いよいよマン島の工房にてRoger W. Smith Ltd.の作品を実際に拝見する。 思えば英語を母国語とする時計業界の人と話すのは初めて。 言語は勿論、正統派のイギリス英語。 『離れ小島』のマン島においてクィーンズ・イングリッシュでテンポ良く会話する楽しみも格別。 独特の白衣姿が凛々しい、R.W.スミス氏の登場だ。 (↑上写真: 懇切丁寧なる説明で『時計オヤジ』もかなり熱を帯びて来たゾ。2007年12月某日13:07撮影) |
(ロジャーW.スミス=RWS工房に到着だ〜) (『マン島への誘い』から続く〜) マン島の北西部の、とある小さな町にロジャースミスの工房兼住宅がある。 空港からタクシーで約30〜40分程度、途中、電話連絡で場所を確認しながら、ようやく到着する。周囲は閑散とした野原、という印象であり、住宅が立ち並ぶという光景は全く見当たらない。住宅と思しき建物がポツリ、ポツリと点在する、これぞマン島ともいえる殺伐とした土地柄である。 車を降りても、工房らしき建物は見当たらない。 こんな荒涼な平野、寒風吹きすさぶ地にどんな人が住んでいるのだろうか、と少々不安になる程だ。 右写真はスミス氏の住宅部分であるが、工房はこの手前の小さなスペースに、丸でガレージを改造したような感じで構えている。聞けば、現工房も含めて新たな場所への移転も念頭に置いていると言う。特にその工房は年産本数に見合った規模と言えばそれまでであるが、確かに小さい。 クリーム色に塗られた壁一面が一層、淡白な印象を強める建屋である。 仮説1) 『RWSは、G.ダニエルズ博士の後継者というよりも、確信的に博士の存在を超えようとしている〜』 早速、工房に入る。 英国でよくある、ガレージ等を後から改装したコーチハウスと呼ばれる建物のようだ。 平屋で間取りは大きく2つに分かれる。 組立工房と部品やケースを製作する工具類が置かれたワークショップである。 ここでもCNC旋盤機が一台、そして伝統的な部品製作用の機械も鎮座する。 CNC旋盤は、現代の時計工房では最早、必須の『工具』となっているのだ。 RWSと聞いて連想するのは、G.ダニエルズ博士直系の弟子、そしてCo-Axialコー・アークシャル脱進機の守護神、という位置付けだ。1992年、初めてRWSがD.ダニエルズ博士に自作の懐中時計を持ち込んで以来、17年の歳月が経過した。当初、デテント脱進機を製作・搭載していたが、今ではCo-Axial以外は作らない、という信念まで抱いている。 Co-Axial以外は作らないのか、という筆者の問いに対して、寡黙な風貌の英国時計師は答えた: 『Co-Axial以外に興味は無い。もっとも、それを超える脱進機が登場すれば別の話だけどね』とサラリと述べた。 G.ダニエルズ博士とは現在、どのような交流をしているのか、との質問に対して: 『先週もこの工房を訪れました。彼は高齢(82歳)の為、眼が良く見えず、10分以上立っていることは出来ません』とのこと。 この回答には少々、ショックである。D.ダニエルズ博士は既に時計製作から身を引き、更には体調そのものも芳しくないと言う事実。人間誰しも、いつかは訪れる老いと引退。D.ダニエルズ博士は最早、時計業界から完全引退し、Co-Axialの守護神は自分であるのだ、という自覚と責務がRWSには17年間の間に叩き込まれてきた。いや、正確には叩き込まれた、と言うよりも、自然とそうした環境に追い込まれたというのが現実ではなかろうか。RWSがG.ダニエルズ博士の後継者であることは間違いない。しかし、37歳で油が乗り切っている彼には、更なる野望、即ち、自身のタイムピースをより高度に昇華させることで、G.ダニエルズ博士の後継者の立場を確立し、より独自性を深化させて行こうという決意が感じられる。 現在、彼の作る腕時計は全てCo-Axial搭載である。 パーツ、その他、全てオリジナル。ETAをベースムーヴメントとするのではなく、設計からして全てがオリジナルと言うのが凄い。 開発に3年半、4ヶ月前から市販用の生産に乗り出したというのがこれから紹介するタイムピースである。 (←左写真: 腕時計のみならず、巨大なグランドファザークロックも製作する) レギュレーター式でパーペチュアル・カレンダー搭載のグランドファーザーは珍しい。それも7ヶ月巻きときた。ムーヴメントはダイアルから透き通って見ることが出来ると言う。サイズは縦155cm、横幅36cm、奥行き31.5cmの巨大サイズだ。その図面と共に、製作中のムーヴメントを説明頂く。 RWSはムーヴメントの製作を、文字盤はチャールズ・スカーCharles Scarr、木製ケースはデーヴィッド・リンレィDavid Linleyがそれぞれ担当すると言う。 腕時計製作の一方で、こうしたグランドファーザーまでも製作する、というのが余裕というか、発想と頭の切り替えにも活用されているのではなかろうか。 それにしても、この一点モノの掛け時計は誰の手に渡るのか、興味津々である。 (←左写真: これがグランドファーザーのムーヴメント部分) ニッケル・シルバー素材の肉厚のプレート上には巨大な歯車が組み立て中である。 脱進機はグラスホッパー方式。J.ハリソンが発明した英国伝統式を採用するのが英国時計師としてのプライドとコダワリであろう。 