時計に関する随筆シリーズ (67)

『マン島への誘い』

〜R.W.スミス工房探訪記@〜





The Isle of Man
「マン島」への憧れはいつしか自分の中で濃密に熟成されて行く。
マン島と言えばオートバイTTレースが有名。
しかし、時計好きにとっての意味合いは全く異なる。
現代の英国時計生産地としての『聖地』へ、いよいよ足を踏み入れる時が来た。

(↑上写真: ようやくマン島が見えてきた。これから着陸体制に入る『時計オヤジ』だ。2007年12月某日11:32am撮影)




(いざ、マン島へ〜)

2007年12月某日、朝5時過ぎ。
始発の地下鉄に乗り込みヴィクトリア駅を目指す。
そこから空港行きエクスプレス(鉄道)に揺られること30分、ガトウィック国際空港に到着だ。ガトウィックはヒースローと並ぶロンドンの2大国際空港である。
マン島は勿論、英国国内であるのだが、ここから国内線が出ていてもおかしくは無いが、待合室は国際線と全く同じ場所にある。Duty-Freeでの買い物客で朝から賑わうフロアで待つのは少々、違和感を覚える。

やがて迷路のような細い通路を抜けてマン島行きゲートに到着すると既に20〜30人の乗客が待っている。ビジネスマン、住人、所用で往来する人が中心と思える。この時期、観光でマン島を訪れる人はまばらである。
飛行機を見ると、何とプロペラ機だ(⇒右写真)。久々のプロペラ機搭乗は何年ぶりだろう。
前回は、アテネ⇒イスタンブール、その前はマスカット⇔ドバイ往復であったなぁ。

ジェット機よりも低空で飛ぶプロペラ機はランドスケープ、起伏の変化をより近くで眺める楽しみがある。小さな搭乗ハシゴからFlybeに乗り込み、90分間の『遊覧飛行』を満喫しつつ、今日の目的地であるマン島についての想いを馳せる『時計オヤジ』である。


(今回のマン島訪問の目的は、ズバリ、『R.W.スミス工房』を訪問することだ〜)


マン島と言えば、大御所ジョージ・ダニエルズ博士の住む『聖地』。
博士の工房もここにある。
雑誌”TIME SCENE”VOL.Cにある、”お尻評論家”でもある山田五郎氏の『表敬訪問記』が大変興味深い。
ここで博士の生い立ち、自伝ともいうべき生き様に迫る山田五郎氏のインタビューが白眉。
『時計のメカニズムを通した分析・比較検証論』、という切り口が昨今の時計評論記事の主流であるが、もう一つ別の切り口、即ち、『その時計製作者の人生と正面から対峙し、その人生観から搾り出した哲学を作品に投影させて解明する手法』を筆者は特に好む。山田氏の西欧美術・腕時計への造詣の深さが取材記事に迫力と厚みを増幅させる。
同年代の『時計オヤジ』には最も波長が合う評論家の一人である。

上記インタビュー記事でG.ダニエルズ博士はこう述べる:
『技術ばかりを誇示する醜悪な作品が増えているのは嘆かわしい』
『歴史性と知性、技術と美意識、嗜好性と機能性。6つの要素全てにおいて完璧でなければ良い時計とは言えません』

  (出典:徳間書店刊2004年12月25日発行”TIME SCENE”Vol.C 171頁より部分引用)

まさに現代時計業界へのアンチテーゼである。
筆者の感じていること、自らの主張と齟齬は微塵も無い。
2008年バーゼル初訪問して再確認したことだが、魅力ある時計、人を惹き付ける時計、長年に亘り生き残る時計、というのは流行からは距離を置いた存在である。奇抜なデザイン、新メカニズムの名を借りた醜悪デザインのムーヴメントや新素材崇拝主義は御免被りたい。時計とは将来、長年に亘り受け継がれるべきもの。完成された伝統デザインの堅持に我慢できず、小手先の奇天烈なデザイン開発に走るメゾンは恥じるべきだ。そして発売・購入後、繰り返される修理やメインテナンスを前提で考える場合、素材・機構含めて何が最良かつ最善かを真剣に考えるメゾンはまだまだ少ない。

閑話休題。
G.ダニエルズ博士直系の弟子でもあり、唯一無二の後継者がロジャーW.スミスである。
今回の訪問に際して、『時計オヤジ』なりの『哲学』、及び『嗜好性と目的』を事前に十分説明した上で、最終的にR.W.スミスより工房訪問の許可を得た。こちらとて興味の無い時計師には会いたくない。歴史と哲学を感じない作品にはこちらからお引取りを願いたい。逆に会いたい人物・作品には限りない関心を抱く。

