なワビ・サビを感じてしまうのだ。





5157のギョーシェは一つ一つがピラピッド型をしている。
目視したところではピラミッド(ギョーシェ)の一辺は1mm内に2.5個程度ある。即ち、単純計算すれば僅か1mm四方の中に6つものギョーシェ(ピラミッド)が存在することになる。この細かさは尋常ではない。この精緻で大量のピラミッド型のギョーシェ彫りは日本庭園の『石庭』に酷似すると『時計オヤジ』はインスピレーションする。
石庭にある無数の小さな白砂利がブレゲのギョーシェに相当する。それでは石庭にある大きな岩はどこにあるのか。
その答えは、実は文字盤上で刻々と動くブレゲ針にあるのだ。

●仮説その3: 『積極的に間延びした文字盤』は『ブレゲ針の丸型部分』と合体して初めて、その存在感を主張する。 
ブレゲ針の特徴である『偏心にくり貫かれた丸』の部分が、石庭における『岩』に相当する、というのが筆者の持論。
そのくり貫かれた部分がギリギリでギョーシェ彫の上を微妙にズレながら、まるで二つの岩が動くように設計されている。
石庭と唯一最大の違いは、その『岩』がブレゲの文字盤上では、刻々と位置を移動することだ。
この青焼き針の動きとギョーシェ装飾された文字盤が一体化することで初めて、ブレゲのギョーシェの味わいは更に深みを増すことになる。
別の表現をすれば、文字盤という小さな天空において、ブレゲ針の動きを星や月、太陽に例える事も出来まいか。

冒頭の写真を良く見て頂きたい。
ギョーシェ彫りばかりに目が行き勝ちであるが、その外周にあるシルバープレート調の地板に施されたシークレットサインやローマ数字のINDEX、そして更にその外周にある5分毎の18KWG製ドットマーク(=アワーマーカー)など、『文字盤中央の拡散と周辺の凝縮の技』がいかんなく発揮されているのが分かるというもの。この『拡散と凝縮のコントラスト』こそが、ブレゲの狙いではなかろうか。



(ブレゲのギョーシェ彫りについて〜)

⇒右写真はブレゲの文字盤にギョーシェ模様を手彫りで加工しているところ。
勿論、専用の伝統的な古い機械を使用しての手彫りである。
工具を使い、上から下へと一直線に切削して行く。


↓下写真は更に、拡大したもの。
恐らく、こうして手彫りを施すギョーシェ模様は、数ある腕時計の中でも、ごくごく一握りだろう。加工には経験と熟練が必要であることは言うまでも無い。何よりも現代では、人の手を介する作業が一番コスト高である。
それを敢えて、こうして手作業で行うことに高級時計としてのブレゲの真髄を垣間見ることになる。












現在では、廉価版の時計でもこうしたギョーシェ彫りが施されたモデルも多い。
恐らく、プレス加工か、ギョーシェ状に印刷された薄いフィルムを文字盤上に貼り付けたタイプが殆どではあるまいか。
このような人手に拘る作業は、最早、工芸品の域に入ってくるだろう。
ブレゲは時計にして、時計のみにあらず。
冒頭でも触れたが、筆者にとってブレゲを身に付けるということは、重厚なる時計文化の一端を理解した上で、時計を愛する気持ちを表現することでもある。
そして時計史における金字塔でもあるブレゲの『作品』に敬意を払うこと。まさに、自らへの『勲章』にもなりうるのがブレゲという存在である。
自分なりに可也ブレゲを持ち上げている嫌いはあるが、ブレゲとは斯くも偉大な存在であり、決して褒めすぎて余りあることはないのだ。











(⇒右写真: 正真正銘のブレゲの青焼き針〜) 

本家本元、ブレゲの針は美しい。
青く焼かれたブルー・スチール製の針は、その青色の発色加減はコンピューターでもコントロールできない。銀座ハイエックセンターでブレゲの担当技師から直接お聞きしたところでは、スイス本国では現在でも約3割の針が生産過程でNG不合格になるそうだ。作って見なければ分からない。現代の技術を以ってしても、出たとこ勝負の青焼き針であるとうのが何とも人間的?で面白いではないか。

それにしてもこの青焼き針の美しさには惚れ惚れする。
この青色はあくまで表面だけであり、大きな傷でもつけば、下地が見えてしまうそうだ。















(文字盤同様、裏面から見えるムーヴメントは珠玉のフレデリック・ピゲ(FP)製キャリバー21だ〜)

