時計に関する随筆シリーズ (65)

ロンドン・ギルドホール時計師博物館訪問記』
"The Clockmakers' Museum" at the Guildhall, City of London

〜『マン島への誘い(序章)』〜





筆者が『ロンドン3大時計博物館』に数える最終拠点がここだ。
余程のマニア、時計好きでないとその存在さえも知らない。
小さな小さな博物館であるが、英国時計の歴史が凝縮された場所である。
いよいよこの『ギルドホール時計師博物館』を皮切りに『マン島への誘い』シリーズを開始する。
ある種、憧れ・夢であったマン島訪問への意欲が『ロンドン生活』を通じて駆り立てられることになるのだ・・・。

(↑上写真: 時計師博物館の入口。『時計師博物館』はギルドホールに隣接する図書館1階にある。)




(現存する『時計師組合』としては世界最古の歴史を持つのがギルドホールだ〜)

City of London 〜 通称シティ。
ロンドンの中枢、金融街として知られるシティの西のはずれにギルドホールが存在する。ギルドホールとは旧ロンドン市庁舎であるが、そもそもギルドとは職人組合を意味する。ロンドンにおいては現存する時計師組合は世界最古、1631年に時のチャールズ1世の加護の元で設立された組合であり、品質・技術・訓練等の向上を図ると共に、組合員の『福利厚生』をも確保した。簡単に言えば、時計に係わる仕事を行うためには税金を払い、メンバーになる。そうしないものは時計には一切、手を触れることが出来ないという排他的組合組織である。大陸のギルドと同じ概念だ。

(⇒右写真: ギルドホール建物全景。時計師博物館はこの隣の図書館内にある。)

筆者の考えるロンドン市内の3大博物館とは、『大英博物館グリニッジ王立天文台、そしてこのギルドホール時計師博物館』である。16〜19世紀の時計や工具を体系的に集めた博物館としては、このギルドホールが小規模ながらも頭一つも二つも抜き出た存在だろう。時計の針各種やピンセット、針取り付け等の小さな工具の展示も面白い。

何よりもこの時計組合理事長を歴任したのが、英国の生んだ偉大なる時計師ジョージ・ダニエルズ博士である。
むむ〜ん、伝統を誇る英国のかつての全盛期の雰囲気が漂っている。




(←左写真: 拝観料は無料。月〜土曜日が開館日だ〜)

ウェストエンドのシティは閑散としてる。
周囲はビジネス用のビルが中心の商用地ゆえ、特に週末は人影もまばらだ。

初めて訪問したのは2006年のこと。
以来、機会があるたびに拝見してきたが比較的気さくに入れる点は嬉しい。
2階には格式あるギルドホール図書館もあるので興味ある御仁にはお薦めである。












(栄枯盛衰。現在、英国生粋の時計師はいるのか、という疑問が〜)

さてギルドホール時計師組合と言っても、果たして現代の英国において何人くらいの時計師が存在するのであろうか。ここでいう組合員とは、想像するに時計業界、リペアも含めた時計店で働く時計師全般を中心に指すのではなかろうか。しかし、一方で花形と言うべきか、表舞台で活躍する英国人独立時計師も少なくない。









その中心が30〜40歳台の若手時計師であると推測する。
例えば、ピーター・スピーク・マリーンPeter Speake-Marine、ステファン・フォーシー Stephen Forsey、そしてG.ダニエルズ博士直系のロジャー・スミスRoger W.Smithらを真っ先に連想する。独立時計師としてかかる人名が直ぐに頭に浮かぶ人材を輩出しているのが英国の底力か?

いや、正しく言えば彼等の国籍が英国籍であり、修行・飛躍の場はRWスミスを除いて、スイス中心であることは疑いない。ピーターもステファンも今や活動の場はスイスである。しかし、例えスイスが基礎習得・応用の場であろうとも、誇り高き英国人の時計師として、彼らの作品には伝統的な『英国産DNA』が宿るに違いない、という『時計オヤジ』の妄想・仮想が湧き上がる。

であれば、そのDNAとは一体、何か・・・。
これまでスイス&ドイツ時計業界(〜大袈裟だね〜)を中心に垣間見て来た『時計オヤジ』の頭の中でG.ダニエルズ博士を筆頭に、現代に生きる英国時計師への興味がグルグルと丸で竜巻のように舞い上がってくるのだ。