『時計オヤジ』が今回訪問する相手は、大袈裟に言えば英国時計産業の歴史を背負った現代の『G.ダニエルズ2世』である。
緊張と気合、期待と興奮でタクシーで向かう道中、感極まるものがこみ上げてくるのだ。
『時計オヤジ』、『ゼンマイオヤジ』にとっての『時計道楽』とは、まさにこうした感動・期待の高まりに身を置く事。
時計を媒体とした双方向コミュニケーションの創出に他ならない。



(←左写真: マン島空港は質素な田舎空港〜)

1953年6月24日開港のマン島空港ビルは2階建て。
質素で空港としての必要最低限な機能を備えたビルである。
ハシゴ式タラップを降りて、徒歩で空港ビルへと向かう。

さて、これからどうやって北上すべきか。
足はタクシーしかあるまい。
早速、空港前のタクシー乗り場でワンボックスカーに乗り込む。
この運転手、かなり年配の女性である。
マン島に移り住んでもう20年になるそうだ。
往路30分程の道すがら、マン島についての情報を種々お聞きすることにした。





(アイリッシュ海の中央に浮かぶマン島とは〜)

人口約8万人、自治権を持つイギリス王室の属国である。
独自の紙幣と貨幣を持つ。面積は淡路島程度の大きさだ。
(⇒右写真でも分かるように紙幣中央、円形にある3本足がマン島のマーク、トリスケルだ。)
マン島最大の産業が金融である。
今や製造業の多くが衰退、若しくは外資に買収された英国経済の縮図がここでも当てはまる。
マン島からは6つの世界が見渡せるとも言われる。
マン島、イングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランド、そして 6番目が『天国』!?
そう、マン島のオートバイTTレースは100年の歴史を誇る公道レースとして知る人ぞ知るバイク・メッカ的イベントであり、その難コースから犠牲者も毎年後を絶たないと聞く。途中、道端に花束が置かれたりするのが更にリアルである。合掌。





そのTTコースをタクシーでひた走る。
←左写真でも分かるようにTTレース用のオレンジ色の看板が随所で目に付く。
カーブ、コーナーが非常にキツイルートも多い。目まぐるしいギアシフトチェンジの必要性が手に取るように分かる。『時計オヤジ』は『バイクオヤジ』でもあったので、こうした光景を見ると、エクゾーストノート、排気音やギアダウンの音までが脳裏に蘇る。

そんな話を初老の女性ドライバーと話しつつ、そして世間話に一時を費やす。
G.ダニエルズ博士のことは全くもってご存じない。
20年の住人でさえ、そのようなもの。
時計に興味が無ければ尚更、それは無理も無い話しである。








(毎回、時計メゾンや時計師と会う時に自らの時計選択で悩む〜)

今回はフランクミュラーのリミテッド2000を腕(手首)に巻く(⇒右写真)。
理由は、ギョーシェ文字盤と青焼き針の仕上げの美しさだ。
筆者所有の腕時計で1、2を争う美しい文字盤である。
これをベンチマークとした場合、果たしてR.W.スミスの作品はどのように『時計オヤジ』の心に響くのか。ただただ、それを確かめたかったのだ。

結論は、想像以上。
予想を遥かに上回るR.W.スミスの出来映えに息を呑む。
その詳細は次回、工房訪問記で詳述する。

   
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筆者は時計業界に身を置く人間ではない。
全くの異業種において日々の糧を得ているのだが、あくまで趣味と好奇心で『時計道』を歩んで来た。
冷静に考えれば、かなり『酔狂な類の人種』であろう。
しかし、この数年間、振り返れば良くぞここまで入れ込んだものだと我ながら感心する。
恐らく、今回のR.W.スミス訪問、そしてこの後に続く、2008年4月のバーゼル訪問が『極上時計探しの旅』の第一章完結、ひと区切りになるかな、と感じている。(2008/4/20)




(参考文献)徳間書店刊2004年12月25日発行”TIME SCENE”Vol.C


(英国に関する『時計オヤジ』の関連WEB):

⇒ 『ロンドン・ギルドホール時計師博物館訪問記』(マン島への誘い〜序章)はこちら
⇒ 『マン島への誘い』はこちら
⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.1』はこちら
⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.2』はこちら

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⇒ 2004年7月の『大英博物館訪問記』はこちら
⇒ 2007年9月の『大英博物館・時計展示室休館の巻』はこちら
⇒ 2004年7月、グリニッジ天文台探訪記はこちら

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