時計に関する随筆シリーズ (37)

『2005年11月。我が心の故郷、ジュネーヴ再訪。』

〜PART-1〜




前回の2002年12月以来、丸3年ぶりのジュネーヴ再訪である。
2泊3日、実質1日半の時間しかないが、全て嬉しい自由時間だ。
準備してきた『時計オヤジ』の日程を黙々とこなすのみ。
『あの人』との再会を夢見て、そして某メゾン本社探訪を期待して、
いよいよ3年ぶりに『時計オヤジ』がジュネーヴの街を闊歩するのだ・・・。

↑上写真: ジュネーヴと言えばまずはこれ。快晴の天気にも恵まれ、
レマン湖LacLèmanの湖上噴水は高さ140mクラスで豪快、綺麗!
この光景を見てPATEK博物館におけるオープニングプロローグの映像を連想する人はさすが!!!
(2005年11月5日15:30撮影。F8.0, 1/1100, ISO400, 28mm FinePix E510)



(時計好きにとって、スイスへ行く意味とは〜)


スイスを訪問する。
時計フリークにとって、『スイスへ行く』ということは特別な意味を有する。
それはアルプスを見ることでも、スキーをしに行くことでもない。歴史的にも、そして現在の勢力図をみてもスイスとはイコール、時計業界の総本山に位置する場所。まるで修行僧が山奥深い霊山に足を踏み入れるがごとく、深淵かつ荘厳な意味を持つのである(ちょっとオーバーかな)。よって、スイスへ行くと言うことは時計との接点を様々な観点から各自各様に追求する、という意味合いを持つ。それ以外には興味が無い。
『時計オヤジ』にとってのスイス訪問とはそういうことだ。

そして、その総本山への入口となるのがこのジュネーヴであるのだから、時計オヤジならずとも時計好きにとっては興奮と期待が自ずと溢れよう。

(⇒右写真) 
本家?ROLEXの看板を背景にエクスプローラーTで例によって記念撮影。
ケース径36mmの扱い易さと抜群の視認性が信頼度を誇る。
キムタクがした時計?時計オヤジにはそんなこと無縁だ。
良いものは誰が何を言おうと良い。真実は普遍である。動じるべからず。
視認性においてこのEXTの対抗馬としてはOMEGAの最新プラネットオーシャン42mm、レイルマスター38mmがあげられる。 ここでもROLEXには王道ブランドのOMEGAが真っ向勝負であるのだ。



前回の訪問は2002年12月中旬。非常に寒い季節であったが、今回は11月上旬。本格的な冬の到来を直前に控えて、まだ気温も摂氏9〜15度程度で推移する快適な気候である。日本とほぼ同じ季節かもしれないが、日本の気候から長年遠のいている時計オヤジにはその表現にやや自信が持てない。

前回のスイス訪問のテーマは『極上時計を求めて』、『スイス時計の歴史の一端を垣間見ること』であった。
今回はズバリ、『某メゾン訪問』が最大の目的。そして、もう一つはちょっと自分を落ち着かせる意味からも、そして更にジュネーヴ訪問自体を楽しむ意味からも『ジュネーヴ探訪』に重きを置いた。即ち、11月第一週目の週末にかかるということで、時間的制約が最大の理由であったが、ジュネーヴ市内にのみ滞在し、自分の足で街並みを散策することに比重を置いたのだ。結果は大満足。ジュネーヴ到着初日は雨に見舞われたが、二日目は快晴となり、冒頭のレマン湖の大噴水も見事な容姿を見せてくれた。湖畔のベンチにのんびりと座り、流れ行く時間に身を委ねる楽しみ。レマン湖畔のホテル群を鳥瞰しつつ、つかの間のフリータイムを楽しむ。時計鑑賞も去ることながら、こうした時間もまさに至福である。
時計オヤジは本当にただの『オヤジ』になってしまったのであろうか・・・。


さて、今回のジュネーヴにおけるTARGETは以下:
1)ショパール本社工場を見学〜空港到着後、すぐさまメゾンまで直行である
2)2004年12月に改修されたヴァシュロンVacheron Constantin新サロンの訪問
3)PATEK博物館再訪
4)ジュネーヴ時計・七宝博物館見学(⇒こちらは残念、休館中で実現せず・・・)
5)ジュネーヴ市内散策⇒お気に入りのsea-foodレストランを再訪する、


という、毎度ながらの濃密な短期決戦日程である。今年の日本シリーズならぬ、4タテで勝負!!!



