![]() 『死海再訪』を終えて、次なる聖地は『ペトラ再訪』である。 前回訪問は11月、それでも暑かった。 今回は9月下旬、中東のヨルダンはまだまだ夏場。 灼熱の暑さと乾燥と喉の渇きが最大の大敵であることは分かっている。 準備万全の積りで臨んだ世界遺産ペトラは、どんな姿で出迎えてくれるのか・・・。 (2012/10/07 453100) |
(死海からペトラまで車で3時間ドライブを満喫する 〜) ![]() Kempinsikiで『死海入浴』を楽しんだ後、件のM運転手の出迎えでメルセデスに飛び込む。死海から約3時間、途中で山越えを満喫してから今回のもう一つの目的地であるペトラを目指す。 世界遺産ペトラは現代の『新・世界七不思議』、にも入っている。 因みにその現代の7不思議とは: ・中国の万里の長城 ・インドの廟堂タージ・マハル ・イタリア・ローマの古代競技場コロッセオ ・ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ ・ブラジル・リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像 ・ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ ・メキシコのマヤ遺跡チチェン・イッツァ う〜ん、これを見ると7不思議の意味、選択の判断基準は何だろうかと素朴な疑問が湧く。例えば、ブラジルのキリスト像は20世紀に建造されたものであり、どうやらブラジルの『組織票』を総動員しての『入選』となったらしいが、ローマのコロッセオにしても『不思議』というレベルとはチト異なる気がする・・・。 (↓下写真) 閑話休題。チャーターしたメルセデスは快調。但し、肝心のエアコンが故障中という致命的な欠陥はあるものの、窓を開けてのドライブも久しぶりで乙なもの(・・・とでも前向きに考えないとやってられない)。昔の車は昔の時計と同様、ゆとりの空間、肩肘張らない素朴な空間を楽しめるのが嬉しい。道具としての本来の車の良さが、このメルセデスにも表現されているようで、M運転手との会話を楽しみながらペトラへの入り口、Wadi Musaに差し掛かる。昼前である。 ペトラはWadi Musaという町中にある。この辺も周囲は土漠や砂地・岩場が続く荒野に囲まれているのみ。 ![]() ![]() ↓下写真: Wadi Musaの町中に入ると、右手に3つの丸ドーム屋根の建物が見える。 これは近郊にあるモーゼの泉、すなわちモーゼが杖で岩を打つと、そこから水が湧き出したとされるアイン・ムーサの泉から流れてきた水が溜まる場所といわれている。地元の人々はこの水をペットボトルにつめて飲用水に使っている天然のミネラルウォーターであるのだ。 ![]() ![]() (そしてペトラに到着。ココから先は徒歩で入場口まで歩く 〜) ![]() ペトラ遺跡を見るために入場料を支払う。大人JD50、約6千円であるから中東の地としては破格に高い値段である。恐らくこれは外国人用の価格であって、自国民の料金は遥かに安いのではあるまいか。古代遺跡は重要な観光資源であり、こうした財源を基にして、警備やトイレ等の施設も完備されている訳であり、つまり、訪問客に対して十分還元されていると考えればJD50の料金も妥当かも知れない。 ⇒右写真: 入り口にはペトラの石標がデカデカと鎮座。 この左の道をココから100m程歩いてゆくと、土産店の前を通り過ぎてペトラの正面ゲートに到着する。外貨両替商も極めて妥当なレートで換金してくれるので、現地通貨が無い人でも安心。 因みに今回の対ドルレートは空港で、JD0.70/US$、このペトラではJD0.69/US$であった。 ↓下写真: お決まりのインディ・ジョーンズの土産店。 ↓下写真: 今回の足元はナイキ・エリート。砂埃対策も万全! ![]() ![]() (ペトラ再挑戦の為の準備と作戦は万端 〜) ![]() 今回のペトラ挑戦ワードローブとしての鍵は3つ: @ ROLEX Explorer 1 A ナイキ・エリートのスニーカー B そしてサングラスとツバが広い帽子、である。 前回時計はOMEGAのスピードマスター。 クロノボタンや竜頭の隙間から細かい埃が入らないよう細心の注意を払い続けたが、これが極めて面倒で厄介。今回は凹凸やケースに隙間がないEX1の選択で、そうした心配からは開放されたのである。やはり、EX1の小型で頑強な作りは、こうしたペトラのような冒険旅行にはもってこい。ミニマムな構造こそ、劣悪な自然環境化では威力を発揮するのである。まさに『名作』であることを感じさせるEX1、であるのだ。 ナイキ・エリートはクッション性の高さと、ペトラの砂塵にも汚れ難い構造と配色がポイント。前回は、無謀にも黒革のポストマンシューズで挑んだが、砂塵と埃で真っ白になってしまい、その後のメインテナンスに多大なる時間を割くハメに陥った。