筆者は2004年7月にミュンヘンのアーウィン・サトラーErwin Sattler工房を訪問して以来、掛け時計組立風景に接するが、まさかRWSが腕時計以外も同時並行で手掛けているとは驚いた。こうした製作手法は徹底した分業体制にある大手メゾンの時計師では有り得ない。 こうした所が、ある意味勝手気まま、臨機応変に対応出来る独立時計師の最大の楽しみの一部かも知れない。 仮説2) 『量産化には興味が無い。完璧を追求して個体の完成度を訴求する〜』 組立工房の隣では数種類の機械工具が唸りを上げて活躍中だ。 げんざい、RWSの工房で働くのは3名(全て英国人)。内、1名は部品やケースの切削専門の技術者である。勿論、RWSやもう1名のメンバーもパーツ類を自ら削り出す。独立時計師とは中小企業の経営者同様、全ての実務もこなせる万能さがないと務まらない。私は経理だけ、営業だけという専門バカでは絶対に務まらない。オールラウンダー、且つ全てのパフォーマンスにおいて突出した技術と成果が要求される、極めて孤独でプレッシャーのある仕事に他ならない。 (⇒右写真: ストックしてあるパーツ棚から一部を紹介して頂く〜) 時計ケース含めてCNCマシンから年間約千個のパーツを作り出すそうだ。 千個と言っても、時計一個で約200の部品があるから、単純には5個分相当。 しかし、時計の部品にも色々ある。その他、CNCマシン以外の機械からも作られるが、 ズラリ並んだパーツは小さなプラスティックケースに分類されている。 (⇒右写真:こちらにはテンワが未完成のまま保存されている〜) 如何にもCNCマシンでなければ切削出来ない、という見本がこちら。 テンワ上に4箇所あるC型のジャイロマックスを装着する形状がお分かり頂けるか。 (←左写真: ベースプレート、地板の一部もまだ切り出されていない〜) どうして完成品ではなく、こうした部品をストックするのであろうか。 恐らく、一つ一つの部品を完成させる時間と余裕が無い、というのが現状だろう。 僅か3名のみで時計を製作するのは、時間との戦い、効率との戦いでもある。 |
仮説3) 『マン島からは離れない。荒くれた自然の中で、シンプルライフと時計製作に打ち込む〜』 1997年にこのマン島に移り住んで以来、2007年で丁度10年を迎えた。 もともとはマンチェスターのボルトン出身。相棒のAndyことAndewは時計学校で3年間を共にした『同級生』でもある。 しかしその時計コースも今では閉鎖されたと言う。 どうしてマン島に移り住んで来たのだろう。 間違いなく、G.ダニエルス博士の影響が大きいと筆者は推測する。 しかし、このマン島にはそれだけではない『魅力』もあるのは事実。 そうでなければ、RWSの親族や相棒たちまでもがこうしてこの孤島に集まってくるのは考え難い。 独身のRWSであるが、クリスマスには親戚と共にマン島で過ごすのが楽しみと言う。 30年以上前に、米国俳優のピーターフォンダがレナウンのシンプルライフCMに登場した光景が思い出される。 ウィスキー造りではあるまいし、どうしてこんな寂しい不便な孤島で時計製作を行うのか。 それは英国文化は風土を理解するにつれ、徐々にではあるが、理解出来よう。 ある種の『憧れ』もマン島が持つ魅力であり、そして英国伝統のカントリーライフはまさにこのマン島にある。 しかし、そのトリガーを引いたのは間違いなくG.ダニエルズ博士の存在であろう。 RWSとの会話を重ねるに連れて、筆者は推測から確信するに至る。 (⇒右写真: 工房内の全てを懇切丁寧に説明頂く〜) 独特の風貌は37歳という年齢より老けて見える(失礼!)。 神経質そうな表情であるが、白衣とスタイリッシュな眼鏡の影響もある。 実は、優しい、物腰の柔らかい英国紳士であるとお見受けした。 白衣を脱いで、ジーンズ姿でパブへ行くと、その印象はガラリと変わる。 孤高の時計師には間違いないが、孤立してもいないし孤独でもない様子。 好きな時計製作パートナーと共に、『恩師』のそばで時計製作に打ち込む楽しさを 何よりも人生における最大の楽しみとしている様子が感じられる。 そして、Co-Axialを製作する時計師は世界広しと言えどもRWSしかいないのである。(2008/5/18) (Part.2へと続く〜) |
(英国に関する『時計オヤジ』の関連WEB): ⇒ 『ロンドン・ギルドホール時計師博物館訪問記』(マン島への誘い〜序章)はこちら。 ⇒ 『マン島への誘い』はこちら。 ⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.1』はこちら。 ⇒ 『ロジャーW.スミス時計工房訪問記〜Part.2』はこちら。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ (その他の英国関連サイト) ⇒ 2004年7月の『大英博物館訪問記』はこちら。 ⇒ 2007年9月の『大英博物館・時計展示室休館の巻』はこちら。 ⇒ 2004年7月、グリニッジ天文台探訪記はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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