紀行シリーズ R

『2012年9月、ショバック城”SHOBAK CASTLE”訪問記』



ペトラ再訪を終えて、最終日はペトラから陸路、ヨルダン国際空港への引き返す。
途中、M運転手の薦めでShobak城を訪問することにした。
中世十字軍の時代に出来たこの城は、まさに欧州と北アラブを結ぶ要所。
そして十字軍による侵略とイスラム住人によるその抵抗の歴史の象徴でもあるのだ・・・。

※尚、ショバックのスペルはShoubak、Sawbakともあるが、ここでは現地看板の表記に従ってShobakで統一する。

(2012/10/14 454100)




(ペトラ郊外にあるショバック城は人影もまばら 〜)


アンマンから190キロ南、ペトラから車で30分程走ると忽然と岩山の上に崩れかけた城が現れる。ここは2004年のペトラ訪問時には完全にノーマークであったので、新鮮な訪問である。やはり、気が利く運転手に当たるとこういうチャンスにも巡り会える訳である。

ショバック城とは1115年、イスラエル王国のバルドウィン1世が建設した。当時、ダマスカスからエジプトへ向かうルートの要衝として重要な役割を果たす。当時の十字軍の残虐さ、横暴無尽な蛮行は、平和な田舎の地に住んでいた住民に戦慄の恐怖を与えたらしい。それに立ち上がったのが英雄サラディンSaladinことアイユーブ朝のサラフディンSalafuddin Al-Ayyoubiである。サラディンは何度かこのショバック城に攻撃を仕掛け、1189年に落城することに成功した。現代においては、キリスト教を倒したイスラム教の英雄という側面からもサラディンは地元でも広く称えられているそうだ・・・(以上、今回のM運転手の談話引用)。

メルセデスで坂道を一挙に登るとそこがショバック城の入り口だ。
右写真のようなそっけない立看板が見える。入場料は無料。







(←左写真)

ショバック城の入り口には、何とサービス精神旺盛にもこうした兵士が待ち構えている。鎖で出来たような戦闘服は実は柔らかい素材であった・・・。おお、中東にしては中々凝った出迎えをしてくれるものである。感心、感心。
この門の前には小さな土産店があり、ここの店主からも色々とお話を聞かせて頂いた。土地の人々との交流は何と言っても、こうした旅の醍醐味である。











(大部分が崩れ去っているものの、ところどころに当時を偲ばせる遺跡群が・・・)


丸でオーストラリアのエアーズロックのような丸い隆起した丘のような頂上にショバック城は鎮座する。
周囲は荒涼とした岩場、土漠のようであるが、この地方ではオリーブ、ブドウ、イチジク等の農作物も収穫できる比較的肥えた土地であるようだ。しかし、この城から見渡す限りどこにも緑の畑は見えない。しかし、見晴らしの良さが意味するところはまさに砦としての機能、即ち、敵を素早く発見する点からは絶好の場所にある城であるが、現代においては、まさに過去の栄光の地、今では歴史から取り残されたような場所柄である・・・。



↓下写真: こうしたアーチ状の建造物も散見される。
        人影はまばら、他に観光客は10人にも満たない欧州系の旅行者のみであった。
























 
 こうした城壁もシッカリと残っている。まるで人気がない静寂に包まれた『観光地』というのも中々少なかろう。
    アンマン近郊にも幾つかの世界遺産建造物が残っているが、どこも同じように人気が無かった。



























(偶然にもヨルダン国内を自転車旅行する3名に遭遇する 〜)


さて、見学を終えて車に乗り込もうと駐車場に戻ると、丁度、日本人の若者3名と遭遇した。何と、アンマンから自転車でここまで来たという。今日の目的地ペトラへ行く道中、このショバック城の見学に来たという。
流石に若さの成せる業、ここまで自転車で来るとはあっぱれ。
自転車のタイヤも極太で如何にも頑丈そう。
話を聞けば、まだヨルダン国内で一度もパンクしていないそう。日本国内の方がパンクが多いらしいが、その理由は不明だ。
こうした若者がいることは噂には聞いていたが、まさか実際に自転車旅行者に出会うとは、それも日本人、というところが驚いた。

この先もどうぞ無事の旅行を続けることを祈って、こちらは一路、空港へと通称、Desert Highwayをひた走りするのだ。

ヨルダン国内は治安も比較的に安定し、対日国民感情も悪くは無い。旅行する場所としては隠れた穴場でもある。
今回も紹介したように、中東、特に北アラブには古代ローマ遺跡や有名な遺跡も数多い。中東と聞いただけで危険と思い込むのは早計であり、どこでも油断は禁物であるが、他では絶対に味わえない貴重な経験も待っている。今回の、死海〜ペトラへ再訪を通じて、中東の楽しさ、快適さを再認識したのだが、また何時の日にかに機会があれば是非とも訪問したいと思わせる場所であるのだ。 (2012/10/14 454100)



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(2012年9月、死海・ペトラ訪問編)
1) 『死海再訪記』はコチラ
2) 『PETRA再訪記』はコチラ
3) 『ショバック城訪問記』はコチラ



(2004年のヨルダン・レバノン訪問記はこちら)
1) ヨルダン編)マダバ・死海編はこちら
2) ヨルダン編)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら
3) ヨルダン編)ジェラシュ〜アズラック編はこちら
4) レバノン編)ベイルート・バールバック編はこちら



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