旅行記 G

「ちょい枯れオヤジ」の中東3大『世界遺産』巡り
ヨルダン&レバノン、タクシードライブ紀行
〜ヨルダン編 PART-2(ペトラ〜アンマン市内)〜



(世界遺産のペトラ訪問〜)

ヨルダンで最初に登録された世界遺産であるペトラPetraを目指す。

時間節約の為に遠回りだが、一端ネボ山経由で来た道を引き返し、一番円滑なデザート・ハイウェイDesertHighwayを選ぶ。アンマンからアカバまで続くこの道路はヨルダン最大の主要幹線道路でもある。死海から一路、南下すること約3時間。ようやく、ペトラ観光の拠点の町ワディ・ムーサWadi Musaに到着。

(⇒右写真のはるか中央、岩山の辺りが今日の主役、ペトラである。)





(もの凄く広大なペトラの遺跡群〜)

ペトラ遺跡すぐ傍のモーベンピックMövenpickホテルにまずはチェックインを済ませ、早速、観光に出かける。
ペトラ遺跡は広大だ。とにかく歩く、歩く。覚悟はしていたが、少なくも半日は歩き詰めとなる。砂埃もすごい。足場も未舗装路で、大小の石や岩がゴロゴロしている。ハイヒールだけはお薦めではありません。

(←初日の『偵察』も兼ねて、馬車でスタートした「ちょい枯れ中東オヤジ」。シークSiqまでの500m程はこのような道が。しかし、この馬車の乗り心地は最悪!!!因みエル・ハズネまでの馬車代金は往復約3キロでJD20(=20JDヨルダン・ディナールは約3千円也)。



(秘境の古代都市、ペトラに感動する〜)
ペトラとは約2000年以上も前から栄えた、ナバタイ人の秘密の都市であった。岩山をくり抜いて造った建造物の数々と、その規模においてとにかく圧倒される。写真で見てはいたものの、やはり実物の与えてくれる臨場感と感動は現場が一番である。そしてその広さには、ただただ呆然唖然とするのみ。世界にはとんでもない場所がまだまだ存在するのだ。


(←左写真2枚)
シークSiqと呼ばれる細い岩場の間の道が1.5キロ程続く。
神秘的な風景を楽しみながらひたすら歩くのも良し、馬車で往復するのも良し。(お薦めは徒歩でのんびり観光することだ)


シークの高さは30〜50mはあろうか。その岩山の隙間道の歩道兼馬車道は、かつて見たことが無い光景である。
ところどころ、シークの壁に扉や、人形等の彫刻もある。シーク脇には水路まで作られており、昔の農業用水や灌漑に使われていたことが判る(写真左側に見える)。そして、シークの終着点、岩場の割れ目から何やら巨大な神殿が見えてきた(写真右側)。エル・ハズネEl Khaznehである。



(← エル・ハズネEl Khaznehは壮大な霊廟〜)
映画『インディ・ジョーンズ、最後の聖戦』のロケ地でも使われたペトラで最大の見所でもあるのがエル・ハズネだ。長いシークを歩いて、突然目の前に現れた瞬間は感激する。高さ43m、幅30mほどで紀元前1〜2世紀!に造られた。ローマ神殿のような面持ちである。
エル・ハズネから更に一時間ほど奥に行くと、更にエド・ディルEdDier(修道院跡)に到着する。健脚な方、時間もエネルギーもある方には是非、お薦めである。
ペトラの楽しさとは沢山歩いて、沢山疲れて、自分の身体に疲れと感動を刻み込むことである。カイロのギザ・ピラミッドも素晴らしい感動を与えてくれるが、ペトラはまるでサファリパークのように広大。自分で好きなコース、遺跡をじっくり見学するのがよろしい。








(『路傍の石』でも何でも売りつける子供 〜 写真右⇒)
色々な物売りも観察すると面白い。
右写真は地面に落ちている、模様の付いた石を拾って観光客に売りつける子供。裸足である。石をよ〜く見ると、買ってもいいかなぁ、と思わせる綺麗な石も確かにある。しかし、歩きながら自分で探すと、結構あるのだ(当たり前だが)。
こういう子供に弱い大人、もいるのだろうが、子供は子供でしっかりと駆け引きも心得ている。毎日やっていれば自然とそうなるのであろうが、この子の行く先はどうなることやら。赤ん坊をあやすでスタート⇒石拾いで稼ぐ⇒ロバ乗りで稼ぐ⇒飲み物を売る⇒馬乗りで稼ぐ⇒ラクダ乗りで稼ぐ⇒馬車で稼ぐ、と言うところまでが20歳までの「人生ゲーム」であろうか?






