旅行記 H

「ちょい枯れオヤジ」の中東3大『世界遺産』巡り
ヨルダン&レバノン、タクシードライブ紀行 PART-3
〜ヨルダン編(アンマン近郊、ジェラシュ、アズラック)〜



(荘厳なローマ遺跡、ジェラシュJerashを探訪する〜)


首都アンマンから北へ約50キロの位置にジェラシュのローマ遺跡はある。
車で40分程度走ると、中東でありながら周囲の風景は土漠の茶色から木々による「緑色」へと変化する。中東で緑に囲まれるというのは、筆者の経験からは非常に奇異にさえ感じてしまう。このジェラシュは世界遺産に登録されてはいないものの、ペトラに次いでヨルダンでは最大級の遺跡・観光名所と言って過言は無い。

(写真右⇒ ジェラシュ内部の『列柱通り』は文字通り、壮観、だ。)

地中海沿岸には、イタリアを始めとした周辺欧州各国や対岸のアフリカ諸国、そしてこの中東に至るまで約2000年前に建造されたローマ帝国時代の遺跡が数多く残っている。このジェラシュもご多分に漏れず、そうした時代に繁栄したローマ帝国の植民地として栄華を築いた訳だ。現代のアラブ世界の中でローマ遺跡を見る、というのは多少ピンとこない点はあるが、世界の歴史は異なる文化と文明が幾層にも積み上げられたものゆえ、そうした断面を垣間見るのは新鮮な驚きがあって、それも一興であるのだ。

8世紀に起きた大地震の為に、ジェラシュの多くの建物や遺跡は破壊・倒壊されてしまった。その後、この地もペトラ同様に長きに渡り世界の歴史から忘れ去られたようだ。再発掘が始まったのは20世紀初頭であり、知る人ぞ知る穴場のローマ遺跡として評判は高い。ローマのフォロ・ロマーノよりももっと大規模で、保存状態も良いのが特徴だ。

(←写真左: 北劇場North Theaterは階段状の客席も素晴らしい保存状態。勿論、数々の復元・レストア作業もあるだろうが、舞台と言い、客席といい当時の見事な建築技術も実感出来る。但し、客席はかなりの勾配がある為、高所恐怖症のオヤジは恐々の見学であるのだ。) 




(まずは小振りな凱旋門をくぐりジェラシュ遺跡の内部へ〜)

さて、入り口の土産物売り場と並んでいるチケット売り場で入場料を払う。冬期ということもあり、入場料は半額の@JD2.50(約400円)。左手に戦車競技場を見ながら、南門へと向かう。観光客もまばらだが、日本人らしき女性旅行者はチラホラいる。アジア系の旅行者も目に付く。今や世界中で、日本人のみならず中国系の観光客も多い時代となった。まさに10年一昔。チャイニーズパワーの浸透は中東でも例外ではない。
(写真右⇒ アラブ式楽団?のサービスで、子供も大人も踊りだす・・・)

ジェラシュは広大だが、ゆっくり歩いても2時間あればのんびりと観光できるだろう。冬期であれば見学者もさほど多くは無いので、場所によっては遺跡の中で自分のみがポツンとたたずむ経験も出来る。ローマやアテネでは有り得ないが、遺跡を独り占めで見学可能なところも中東の利点ではあるまいか。


←左写真:フォーラムForum。
凱旋門をくぐり、左手に戦車競技場を見ながら南門をくぐると、このフォーラムに着く。まるでバチカンのサン・ピエトロ広場を彷彿とさせる楕円形の広場は列中回廊が広場を包み込むようにある。足元は大きめの石畳が敷き詰められ、中心部から四方へ広がるようなデザインが古さを感じさせない。デザイン力の高さをも感じさせる。ローマ帝国の底力の一端はここにもあるのだ。



冒頭で述べた通り、ジェラシュ遺跡は世界遺産にこそ登録されてはいないが、その規模と迫力には心底、圧倒される。まさに必見。まさに中東が誇る秘境であるのだ。夏場は強烈な日差しが、冬場は目も開けられない強風・砂塵が吹き荒れる地ではあるが、それもまた中東らしくて一興であるのだ。



(世界遺産のアムラ城Qasr Amraを見学する〜)

さて、今度はアンマンの東の砂漠地帯、イラク国境の方向へと進路を変える。
アンマン東部には、ジェラシュのローマ遺跡よりも新しい時代に作られた別の遺跡がある。いわば、『お城の遺跡群』が点在している。その内の一つが世界遺産に指定されている、このアムラ城である(写真右⇒)。