(今回のジュネーヴ宿泊先を紹介〜)

毎回の海外訪問で楽しくもあり、悩ましくもあるのが『ホテルと服装の選択』である。
時計オヤジは滞在ホテルにもこだわる。これをおろそかにすると英気も養しなえないし、何よりもくつろげない。
そして服装も適度なドレッシーさが必要。昔はジャケットなんぞをOFF-DUTYには着用したこと無かったが、流石に齢を重ねてソレナリになってくると、足元と上半身にはこだわるノダ。ボトムスはジーンズでもよかろう。しかし、靴と上半身だけは品格を保つべきである。それが『時計オヤジ』のシキタリ。勿論、腕時計も勝負時計に着替える(力み過ぎ?)。
特に今回はジュネーヴ探訪が中心。到着後、直ちに初対面のメジャーメゾン訪問も控えている。先方はスーツ姿であることは目に見えている。加えてクラス(階級)社会の欧州では身なりで人が吟味されるのも、こちらが好むと好まざるに関係なく事実。と言う訳で御託は差し置き、以下ご紹介:


(←左写真:こちらが今回宿泊したホテルKipling Manotel)

ジュネーヴ中央駅(コルナバン駅)から徒歩5分の好ロケーションにある。
ネット予約で発見したが、一泊@CHF136(税込み)は極めてリーズナブル。おまけに2002年に全面改装をしており、新築ホテルのようで内外装ともに非常に綺麗。

このホテルのテーマは『オリエンタル旅行者のオアシス』、と勝手に想像している。
さしずめインドをモチーフにしたようなインテリアには拍手喝采である。フロントに入るやいなや、アジアン・テイストのお香の香りが漂う。うぉお〜、ここはバンコクか〜!?とも思わせる雰囲気はスイスにいることを考えると意外や意外である。





(← 部屋の内装はこんな感じ〜)

必要にして十二分な設備。シャワールームも新しくて、綺麗。壁には様々なインドを連想させる写真や絵画が掲げられている。テレビの台座代わりには、まるでヴィトン製の旅行鞄のような大型革製のBOXが鎮座する。気分、であるのだ。

熱いシャワーもガンガン出る。朝食もコンチネンタルながらチーズもハムも美味しい。特に自分で好きなように作れるボイルド・エッグが嬉しい限り。レストランは朝食のみだが、日光・結構・大満足、であるのだ。
(注: 白いスリッパは筆者持参でありホテルによる常備では無い)







(← 今回の服装セレクションははこちら〜)

トラッド通オヤジとしては『1型』ブレザーをはずす訳には行かぬ。1型とは三つボタン段返り、即ちブルックス・ブラザーズNo.1モデルのこと。ポケットチーフも忘れずに。
シャツはバーバリーBDのグレーチェックを選択。バーバーリ・チェックは好きである。時にはグレー、ネイビー、クリームのBD3色を揃えてコーディネイトを楽しむ。

ボトムズにはトミーTommyHilfigerの2タック・ネイビー・コーズを選択。裾は4センチのダブルと決めている。足元はREGAL3穴プレーントゥで固める。ラバーソールのウォーキングタイプで、若干ポストマンシューズにも見えるが、ヒールはしっかりと、ある。革に光沢があることもポイント。こいつを常にピカピカに磨き上げて使用している。もう、10年来の愛用品でもある。雨でも怖くない。
この上に羽織るのが、黒色のカナダ製ビーバールーツBeaverRootsのハーフダウンである。しかし、今回はちょっと暑すぎたジュネーヴであった。どうやら今年の欧州は暖冬にあるらしい。

尚、いざと言う時には、これに躊躇無くボウタイを加える。トラッド&シックであること。
ファッションが堅苦しい?とんでもない。現代のMBAコースでは会話・プレゼンにおける目線やら最低限の身嗜みも講義の対象である。ファッションは最早、世界の常識でもあり楽しい世界であるのだ・・・。それでも面倒な御仁にはトラッドを薦める。何故ならトラッドとはファッションを超越したライフスタイルであり、時計同様代々受け継がれるべき文化(服飾文化のみならず、その人の生き様をも表現する文化)であるのだから。




(ジュネーヴ中央駅〜コルナヴァン駅がジュネーヴ散策の起点〜)

中央駅はGare de Cornavinという。右写真⇒の奥手に見える薄茶色の建物がそれ。
その駅の地下街からレマン湖に向かってモンブラン通りがスロープとなって延び出してくる。写真でわかるだろうか。何故かスフィンクス像も鎮座しており、記念写真を一枚。
このモンブラン通りには数多くの土産店、一流、二流の時計店も混在して軒を並べる。じっくりみているとこの時期には2005年ジュネーヴ&バーゼルモデルも数多くディスプレイに並んでいて楽しい発見もある。

そんな中で『時計オヤジ』が注目したのはオートマタ、オートマトン(自動人形)。
懐中時計のからくりモデルである。リュージュREUGEやら、KELEKのロゴまでもが見えるが、チャイムやリピーター付きのこうした伝統的なモデルは腕時計ではウン百万円、ウン千万円の世界で手が届かないだけに、懐中時計なら何とかなりそうだ。