1985年以来、ブレゲやブランパンなどの高級時計に好んで使われてきたFP製Cal.21ベースのCal.502.3が美しい。
受け板形状に古さを感じさせるが、オフセットに偏心位置取りされたローターや空気抵抗も考慮された最新のテンワ・デザインなど、その魅力は尽きない。

センターローターのネジ一本による留め部分に少々チープさを感じるが、全体的には非常に美麗で、高級さを感じさせるキャリバーだ。『時計オヤジ』が所有する中ではPATEKのCal.315、CHOPARDのLUC1.96、GLASHUTTE ORIGINALのCal.65に匹敵するか、それ以上の美しさを誇ると感じている。

欲を言えば、センターローターは18KYG(金色)が好みだが、ケース素材と同色・同質にするのがブレゲ流哲学とのことなので、仕方あるまい。それにしてもローターにまでギョーシェが彫られるところが泣かせる。まさしく表裏一体のギョーシェ攻めである。














(←左写真: ダイナッミックな脱進機周りと大胆なスケルトン香箱〜)

テンワにある4つのチラネジは空気抵抗を考慮したデザインになっている。
同じデザインのテンワはブレゲ・トラディションにも使用されている。
このテンワ一つでパーツの価格は約10万円もするそうだ。4本アーム式のテンワに4つの段差がついた複雑形状のプラットフォームにチラネジが組み込まれる。テンワの右横には小さな切替車が見える。そして何と言っても主ゼンマイ丸見えのスケルトン香箱が大迫力である。

慣れてくると、ゼンマイのほどけ具合でパワーリザーブ残量も推測できる(通常、まずそんなことはしないだろうが、ゼンマイオヤジはやってしまう・・・)。
斜め方向に統一されたコート・ド・ジュネーヴといい、金色装飾されたBreguetの刻印も、それはそれなりで、可也、美しい。

表の文字盤が端正な顔立ちであり、物静かな反面、裏面シースルーから垣間見るムーヴメントは大変、躍動感に富んだクレバー且つエネルギッシュな印象を与えてくれる。よくよく考えれば決してシンプルな2針時計とは言えない気がしてきた・・・。








『ブレゲは時計業界におけるOS=基本ソフト』である。
(←左写真: 厚さ5.4mmの側面にはコインエッジ装飾が〜)


エクストラ・フラットともエクストラ・シン(thin)とも呼ばれるこの薄型時計において、コイン・エッジも有名なる『ブレゲ発明』の一つだ。筆者は、こうしたコイン・エッジの装飾が、古代ギリシア時代のパルテノン宮殿に代表されるレリーフや、ローマ時代の建造物各種で見られる円柱のレリーフに用いられた装飾をヒントにしているのではないか、と推測する。このコインエッジをそのまま何重にも積み重ねれば、ローマ時代の円柱が出来ると考えられる。
側面に立体感、重厚感を加えることが主眼であり、その源泉として、ギリシア・ローマの歴史的デザインをも加味したのではなかろうか。ブレゲ本人の世界観、美意識の寄りどころを、願わくばブレゲ本人に直接、聞いてみたい衝動に駆られる。

こうしてみると、時計デザインの美味しいところは全てブレゲによる発明であることが分かろうというもの。『ブレゲは時計業界におけるOS=基本ソフト』であると筆者が主張する所以である。

ケース径は38mmなのだが、40mm径以上にも感じるのは何故だろう。
ベゼルを細め、文字盤外周ギリギリまでINDEXを配置すると言う『文字盤の最大活用』が時計表面積を大きく見せていることは間違いない。
しかし、もともと38mm径というのは相応に大きい。
ケース厚が5.4mmとは言え、文字盤の表面積に引きずられて、さほど薄いと感じないのはその為だろう。

ケースから伸びるラグ形状はやや下向き加減。
この微妙な角度を持つ横からの眺めも十分、鑑賞に耐える美しさである。


(⇒右写真: 大英博物館の正面玄関部分を撮影〜)
写真では分かりにくいが、ブレゲのコイン・エッジを重ねると右写真のような円柱になる、というのが『時計オヤジ』の推論。一方、コイン・エッジの縦目の直線模様は上述、石庭の砂利の模様にも似ているとも考えられる。ブレゲのデザインの根源には、そうした和洋両方の文化が脈打っているとも感じ取れるのだが、如何であろうか。







(美錠は例によってダブル・フォールディング・バックル(DF)式に交換する〜)

