時計に関する随筆シリーズ N

「ちょい枯れ倫敦オヤジ」のグリニッジ天文台探訪記
〜Royal Observatory GreenwichにJ.Harrisonの傑作品を見る〜



大英博物館に続き、ロンドン郊外南東10kmにあるグリニッジ天文台(以下、ROG=Royal Obervatory Greenwich)を訪問した。2004年7月の晴天であった。

(パネライGMTが里帰り?〜)
現在、パネライのGMT(PAM00088)を愛用しているが、GMTを所有するユーザーとして一度はその語源でもあるROGを訪問しなくてはなるまい、とかねてより考えていた。今回ようやくその機会に恵まれた。最近ではUTC(世界標準時)の名称も広まってきたが、グリニッジ時間GMT(Greenwich Mean Time)という表現には歴史的なノスタルジーも重なり、「にわか倫敦オヤジ」としては非常に愛着を感じている。
(⇒写真右: ROG本丸を背景にパネライGMTが里帰り!?)



(グリニッジ=ROGはロンドン郊外、小高い岡の上にある〜)

このGreenwichは大英博物館からTAXIで30分程度の距離、お代£20くらいで到着する。勿論、エコノミーに電車でもフェリーでも訪問可能だが、時間を惜しむ短期決戦ではTAXIが一番。TAXIで降りた場所は公園の前。聞けば、ROGとはその公園の中の小高い丘の上に存在しているらしい。ボケボケの「ちょい枯れオヤジ」は、てっきり平地の上にある天文台を考えていたがそんな訳あるはずがない。天文台、観測所と名がつく場所は全て小高い場所にあるのは常識なのだ。食後の運動には最適な軽いエクササイズを兼ねて公園を抜けてROGへと続く坂道を「時計オヤジ」は登ってゆく。公園はロンドン市内のハイドパーク等と同様に、短い夏を楽しむ大勢の人で一杯である。てっきり人里離れた場所をイメージしていたので、こんな公園のど真ん中にROGがあるとは、ちょっと肩透かしを食らった感じだ。














写真上、左から:
●ROGへと向かう公園内。広くのんびりした倫敦的光景だ。●ゆるい坂道を登るとそこがROG。●そして、その入り口。遂に辿り着いたグリニッジ!





ROGとは1675年に時のチャールズ2世の命を受け、航海術の基礎となる恒星位置の正確な割り出しを目的として設立された王立天文台である。それがその名前、”ROYAL”の由来でもある。1884年の国際天文学会議でグリニッジが子午線ゼロ地点として採択されて以来、グリニッジ標準時G.M.Tが世界の時間軸となった。1998年10月にその天文台としての役目を終え、現在では主に博物館として衰えぬ人気を保っている。何せ本初子午線(東経・西経ゼロ地点)が通っている場所でもあるゆえ、観光客はひっきりなしである。


丘の頂上に辿り着くと、夏休みのせいか観光客がいるわいるわ。たまたま?入場無料らしく、中に入ると「お決まり」の写真撮影ポイントは黒山である。筆者も何とか一枚、撮影する(←左写真)。右半身が東経、左半身が西経に位置する写真が「お決まりポーズ」である。ピサの斜塔を背景に人が支える仕草で写真撮影するのと同じ了見だ。この中心線がPRIME MERIDIAN、いわゆる本初子午線となる。





←左写真:無料ながらTICKETだけは発行された。夏休みのせいかな?











(マリンクロノメーターとROGの因縁〜)

現在では博物館となったROGはこれまた見応え十分。特に航海術の基礎となったJ.HARRISON製作によるマリンクロノメーターは必見。残念ながら博物館内部は写真撮影禁止であり紹介できないが、ハリソン製作によるマリンクロノメーターのレプリカ”H1”や”H4”の展示は注目に値する。その他、天文学に興味ある方もヨダレが出る展示品が各種あり。じっくりと鑑賞すると最低でも1時間位はあっという間に経過する。

