考察シリーズ(26)

モンブラン・特別限定品 作家シリーズ
『ヘミングウェイ(#1)』と『S.フィッツジェラルド(#12)』の考察



自分にとってモンブランとは腕時計で例えればROLEX的存在に相当する。
王道中の王道PENであり、品格・存在感ともに群を抜く出来栄えである。
そのモンブランの中でも『作家シリーズ』は、個性と完成度からも模範的で圧倒的重厚さを誇る。
今回は作家シリーズ第1作目の今や伝説的名作『ヘミングウェイ』と第12作目の『S.フィッツジェラルド』を
それぞれの作家へのイメージをダブらせながら考察する。(2010/12/11)



(今や伝説と化しつつある#1・ヘミングウェイ〜)


モンブラン(以下、MB)筆記具は全般的にデザインと造りこみが素晴らしい。
特に1992年より開始された『作家シリーズ』は完成度が高い。
まさに書く喜びと持つ喜びを両立させた見事なバランスの融合がある。

中でもシリーズ第1作目の『ヘミングウェイ』は今や伝説と化した感さえある。筆者の所有するのはBPであるが、ヘミングウェイ萬年筆が1930年代の#139をモデルとしていることは有名だ。

#139を実際に手にしたことは無いのだが、#146を愛用するが#149は胴軸が太すぎると感じる筆者にとって、このヘミングウェイも同様。そしてそれはBPと言えども萬年筆と同じ感覚である。つまり、手に合わない『太すぎる胴軸』なのである。

ではどうしてこのヘミングウェイを所有するかと言えば、
@MBの初代作家シリーズであること
A(黒に見えるが)濃茶のキャップ部分と胴軸の朱色のマッチングが美しいこと
Bヘミングウェイというアメリカ文学史のカリスマ的偉人のイメージがピッタリと当てはまること
CそしてBPの方が、ことMBのヘミングウェイに限っては萬年筆より使い易いこと、が挙げられる。


つまり@〜Bは何ともミーハーな理由に因るもの。
ヘミングウェイはモンブラン好きにとっては一つの頂点、目標とすべきランドマークでもあるのだ。

しかし、正直なところ、BPとしての使用であってもこの太軸は筆者の手に余る。
理由は朱色部分の胴軸から先端の黒いペン先部分にかけての絞込みにギャップが生じていることだ。つまり、太さの絞込みが急角度、唐突過ぎて、人間工学的な観点からは決して持ち手に優しい構造とは言えない点である。例えば同じく愛用する作家シリーズ『#2アガサ・クリスティー』のBPが右手にとって、この上ない馴染み具合をもたらしてくれるのとは対照的だ。

それでも、ヘミングウェイはパパ・ヘミングウェイ本人への郷愁や憧れを上手くイメージさせることに成功し、MBの歴史においても既に伝説的な存在まで昇華したと言っても過言で無い。MB社の図抜けたマーケティング力にはただただ脱帽するのみだ。MBは本当にこの種の商品化、企画力がPEN業界で突出している。





(パパ・ヘミングウェイ本人が実際に使っていた萬年筆とは〜)

それでは作家ヘミングウェイ本人が使用してしていた筆記具はMBであったか?と言えば答えは”NO”である。
ヘミングウェイ本人の文筆活動で下書きに多用したのは”2Bの鉛筆”であり、清書は”スミス・コロナ社のポータブル(=タイプライター)”というのが定説であり事実。また、愛用する萬年筆はMBではなく、パーカー51であり、パーカーの広告にヘミングウェイ本人が出演しているというから可也強い思い入れがあったことが容易に推察出来よう。パーカー51とは現代で言えばLAMY2000を連想させる特異なPEN先を持つモデル。ペン先の大部分が胴軸部分に隠れたデザインであり、MB萬年筆が大きな羽根型ペン先を有するのとは全く異なる。





(⇒右写真: アフリカでパーカーの萬年筆を手にメモを取るヘミングウェイ本人)