ブレゲの美錠(尾錠)素材はケースと同一、つまり18KWGである。
通常、スプリングバーを使うがこちらは18KWG製でネジ込み式である。
このオリジナルの美錠を使うことも良いのだが、革ベルトとのマッチングが少々キツメだったこともあり、今回もプッシュ式のDFバックルに交換した(⇒右写真)。

何でもカンデモ、DF式バックルが良いという訳ではないが、多くの場合、機能的にも、デザイン的にも、経済的にもフォールディング式クラスプは都合が良い。今回も安価で信頼性の高いBanda製を装着する。革ベルトで一番ヘタルのは脱着部分だ。DF式バックルであれば、恐らく革ベルトの寿命も倍には伸びる気がする。好みの問題であるが、選択肢を広げることは時計道楽の楽しみの一つである。











(最後に蛇足。SWATCHとの比較考察〜)

⇒右写真にあるのはSWATCHとの比較写真。
このSWATCHはもう10年以上のロングセラーである。
店員さんによれば、その理由は:
●手軽な価格の自動巻きであること
●デザインがシックで飽きが来ないこと
●ON/OFF両用で万能な普遍的なデザインであること
ということらしい。

筆者はこのSWATCHの原型になったであろうブレゲと敢えて比較考察を加える。
勿論、ステージが異なるのは承知の上。
結論から言えば、ブレゲを持たずとも、このSWATCHなら十分かも知れない。何が十分かと言えば、時刻表示の基本的機能は共に満たし、デザインも大人しいし、SWATCHでありながら決して子供っぽいオモチャの雰囲気にはないからだ。SWATCHであるがゆえに、文字盤中央はギョーシェっぽいがスタンプでの凸凹に過ぎないし、青くペイントした針もチープで、何よりもメンテが効かない使い捨て前提のトイ・ウォッチである。

しかし、待てよ、自分のライフスタイルで本当にブレゲのような時計が必要だろうかと自問自答してみよう。
そもそも、そのような自問するような人にはブレゲを持つ資格など無いのかも知れない。
ブレゲとは時計道を突き進む人、経済的にも社会的にも余裕のある人が対象ゾーンである。
SWATCHと比べてドーダコーダ言う人間なんぞ、そもそも対象からはずれるに違いない。
そう考えると、さっさとブレゲから退散して、もっと数ある他のモデルに移行した方が正しい選択かも知れない・・・。

少なくともその程度のPros・Consに打ち勝つだけの理由付けが自分の内面で出来ない人には、この種の時計には近寄らない方が無難であり、そうであればSWATCHも賢明な選択と言えるであろう。




閑話休題。
このSWATCHのETA2842とやら。
素人目でジックリ観察しても、もの凄く機能的に設計されているのが分かる。ローター中心部から外周にかけて段々畑のようにパーツが設計されているのは組立て効率からの観点だろう。
二つの切替車らしき歯車や、ベアリング式のセンターローター留めやら、大きなテンワなど、抑えるべき点は見事に強化している。

方やブレゲのテンワ一個で10万円するそうだ(〜ブレゲ技師@銀座の話)。
この値段を聞いて少々、戸惑った。やはり、何かがおかしい。

ブレゲについての薀蓄を塗りたくった一方で、『時計オヤジ』の心の奥底には、まだまだくすぶった『何か』が渦巻いている。




  *  *  *  *  *

5157は間違いなく『名作』である。
しかし、そんなブレゲをジックリ眺めていると、時計とは何か、ブランドとは何か、時計の価値とは、意義とは、自分の将来と時計の未来を重ね合わせるとどうなるのか、など等、思いは巡るばかり。ブレゲは歴史に裏打ちされた実に味わい深い、大人の時計である。しかし、正直に言えば、これからこのブレゲと自分の残りの人生においてどのように対峙して行こうかと、未だ思案を重ねている『時計オヤジ』であるのだ・・・。(2010/02/05) 276000



参考文献)日本版クロノス第19号97頁〜『ドレスウォッチの復権』
(加筆修正) 2010/02/07、2010/02/25


(『時計オヤジ』のブレゲ関連記事はこちら〜)
2006年1月、ジュネーヴ市内における『ブレゲ再考』はこちら
2006年1月、ヌーシャテル美術歴史博物館で見たブレゲ懐中はこちら
2006年10月、チューリヒ市内・BEYER時計博物館で見た『ブレゲ・驚異の同調時計』はこちら
2009年9月、ドバイ再訪で見たブレゲ#5157寸評はこちら




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