旅行記 I

「ちょい枯れオヤジ」の中東3大『世界遺産』巡り
ヨルダン&レバノン、タクシードライブ紀行 PART-4(最終回)
〜レバノン編(バールベック見学)〜



(ヨルダンから空路、レバノンの首都レバノン入りする〜)


レバノンでの目的は、ズバリ、世界遺産のバールベックBaalbeck見学と、J.M.Westonの靴を買い求めることだ。J.M.Westonは既報のレポートを参照願うこととして、早速、バールベックの遺跡から。

バールベックはベイルート市内から北東へ約80キロの位置にある。シリアへ向かう一山超えたベッカー高原のほぼ中央にあり、ここでもヨルダン同様に連日、タクシーをチャーターすることとした。一日の御代は約90ドル程度。バールベックまで片道約1時間半である。15年前にはシリアから逆のルートで通った道であるが、可也の開発・発展具合に今更ながら感心するのだ。

バールベックとはローマ時代の遺跡であり、紀元60年位に建造されたもの。豊穣の神バールにその名を由来し、酒の神バッカス、天地創造の神ジュピター、愛と美の神ヴィーナスに捧げられた3つの神殿で構成される壮大な遺跡である。

(⇒右写真)
見事な状態で威厳を誇るバッカスの神殿。
アテネのアクロポリスを連想させるが、保存状態は素晴らしい。実は、この神殿はもともと列柱も崩れ去っていたものを積み上げて復元したもの。天井には色の残る彫刻等も見える。そのスケールと合わせて圧倒される。まさにバールベックにおける花形的遺跡である。柱の高さは約20m。流石、世界遺産!と唸らせてくれる素晴らしさ。暫し、時間を忘れて見とれること30分のオヤジである、、、。天気も良く、素晴らしいの一言。





(←左写真) ジュピター神殿跡に残る6本列柱。

これもバッカスの神殿とともにバールベックで象徴的な遺跡である。
この列柱の周辺には崩れ落ちた天井部分のレリーフやら、列柱そのものやらがゴロゴロと置かれている。ローマ遺跡を見るたびに、もしこれらの当時の姿を見れたら、と想像するだけでも身震いする感動を覚えるのだ。

1時間もあればバールベック全体を散策できよう。
お薦めは、近くにある1階の博物館だ。ここでも各種展示品やら彫刻・レリーフの類が解説、図解入りで楽しめる。トイレもこの博物館すぐ横にあるので折角ここまで来たら立ち寄らぬ手は無い。








(⇒右写真) 『鳩の岩』Pigeon Rock
さて、トンボ帰りでベイルート市内に引き返す。
ベイルートの海岸通りにある有名な『鳩の岩』PigeonRockである。どうして鳩であるのか定かでないが、誰でも知っている『観光名所』。この周辺にはレストランも多く、シーシャ(=水パイプ)をやりながら、アラビア式コーヒーをのんびり楽しむのも、これまた一興であるのだ。
一昔前は『中東のパリ』とも呼ばれたベイルートは、観光地としてのみならず、中東と地中海の交易の中心地として、はたまた各種情報、トレンドの発信地としても賑わいを見せていたのだ。







しかし良い時代は長くは続かない。
1975年に端を発してその後15年間、ベイルートは長く辛い内戦の時代を迎える。
イスラム教対キリスト教、アラブ対イスラエルといった複雑な対立が内戦に拍車をかけ、この間、ベイルート市内は砲弾・銃撃の嵐で壊滅状態となる。
1992年に訪問した時は、まるで丸の内一帯がゴーストタウンとなったような中心部であったが、今や復興や再開発も進み、ほぼ当時の惨状は一掃されるつある。
(←左写真)
砲弾の跡も痛々しいマリオットホテルは、今に至るまで様々なしがらみと思惑が絡み、当時のままで残っている。









(⇒右写真) ダイル・エル・カマルDier el Kamarの中央広場
ベイルート市内から南へ約40km走る。シューフ山地の緩い登り道を走ると小さな町にに到着する。ダイル・エル・カマルである。山の中腹にある軽井沢のような閑静な町、とでもいうべきか。16〜18世紀当時に建造された宮殿、噴水、モスク、教会などが点在している。
写真の要塞のような建物は立ち入り出来ない。その隣には小さな蝋人形館、兼喫茶店のようなパティオ中庭がある。一休みには丁度良い。












(←左写真) カスル・ムーサQasr Musa
ダイル・エル・カマルから5分も走ると道端に小さなお城が現れる。カスル・ムーサである。昔の宮殿を博物館に改造したもので、中に入ると人形仕掛けの当時の生活風景やら、数々の武器の展示もあり、意外と楽しめる。個人経営の博物館であり、持ち主らしきオヤジがずっとついて説明してくれるのは鬱陶しい。
挙句の果てに、パイプ演奏やらアラブの唄まで歌い始める始末だ。

まぁ、異国の気分を味わうのには良いかもしれないけどね。
















(⇒右写真) この旅の終着地、ベイト・エディーンBeit Eddineに到着する。
ベイルートから約50kmにあるベイト・エディーンは、19世紀初頭から約50年ほどかけて建設された宮殿である。1943年にレバノンが独立して以来は、大統領の夏の宮殿となっている。その為、このベイト・エデイーンのあちらこちらに警察官、警備官の姿が目に付く。アラブ伝統建築の集大成とも言われているが、宮殿内の庭園や、石の柱が続く回廊、モザイク壁画やら雰囲気はタップリである。

今回の旅の終点を飾るにふさわしい、落ち着いた、静かで、人影もまばらなベイト・エディーンは不思議と郷愁と安らぎを与えてくれる場所だ。これで短い今回の旅も終わるかと思うと、何故か余計に感慨深いものがある。



         *     *     *     *     *



さて、こうしてTAXIを駆使して走り回ったヨルダンとレバノンの旅も無事に終えた。
久しぶりにシリアの友人やら、ベイルートの仲間とも再開し、楽しい夜を過ごした。現代の平和なベイルートをしみじみと満喫できた。

未だに紛争や争いが絶えない中東地域であるが、こうした素晴らしい観光地や伝統的な風土・文化も存在している。いつの日にか、この地域にも何の心配も不安もなく訪問できる日が来ることを心より願うばかり。
この世の中、何よりも平和が一番大切である。

本当に、平和の重みを実感する土地柄であり、結果として日本の平和をも実感できるのが中東の旅である。
『中東和平』を死語にしないように、日本人として何が出来るだろうか。ちょっと真面目にそんなことまで考えさせてくれる今回の旅であった。エキゾチックで、意外な発見も多い中東の旅は手応え十分であるのだ。

=THE END=


(2004年11月、ヨルダン〜レバノンタクシー紀行のページ)
1)マダバ・死海編はこちら
2)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら
3)ジェラシュ〜アズラック編はこちら
4)ベイルート・バールバック編はこちら


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