今年発売された『ヘミングウェイの流儀』(日本経済新聞社刊)はヘミングウェイの愛用品の数々を網羅していて面白い。その中にパーカー51の件(くだり)もある(同書146頁)。あの巨漢で、ペン先が小さなペンポイントだけを出したような繊細なる萬年筆を愛用したとは、少々アンバランスで滑稽な光景ではなかろうか。もっと大きな羽根型18金製ペンを持った古風な威風堂々とした萬年筆のイメージがあるのだが、”2B の鉛筆”と同様に拍子抜けしたミスマッチ感がちょいと愉快。

もしヘミングウェイが生きていたら、このMBペンを見て何と言ったであろうか?MBに賛同して商品をリリースさせただろうか?濃茶と鮮やかな朱色のツートーンカラーのペン軸に同意しただろうか?
そんな空想をしつつ、このPENを握る時間は確かに愉悦のひと時となるのだ。『書き味よりも手にした雰囲気で酔うPEN』、というのがヘミングウェイの正直な感想である。










(⇒右写真: スキがない各部、パーツの仕上げ具合〜)

ジックリ見ても本当に上手い。全ての作り込み具合が完成されている。
その源泉には絶対的なるデザイン力と歴史的アーカイブの力がある。
MONTBLANCの旧ロゴ刻印、そこに斜めで金色のHemingwayサインが入るところなど、モンブラン以外でこうした気品あるPENを作れるメーカーは少なかろう。
クリップはBrushed仕上げの鈍い金色。この色も見事に品がある。
一見、黒に見える濃茶のキャップ部分もその存在感は見事。
本家本元の底力とでも言うべき『見せ場』はこうした随所に現れている。

もし日本のメーカーであれば、例えば夏目漱石シリーズとか太宰治シリーズといった作家モノを生産しても不思議ではないが、そうした『小洒落た』商品展開がないのには何か理由があるのであろうか?日本の萬年筆であれば、日本が生んだ作家限定でシリーズ化しても何等不思議ではない。
作家モノでなくとも宜しい。例えば吉田茂、白洲次郎に始まり、加藤和彦に至るまで稀代の伊達男シリーズでも良いではないか。『PENオヤジ』としてはこうした商品企画をまさに日本の3大萬年筆ブランドには期待しているのだ。要は自らモメンタムを作って、新商品を開発する原動力にすること。入学、卒業、就職シーズンだけを当てにしているマーケティングでは自ずと限界あるのは至極当然。一体、何か考えてんだか考えて無いんだか・・・。








(←左写真: 全体像はどっしりとして良いのだが〜)

前述の通り、朱色の胴軸の太さと、ロケットのようなPEN先形状の先端部のバランスが宜しくない。時計に例えれば46mmケース径以上の超大型腕時計、というところだろうか。大味なグリップ感触であるのだ。

書く喜びよりも、所有する楽しみ、ヒトに見せる喜び、の方により重点を置いているようなPENであるのだ。
身長・体重ともに大柄の御仁、手のひらが大きい御仁にはピタリとハマルかもしれないが・・・。











(1920年代に輝いたS.フィッツジェラルドとヘミングェイのこと〜)


Francis Scott Fitzgeraldこと、フランシス・スコット・フィッツジェラルドは1896年生まれ。
ヘミングウェイが1899年生まれであるから、3つ違いの略同年代である。
モンブランの作家シリーズの#1を飾り、フィッツジェラルドは#12という順番は、二人の人生や名声を象徴している気がする。

ヘミングウェイは4回結婚し、波乱万丈の人生を送る。方やフィッツジェラルドは結婚は1回きり。しかし、その伴侶となったゼルダとの結婚生活がとてつもなく『パワフル』であったことは村上春樹著『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(中公文庫540円)を読めば良く分かるので興味ある向きにはお奨めする。1920年代の10年間は『ジャズ・エイジ』と呼ばれたアメリカが一番輝いたアールデコ最盛期とも重なる。アールデコとは対極にあるバウハウスがドイツで開校したのが1919年。この10年間、1929年の大恐慌が来るまでがフィッツジェラルドの最盛期であり、以降、フィッツジェラルドの輝きは急激に失せてゆく事になる。5ドル札を燃やしてタバコの火をつけた1921年頃、フィッツジェラルドとヘミングウェイは飲み仲間でもあったのだが、フィッツジェラルドの『毎夜パーティー三昧の出鱈目な生活』とゼルダの『フラッパー代表選手』としての言動が度を越すに従って、二人は距離を置く関係になる。