(最近、日本でも見かけるJ&T Windmillsの腕時計が鎮座する〜)

さて、展示品については原則、写真撮影禁止、である。
今回は特別に個々のタイムピースの撮影をしない条件でご許可頂いた。
入口を入るとすぐに、現代を代表する英国時計として、3種類が展示されていた。

1)G.ダニエルズ博士のコーアークシャル搭載腕時計。当然だろう。
2)R.W.スミスによる角型のオリジナル時計
3)そして最近は日本でも発売されているようだがJ&T Windmillsの時計だ(⇒右写真)。
  因みにこの時計は全部、手巻式。ETA製モジュールを搭載していると推測するが、
  そのデザインはまさに古典。ラジオミールのようなワイヤードループを有した
  Throgmortonシリーズなど、そのクラシカルな文字盤やブレゲ針などと相まって、
  非常に落ち着いた良い雰囲気である。





(←左写真)
こちらはG.ダニエルズ博士のコーアークシャルである。
出来れば拡大撮影をしたかったが、撮影の制限がある為に仕方あるまい。
RW.スミスのレクタンギュラー製時計も、ケースと文字盤の配色等がJ.ダニエルズ博士の作品と酷似する。

やはり、RW.スミスは直系の後継者であるのだろうか。
G.ダニエルズ博士は現在、どのような活動をしているのだろうか。
どうしてマン島で時計製作を行うのであろうか、マン島とはどんな場所だろう・・・
英国のDNAを探るにはマン島を訪問することが、最良かつ原点になるのではなかろうか。





妄想と想像、推理と仮説を自分の中で反芻する。
因みにこのホームページのURLにある”tokeihakase”とは、何を隠そうジョージ・ダニエルズ博士へのオマージュを込めて命名したものだ。
今まで、意識・無意識の中でマン島へ憧れてきた自分でもある。
そうした『マン島への誘い』が、この後、いよいよ『時計オヤジ』の中で次第に固まりつつ、行動に移すことになるのだ。(2008/3/19)


(※ジョージ・ダニエルズ博士の名著”WATCHMAKING”と菅原茂訳著『ブレゲ・天才時計師の生涯と遺産』はいつか手に入れたいと思っている。特に後者のブレゲ(訳書)は目下のところ発見不可能。入手方法についてどなたかお分かりであればお知恵拝借させて頂きたいものである。)



(以前に大英博物館の巻で紹介したG.ダニエルズ博士の懐中時計を再掲載しよう〜)


『1976年製、英国が生んだ偉大なる時計師、ジョージ・ダニエルズ博士George Danielsによる懐中時計だ。ご存知、コ・アークシャル搭載であるが、こちらの説明によればコ・アークシャルという言葉は無く、"independent double-wheel escapement of Daniel's own invention"という表現が用いられている。

直径10センチはゆうにあろうかという金無垢ケースには秒針の小ダイアルが12時位置に来る独特のもの。『偏心文字盤』のデザインとしても完成度は高い。時針の短針先端は写真のように矢印の意匠である。竜頭らしきものは見当たらない。恐らく古典的な鍵巻き式を採用したのであろう。どうやって時針の動きを調整するのであろうか。

下側の時針小ダイアルのデザインはブレゲを彷彿とさせる。ブレゲ研究の権威でもある同氏ならではの帰着デザイン、であろう。繊細なギョーシェで飾られた文字盤上には、小さく、DANIELS、 LONDON、と刻印されているのが誇らしい。

現在はマン島で隠居生活をしているダニエルズ博士らしい。今年(=2007年)で御歳81のはず。スポーツカー三昧の生活を楽しまれていると以前、とある雑誌の取材記事で拝見した記憶がある。『時計オヤジ』もちょっとロンドンから遠出して、本物の”tokeihakase”こと『時計博士』に会いに行きたくなる衝動を覚えてしまう、この元祖コ・アークシャル懐中時計である。(2007/9/07)』




(英国に関する『時計オヤジ』の関連WEB):

⇒ 『ロンドン・ギルドホール時計師博物館訪問記』(マン島への誘い〜序章)はこちら
⇒ 『マン島への誘い』はこちら
⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.1』はこちら
⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.2』はこちら


⇒ 2004年7月の『大英博物館訪問記』はこちら
⇒ 2007年9月の『大英博物館・時計展示室休館の巻』はこちら
⇒ 2004年7月、グリニッジ天文台探訪記はこちら



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