どうしてマリンクロノメーターが重要であるのか?その理由は敢えて述べるまでもあるまいが、経度15度の差が1時間、すなわち360度を24時間で割った計算になる。出発地点の時間を刻むマリンクロノメーター時間と天体観測で計測する自分のいる海上時間の差を経度に変換するのである。つまり、マリンクロノメーターが正確でないと、自身の位置を決定するのに大きな誤差を生じかねない。その為にマリンクロノメーターには超ド級な精度が要求され、17世紀当時の英国やフランス中心に多額の賞金をかけてその開発を促したのである。GPSが発達した今日では考えられない原始的な方法かも知れないが、その精度競争がのちに懐中時計や腕時計の技術にも還元されたのだ。マリンクロノメーター開発はいわば、現代のF1レースにおける先鋭マシン開発競争とでも言えようか。

近代科学の創設者である、かのアイザック・ニュートンIsaacNewton(1642-1727)の言葉に次のような文句がある(”HARRISON”より「ちょい枯れオヤジ」訳): 「海上における経度決定に関するいくつかの試みがあり、理論的には正しかったが、証明は困難であった。理由は時計、である。船体の揺れ、気温差により、、、(中略)、、、かかる時計はまだ造られていないのだ。」(1714年)

さて、ヘビーなる見学を終えて、ROGの売店を訪問。期待したような時計GOODSは少なかったが、ここで購入したHARRISONに関する本(英文)が面白い。マリンクロノメーターに関する当時の苦労や大航海時代の背景が良く理解できる。「物欲オヤジ」としては珍しくアカデミックな土産を手に出来て満面の笑みである。



(倫敦はローマ同様に厚みある歴史の堆積地である〜)


来た道を同様に引き返す。帰りは鉄道(Docklands Light Railways/ Cutty Sark駅⇒Holborn駅@£2.20)を利用したが、途中、駅傍のPEERで、かのカティーサーク号Cutty Sark(左写真)を見学する。日本ではウイスキーの名前の方が有名であるが、1869年から1938年まで活躍した高速帆船として主に中国・インドからお茶等を運搬した。1957年(=FranckMuller生誕の前年)からこの地で博物館となっている。眺めるだけでも美しい帆船である。青空が似合う美人な船だこと。

こうして駆け足で終えた倫敦の滞在だが、なかなか貴重で感動の体験をさせてもらった。大都市、倫敦はさすがに歴史と文化のコンプリケーションである。目的ごとに何度来ても興味が尽きない、街中が世界遺産とでもいうべき倫敦だ。時計の世界は本当に奥が深い。時計が担ってきた社会的な役割をも再認識させられつつ、次なる訪問地、ミュンヘンを目指すのだ。


(参考文献)
「腕時計・雑学ノート」(ダイヤモンド社)
「HARRISON」 (NATIONAL MARITIME MUSEUM)



(追記)

2007年5月21日英国時間午前5時過ぎ、あの帆船カティーサーク号CUTTY SARKが焼けてしまった。。。

昨年11月より本体の修復工事が始まったばかりで、不幸中の幸いなのは本体の半分とメインマストは別の場所に保管中であったことだ。それでも2500万ポンド(約60億円)をかけた一大レストア・プロジェクトはまさに暗礁に乗り上げてしまった。

英国は今や監視社会。特にロンドンでは市内のいたる場所に監視カメラが設置されており、その数は計り知れない。今回の出火原因も不審火の疑いがあり、現在、あらゆる情報を精査中とのこと。
(⇒右写真: ロンドンの地元新聞による一面報道〜)


これから短い初夏の素晴らしい季節を前にして、グリニッジ天文台を再度、散策しようと考えていた矢先の事件だけに残念至極。これで大英博物館の時計コーナーの修復閉鎖と合わせて、『ガックリ事件2連発』に深い溜息をつく『時計オヤジ』である。。。(2007/5/26)





(関連リンク)
2004年7月の大英博物館・旧時計コーナー訪問記はこちら
2004年7月のグリニッジ天文台訪問記はこちら
2008年の大英博物館・時計展示室休館の巻きはこちら
2008年のロンドン・ギルドホール時計師博物館訪問記はこちら
2012年4月の大英博物館・時計展示室(リノベーション後)再訪は
こちら

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