フィッツジェラルドと仲の良いヘミングウェイを嫉妬したゼルダの不安定な精神状態と夫婦喧嘩の一場面が次の一節からも見て取れる:
『面倒見の良いスコットはヘミングウェイの才能を認めその素晴らしさを人々に説いたが、ゼルダはヘミングウェイのことを大仰なだけの「にせもの」だと決めつけ、彼を気に入っているスコットのことを「おかま」だと断言した。』(=上述村上春樹著『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』中公文庫・156頁より引用)

『アーネストは晩年のスコットを馬鹿にしきっていて、その気持ちを誰に対してもかくそうとしなかった』(同53頁より引用)


そんなフィッツジェラルドとヘミングウェイのこじれてゆく関係を、この2本のモンブランのPENに重ね合わせて見ると、なんとも切ない気持ちになるのだ。結局、ヘミングウェイは愛人の家で急死したフィッツジェラルドの葬儀に参列しなかった。最後まで距離を置いた形で二人の関係は終了することになる。

脱線するが、村上春樹氏はフィッツジェラルドの『いちファン』であり、彼をベンチマークとして自分の人生に重ねることで、自分の小説家としての生き様を絶えず監視させる役をフィッツジェラルドに与えているのではなかろうか。『ファン』という言葉は余りに軽々しい印象を与えるが、敢えて『ファン』の立場としてフィッツジェラルドを讃える一方で客観視しつつ、更に同時に自身の内面にフィッツジェラルドを寄生させ、生かし続けることで人生の糧のような存在に昇華させている。もっと大きく言えば村上春樹氏の恩師のような位置付けにあるのがフィッツジェラルドであると感じる。
村上春樹はフィッツジェラルドが眠るメリーランドの小さな村、『ロックヴィル巡礼』をしているが、まるで筆者が『スイス時計巡礼の旅』大きく2度に分けて行ったように、この種の巡礼旅行は古今東西、カテゴリーを越えてどうやら共通の行動様式であることが面白いし、彼の行動には至極当然として共感を覚えるのだ。



(何故か重厚感ではなく、ジャズ・エイジの浮遊感・喧騒を感じさせる全体デザイン〜)

この2002年に発売されたシリーズ#12のフィッツジェラルドの萬年筆、14000本限定。
全体の美しさでは作家シリーズの中でも中々の美しさを誇る。白色という軽やかな色彩が、軽薄さとまでは言わないが重厚さとは決して言えない、丸で1920年代の毎夜の乱痴気パーティーで浮かれたフィッツジェラルド夫妻を上手く表現している気もする。
2010年7月、サウジアラビアのモンブラン正規ブティックを覘いたところ、何と新品が展示販売されているではないか。
これはもう奇跡的遭遇に近い。2003〜2004年頃、店頭で迷った挙句に買い逃した経験があるだけに、今回は即買である。

1920年代の摩天楼を模したPEN先デザイン(↓下写真)といい、華やかなる黄金時代のアメリカを表現した白マーブル調胴軸に、アールデコ風の銀色リングが嵌め込まれた様は、まさにフィッツジェラルド本人の人生を重ねるとこれ以上、切ない萬年筆デザインはない・・・。

44歳で亡くなったフィッツジェラルド。その歳で自分は何をしていただろうか。
61歳で自ら人生の幕引きを行ったヘミングウェイ。
今、自分はその歳に限りなく近づこうとしている・・・。(2010/12/11 338075)






















参考文献:
『ヘミングウェイの流儀』(今村楯夫/山口淳共著・日本経済新聞出版社)
ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(村上春樹著・中公文庫)

(『PENオヤジ』のその他の関連ページ)
⇒2007年10月の『ロンドン・ペン・ショウ潜入記』はこちら
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⇒モンブラン作家シリーズ『ヘミングウェイ(#1)』と『S.フィッツジェラルド(#12)』はこちら

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