砂漠の中にあるこのアムラ城は、知識が無いと、とてもではないが世界遺産とは想像もつかないくらいこじんまりとした小さな城?である。

どこからともなく現れた現地のアンマン人が鍵でアマル城のドアを開け、内部へと導いてくれる。そして話し慣れた?英語で内部を説明してくれたのは有難い。8世紀に建造されたこのアマル城は、城というよりも砂漠の中の休憩場、という感じだ。内部には、浴場やサウナやらといった旅の疲れを癒す施設・設備が整っていたようだ。



(←左写真)
アマル城内部の天井にはフレスコ画が見事に残っている。
天体図やら、星座らしき図柄から始まり、様々な『絵画』で埋め尽くされている。その色の保存具合も素晴らしい。全体的に色合いは暗いが、フィレンツェにあるサンタマリア教会の『最後の晩餐』を連想させる雰囲気がある。厳かである。
このフレスコ画を見て、初めて世界遺産の意義が理解できた気がした。アマル城はその外観からだけでは、何もわからない不思議な遺跡・遺産である。






(アラブ式のお茶をご馳走になる『時計オヤジ』〜)

ひとしきり見学した跡で、先ほどのガイドからテントの中でお茶をご馳走になる。お茶といっても、いわゆるシャイ。アラブ式の煮込み式ティーである。甘い。砂漠の中とは言え、周囲にはとても蝿が多い。まるでボウフラが湧いているようなバケツから出してくるティーカップで、果たして貴方はこのお茶を飲めますか?
傍にはシーシャ=水タバコもある。砂漠でシャイを片手に、シーシャを楽しむ。これがアラブ式の正調くつろぎ時間であるのだ。





(アズラック城、ハラナ城を連続制覇する〜)

アンマンから約100キロ走ると、砂漠の中にアズラックAzraqの町がある。イラクとサウジアラビアの国境も近いので、イラクナンバーの車や人も散見される。いわば文化、人の流れの交差点がこのアズラックであるのだ。


アズラック城Qasr Azraq(←写真左)は、紀元3世紀頃のローマ時代に建てられた要塞である。石とレンガのみで積み上げられたアズラック城は、かのアラビアのロレンスが20世紀初頭(1917年)に住んでいたことでも有名である。
歴代の宗主による数々の修復、改修を経て、住居、監獄、倉庫、監視塔等と様々な役割を担ってきた。今もその面影を十分に残している。

観光バスも数台乗り付けてくる名所、でもあるのだ。
このアズラック城の近くに酒屋があったので、これ幸いとばかりにビールを買い込むオヤジである。





(中東における『お酒事情』〜)

世界どこでも酒は自由に買えると思っている人も多いが、中東は例外である。特にアラビア半島では、酒屋は存在しない。存在しても、許可証が無い買えないので、まず一般旅行者には買う事が出来ない。ホテルで飲むか、自分で許容量のみを持参するかしか手段が無い。もっとも、禁酒国のサウジやクウェート、そしてカタールには酒の持ち込みは厳禁である。

右写真2枚⇒: これはアズラックの酒屋であるが、旅行者も自由に買えることは非常に嬉しい。

レバノンもスーパーで売っているが、アラビア半島の諸国と、ヨルダン・シリア・レバノンの北アラブではこうした酒の自由度、も可也異なるのである。エジプトでもお酒は許可制であり、通常のスーパー等ではノンアルコール飲料しか売っていないのだ。アラブ世界、イスラム世界には厳格な戒律と異教徒が守るべきルールとマナーがあることを知るべきである。







(謎の要塞?ハラナ城〜)

アズラックからアンマンへの帰路途中で、砂漠の中に忽然と現れる要塞のような巨大な城?がある。ハラナ城Qasr Kharanahである(←写真左)。

建造年代、その目的等、定かではない。非常に不思議な、神秘的な要塞であるとひとまず言っておこう。内部に入ると階段で、屋上まで登ることができる。そこからの景色はいかにも中東。視界の360度が砂漠と土漠の光景である。非常にそっけない、淡白な眺めではあるが、不思議と心休まる。『中東オヤジ』には砂塵でさえ、心地よさを感じてしまうのだ。

        *     *     *     *     *


ヨルダンは南部の死海、ペトラ、そして北部のジェラシュ、東部のアズラック一帯にある古城街道など、期待もしていなかっただけにその感動と手応えは何倍にも感じられた。この地域に本当の平和が訪れれば、もっともっとその楽しさも増えるはずであるのだが。

さて、丸6日間の感動のヨルダン・タクシー旅行を終え、空路レバノンのベイルートへと向かうのだ・・・。



(2004年11月、ヨルダン〜レバノンタクシー紀行のページ)
1)マダバ・死海編はこちら
2)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら
3)ジェラシュ〜アズラック編はこちら
4)ベイルート・バールバック編はこちら



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