(←左写真2枚) オートマトンの機械式懐中時計。

右側写真のデザインは有名である。
女性の井戸を動かす手、水流、馬の首、男性の花束を持つ手、の4箇所がメロディとともに動きを見せる。
メーカーはオルゴール時計でも有名な老舗、リュージュReugeの商品。55mm径でモーツアルトの音楽を奏でる。裏面は全部エロティック・オートマタ!つまり、裏スケルトンならぬ、裏マタ?付きの豪華版だ。因みに価格はCHF3,400、約31万円也。決しておいそれと手が出る品物ではないが、実にイイ雰囲気である・・・。


本当は安物でクォーツ製を探したのだが、遂に見つからなかった。山田五郎氏が上記↑右側写真のデザインのクォーツモデルを持っているとインタビュー(⇒エスクァイア日本版Aug.2002.Vol.16 page077)にあったのだが、本当にあるのかな?(山田さん、もしクォーツ製であれば出所・ブランドを教えて頂けませんか・・・。)





(ジュネーヴ散策は静かで気持ちも安らぐ〜)

今回、結局タクシーは一度も使わなかった。基本は徒歩で移動。そして、メゾンの社有車と鉄道のみに頼った。
ジュネーヴは比較的、動きやすい小さな街並みである。治安もまずまず安定している。地図と自分の健脚に頼ること。その為には普段から歩く努力を怠らないこと。普段、歩き慣れていないとすぐ足裏が痛くなってくる。現代人の弱点かも知れない。


(←左写真: J.M.Westonのジュネーヴ店舗)

モンブラン通りからモンブラン橋を渡り、市内の銀座ともいえるリブ通りRue de Riveを散策する。この通りにJ.M.Westonのジュネーヴ店も構える。3年前と全く同じだ。
ジュネーヴはフランス語圏である。スイスとフランスの国境数は34もあると言われている。
なるほど、フランスの老舗メジャーブランド、J.M.Westonが進出し、内外のセレブ旅行者を取り込もうとする意図は的を得たものと、勝手な解釈をする靴オヤジである。







(←左写真)

流石、フレンチトラッドの総本山。J.MWestonはやることが違う。
CLASSIC FLEX WING-TIP 607”というこのモデルはとてもスニーカーという言葉では済まされない。特に茶色革のユーズド感、アンティーク仕上げは素晴らしい。スニーカー調の紐部分のデザインに注目。しかし、造りはまんま、重厚で伝統的。見事にドレッシーなWING-TIPである。ヒールとソールは一体式で張替えは不可能。ラバー底と一体成型ゆえにメインテナンス上の不安(張替え不可)は若干あるものの、このデザインは流石。ソン所そこらのブランドには出来ない製品である。脱帽・・・。








(←左写真)

こちらは言わずと知れた、#677 Hunt derby/Le chasse。日本では通称ド・ゴールとも呼ばれている。ノルウィージャン製法、トリプルソール、ヒール&トゥ金具補強等、超頑固靴。迫力抜群。まるでチロリアン・シューズにも見える?時計に例えれば、PANERAIサブマーシブル、ROLEXシ−ドゥエラーというところか。間違いなく一生モノの靴の値段はCHF1,380とこちらも超骨太価格だ。










散策は続く。
パスチョン公園を目指しながら、ぶらぶらと歩くのは楽しい限り。
歩く速度は心地良い。色々な店やら、人々の発見ができる。旅での醍醐味はこうしたのんびりさ、これが一番贅沢な時間の費やし方かも知れない。と、ふと見たショウ・ウィンドウにモンブランのペンが。。。



(⇒グレタ・ガルボGretaGarbo生誕100周年記念ボールペン〜)

スウェーデンの生んだ名女優、グレタ・ガルボのPENである。
以前から気になっていたが、そのグラマラスな造形美には強く魅かれる。
クリップにアコヤ真珠がはめ込まれているのも、モンブラン初の女性専用シグニチャーPENであることを強く主張しているようだ。

クリームカラーと黒のレジンの配色、キャップトップのモンブランマークもデカデカしくて、これも好み。
ちょっと自分で使う勇気はないが、男性用でもこういう色気ある限定品を出して欲しいところ。
因みにこのGretaGarboは数量限定ではない。2005年の発売・売り切りである。CHF595也。





(パスチョン公園で宗教改革者の偉人と対面する〜)

パスチョン公園。Promenade des Bastionsは旧市街の南側にある。
ここに幅90m、高さ6mの宗教改革者の記念像があるとのことで、多分、一度は見ているだろうが、『再度面会』をすることにした。PATEK博物館へもここからは10〜15分足らずの距離である。ぶらぶら散歩にはもってこいだ。


(← 左写真)

公園入口には路上に巨大チェス盤が何面も配置されている。
日曜日には愛好者があーでもない、こーでもない、とやるのだろう。
ここまでデカイと観客も一目で分かる。将棋の平面駒に比較して、チェスは立体像であるので、巨大チェスの迫力も倍化するというもの。







(中世の宗教改革とスイス時計産業の結びつき〜)

どうしてスイスに時計産業が発達したのであろうか。
この命題への簡単な答えは、『落ち着いたスイスの気候とアルプスと水に囲まれた自然が時計環境造りに最適であったから』。
だから日本でも長野や東北で時計産業が発達している・・・?