(←ローマ円形劇場のデカさに圧倒される!!!)
エル・ハズネから10分も歩くと、やがて巨大なローマ円形劇場が現れる。
階段状の客席もまだまだ使えそうだ。2〜3世紀に出来たらしいが、その大きさと、保存状態の良さにも感動する。
写真にあるようなラクダに乗って観光も出来る。但し、値段交渉は最初にきっちりと行うことだ。














(⇒ペトラで買った唯一のお土産!?交渉の秘訣公開?〜)
時計の世界にも『エロチック・オートマタ』の世界があるが、こちらは正真正銘のタダのエロ土産?(⇒写真右)。粘土、焼き物風のランプ皿である。聞けば、ローマ時代のモノらしい。オイルの黒ずんだ跡がその証拠、と売り手の怪しい『ヨルダン・オヤジ』はノタマウが、待てよ、そんな昔のオイルの跡が現在まで残っているのはおかしいぞ。それが証拠に、後で博物館で見た本物のランプ皿には、どれもオイル跡などは無かった。
右側の写真はローマ時代の「エロ・コイン」。コピー品として密かに売られているニセモノ。こちらは却下。



筆者はこの「エロ・ランプ皿」をニセモノと考えているが、それでも良いのだ。このデザインが『ちょい枯れオヤジ』の物欲をくすぐった。結局、粘りに粘って、最初の価格の1/6で購入する。値切る交渉の秘訣は、こちらの強い意志を見せる事。つまり『安くないと買わないぞ』という態度で臨むことだ。当然、交渉は度々決裂もする。しかし、そうでもしないとボラレル。もう一つ、いくつかの店を当たり『相場』を知ること。この二つで、自分なりのターゲット価格を決めて交渉を『楽しむ』ことが旅の楽しみにもつながるのだ。
(←左写真: こんな感じの土産店が散在している〜)







(ペトラ観光を終えて、一路アンマンへ引き返す〜)
南部の死海と、足掛け2日間にわたるペトラ観光を終えて一端、首都のアンマンに引き返す。
次はこのアンマンを基点にして、イラク方面の東部、そして北部のジェラシュ・ローマ遺跡を目指す。

その前に、アンマン市内で最大のショッピングセンター、メッカ・モールMECCA MALL(⇒写真右)を訪問する。3年前に出来たばかりの、アンマンのファッション発信基地でもあり、地元若者や家族連れの溜まり場、ともなっている。

「メッカ」とは勿論、サウジアラビア・ジェッダ近郊にある聖地の名称である。「何々のメッカ」という表現で、日本語にも定着しているメッカであるが、実際のメッカはイスラム教徒以外には立入禁止の聖地であることを知る人は少ない。つまり通常、メッカとメディナの2大聖地は外国人(=異教徒)の立入が固く禁じられているのだ。

さて、3年ぶりのヨルダン訪問であるが、この間の変貌振りには驚く。何故か高級ホテル建設ラッシュであり、はたまた地元の特に若い世代の女性はイスラム式の黒装束を脱ぎ去り、欧米と変わらぬファッションを楽しんでいる。「中東オヤジ」ならずしても、余りの西洋文化の少々、浸透に当惑してしまう。今後のヨルダンは益々レバノン化してしまうのではあるまいか。ちょっと心配な点でもあるのだ。





(アンマン市内はアップダウンが激しい町並み〜)
市内の東はずれに小高い山ジャバル・アル・カラーJabalAl-Qalaaがある。この山頂にアンマン城がある。国立考古学博物館も隣接しており、一見の価値はあろう。
(←左写真: アンマン城そばのローマ遺跡群)

小高い山頂であるがゆえに、強風の日には砂塵が強烈である。
頭から耳の中まで砂だらけになりかねない。カメラやコンタクトレンズ使用の方は『防塵防砂』対策にくれぐれもご注意を。





(山頂から眺めたローマ劇場〜)
⇒右写真。市内のど真ん中に位置するローマ劇場が見える。
2世紀半ばのローマ時代に建設された、ヨルダン国内最大級のものだ。収容人員は約6千人。見学無料。周辺はダウンタウンゆえ、イラン人やらパレスチナ人やらがたむろしており、あまり気持ちの良い場所ではない。入口周辺には土産店もあるが、大したことは無い店店である。ガイド志願の現地人もウロウロしており、長居は無用。金品、身辺には相応の注意を払い、早々に観光を終え退散する。




               *     *     *     *     *

さて、これからアンマン東部の古城巡りへと、そして北部の大規模ローマ遺跡であるジェラシュ観光へと向かうことになる。タクシー観光は快調に進む。タクシー運ちゃんとも会話ははずみ、そこそこの快適な旅行を継続する。
中東旅行もエキゾチックで本当に楽しいのである。




(2004年11月、ヨルダン〜レバノンタクシー紀行のページ)
1)マダバ・死海編はこちら
2)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら
3)ジェラシュ〜アズラック編はこちら
4)ベイルート・バールバック編はこちら



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