その点、このナイキであれば、そうした汚れにも強くて歩行にも快適。少々の小石や岩場など物ともしないオールマイティさが選択の理由。 そして、サングラスとインディ・ジョーンズを意識した帽子はEddie Bauer製。コットン100%製のデザインが何よりもこの種の僻地探検用には威力を発揮する。ゴルフキャップやベースボールキャップでは『気分ではない』、のである。 ![]() (⇒右写真) ペトラの入り口で直ぐに馬車をチャーターする。 勿論、徒歩で行く人々が大半であるのだが、この先1.5kmも続くシ−クSIKに辿り着くまで、数百メートルの道を歩くだけでも9月の炎天下では体力を消耗する。勝手知ったるペトラの導入部分では、今回は迷わず往復馬車を選択。往復でJD20かかるが、8年前と同じ費用というのが、嬉しい驚き・・・。 写真のように馬に乗って移動することも可能だ。 (岩岩の割れ目を駆け抜けると、そこにはエルハズネが待ち受けている 〜) SIKに入ると、そこは他では見られぬ光景が続く。どうしてこのような自然の遊歩道?が出来たのか、まさに世界の7不思議である。古代ナバタイ人が作った水道水の通路が両脇に延々と続くのは圧巻。このSIKだけは歩いて体感することをオススメするが、こちらは前回済ませているので、馬車で疾走あるのみ。ところどころ巨大な岩場道もあったりで、馬車は激しく揺れる。こちらの尻も馬車の椅子からジャンプするほど暴れまくる・・・。尻が痛いというか、馬車の楽しみとでも言うべきか、結構、『ワイルドだぜぇ〜』を体感できるのが愉快。 ![]() ![]() (⇒右写真) そしてSIKの最後にはお決まりのエルハズネが待っている。 HDRで画像処理してあるが、突然と現れる宝物殿エルハズネの美しさには息をも呑む感動が待っている・・・。 ↓今回乗った馬車がこちら。大人2人乗れば『満席』状態。 ↓エルハズネの前で感動のポーズ。 ![]() ![]() ![]() (⇒右写真) ペトラのあちらこちらにこうした観光警察が監視している。 過去、このヨルダンやエジプト・ルクソールでの無差別テロ乱射事件も記憶に新しいので、こうした武装警官が眼を光らせていることは心強い。 (炎天下のペトラは喉の渇きと乾燥と疲労との戦いである 〜) トルコ・カッパドキアの奇岩も有名であるが、ペトラのそれも規模と広大なる広さで引けをとらない。 下写真には前回にはなかった公衆トイレまで新設されており、こうした施設は嬉しい限り。これも高額なる入場料がFeed-backされた恩恵であろう。ペトラの光景にマッチしたこのトイレは実に清潔で良くできている。 ![]() ![]() ![]() (←左写真) 岩場にはこうした『建造物』が立ち並ぶ。 前回は一つ一つ登って観た記憶があるが、今回は遊歩道からのパノラマを満喫することにする。 観光客は欧米系、アラブ系、地元ヨルダン人などで賑わうが、各自の体力に合わせた『散策』や、ロバや馬やラクダ、馬車を利用する見学もこれまた一興であろう。 ![]() ![]() (ペトラ散策後は、今回の宿であるAMRA International Hotelで地酒を味わう 〜) ペトラの城下町であるWadi Musaはヨルダンの田舎町である。住民は圧倒的に敬虔なモスリムが中心。よって、普通のホテルには酒は置いていない。今回の宿であるホテルにおいても同様で、ビールやワインはない。町中に酒屋もない。幸いにも死海から持参した地元ビール(と言ってもAMSTELであるが)でひとまず乾杯である。食事にワインやビールが無いのは何とも耐え切れないので、夕食は酒類を提供する5星ホテルまでタクシーを飛ばすハメに。夕食はMarriott Hotelで、イタリアンを満喫した。 ![]() ![]() (↓)こればヨルダン産ワインのSaint GEORGE。味は、まあまあ、こんなものか、という程度。 本当は有名なペトラ・ビールを試したかったのであるが、残念ながらマリオットでも在庫ゼロ。 それでも、好みのビールとワインで楽しんだペトラ夕食は、今日一日の『私的・冒険旅行』を反芻して想い出しつつ、夕暮れが美しいペトラでの一日を終えたのである。(2012/10/07記 453100) ![]() ![]() ※この後は、番外編、『ショワイバ城訪問記』、へと続く・・・ ⇒ 旅行、その他のページに戻る (2004年のヨルダン・レバノン訪問記はこちら) 1) ヨルダン編)マダバ・死海編はこちら。 2) ヨルダン編)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら。 3) ヨルダン編)ジェラシュ〜アズラック編はこちら。 4) レバノン編)ベイルート・バールバック編はこちら。 |
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