もしこの選択肢を選んだ場合は不合格、不正解である。
夏場は農業に専念し、雪に閉ざされる冬場は時計製作に従事するというのは確かに一面ではあるが、スイス時計産業には自然環境がもたらす影響度は比較的少ない、と筆者は考える。
最大の要因はフランスの新教徒ユグノーHugnuenoのスイスへの亡命がキーである。
歴史を少し紐解けば、15〜16世紀の時計産業の中心地はイギリスであり、フランスであったことが分かろう。そしてスイスにも存在していた訳だが、フランスにおける歴史上の2大事件(↓)、がその後のスイス時計産業を加速度的に発展させたことは疑いない。

簡単に当時の歴史を追うと:
1530年代初め〜 仏プロテスタントの宗教改革者カルヴァンCalvinJohn(1509-1564)がフランスを追われてパリを離れる。
1541年〜     カルヴァンがジュネーヴに落ち着く。
1572年〜     仏シャルル9世によるサン・バルテルミ(バーソロミュー)の虐殺で3〜4千人ものプロテスタントが殺害される。
            これを契機に第一波のユグノーのフランス脱出が開始。
1598年〜     仏アンリ4世によりナント勅令が発布。
1685年〜     仏ルイ14世がナント勅令を廃止。ユグノー脱出第二波が開始。

ユグノーには現代で言うところのアントレプレナーentrepreneur(起業家、企業家)が数多く、同時に高度の金細工・七宝細密画の技術がユグノーの技術者によりジュネーヴ・スイスの時計業界と融合し、昇華したというのが正しい解釈であろう。そしてジュネーヴ一帯がフランス語圏内であること、ユグノーの持つ高度な技術と旺盛な先進性、社会&産業社会を構築しようというエリートの推進力、というものがジュネーヴを中心としてスイス全体に発展していた。そう考えるとなるほど、16〜17世紀にスイスにおいて飛躍的に開花した七宝細密画や宝石・貴石を用いた傑作品の素性も納得出来るというもの。


(⇒右写真: 4大宗教改革者の記念碑〜)

カルヴァン生誕400周年を記念して1907年に着工され、1917年に完成したこの立像は迫力十分だ。向かって左からファレルFarel、カルヴァンCalvin、ベーズBeze、ノックスKnox。
モンブランから切り出した花崗岩で造られている。
ノックスのみがスコットランド人、あとの3名はフランス人である。

こうした立像をみていると、上記のジュネーヴの歴史が少し垣間見れるような気がする。
スイス時計産業の推進力、『エンジン』には宗教改革を通じた中世欧州の大混乱とユグノー達の戦いがあることを再認識するのだ。




PATEK博物館(↓)ではそうした、当時の逸品にこれでもかというほどお目にかかれる。
一方、誠に残念なことに『ジュネーヴ時計・七宝博物館』Musee l'horlogerie et de l'emaillerie Geneveは大掛かりな盗難にあってしまい、もう1年以上にわたり閉館、改築に時間がかかっていると聞く。その開館の目処は今のところたっていないそうだ・・・。
現状では、ジュネーヴにおける時計関係の博物館はPATEK博物館のみとなっているのは少々寂しい気がする。



(参考)2005年11月初における為替レート『概算』 : @¥140/EURO、¥118/US$、¥90/CHF

(PART-2へ続く・・・)




PATEK博物館の関連ページ:
2002年12月訪問記はこちら
最新、2005年12月訪問記はこちら
2005年12月30日まで、『世界の皇族・貴族に愛されたPATEK PHILIPPE展』開催中。

(時計オヤジの『2005年ジュネーヴ再訪〜』関連のWEB等)

⇒ 『2005年11月、ショパールChopard本社工場探訪記』はこちら・・・
⇒ 『パテック・フィリップ・ミュージアムPATEK PHILIPPE MUSEUM再訪』はこちら・・・
⇒ 『ジュネーヴ再訪、PART-1』はこちら・・・
⇒ 『ジュネーヴ再訪、PART-2』はこちら・・・
⇒ 『2002年12月、旧・ヴァシュロン本社博物館探訪記』はこちら・・・
⇒ 『再訪、新メゾン・ヴァシュロン・コンスタンタン』はこちら・・・

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