旅行記 F

「ちょい枯れオヤジ」の中東3大『世界遺産』巡り
2004年11月、ヨルダン&レバノン、タクシードライブ紀行
〜ヨルダン編 PART-1(マダバ〜死海)〜


















(上写真・左より: 
世界遺産に登録されているレバノンの『バールベックBaalbeck』(登録1984年)、
ヨルダンの『ペトラPetra』(同1985年)、
アンマン近郊の『アムラ城Qasr Amra』(同1985年)




(ローマ帝国時代の遺跡の穴場、中東3大観光地に出発〜)

中東における世界遺産に登録の3大遺跡と言えば、筆者は躊躇無く、シリアの
パルミラ遺跡、ヨルダンのペトラ遺跡、そしてレバノンのバールベック遺跡を挙げる。
2004年7月現在の登録済み世界遺産の数は、シリア=4箇所、ヨルダン=3箇所、レバノン=5箇所である。因みに、日本における世界遺産は、上記3カ国合計と同じ12箇所である。

2004年11月中旬のラマダン(=断食月)明け休暇を利用して、運良く遺跡を巡る機会に恵まれた。しかし、残念ながらシリアのみVISAが必要である。結局、時間的余裕が無く、パルミラ遺跡観光はGIVE-UP。代わりに、ヨルダンでもう一つの世界遺産に登録されているアマル城を訪れることとし、取り敢えず「中東3大世界遺産巡り」の旅に出ることとした。


(今回の旅行ではハプニングの連続〜)

尚、今回の腕時計は、オメガ・スピードマスター(⇒右写真)。
同じく持参したSWATCHの200m防水アクアクロノ”プールサイドpoolside”は途中で故障、リタイア。仕方なくオメガのスピマスを使うが、中東の屋外では塵・砂埃が強烈であり、こうした機械式時計はお薦めではない。今回もアンマンでは強烈な砂塵、砂嵐で時計と顔面を守るのが精一杯であった。
ダイバータイプでも回転リングに微細な砂や埃が入り込み、故障することも多い。出来れば、オキラクで安価な防水クォーツ製時計が一番。それでも機械式でないと我慢が出来ない時計オタクは、ホテル内や室内でのみ機械式時計に着替えることだ。





(今回は連日タクシーをチャーターした旅行で、安全第一を心掛ける〜)

ヨルダンの隣国は、紛争中のイラク、シリア、レバノン、イスラエル、そしてパレスチナ自治区とサウジアラビアである。それら各国ともに、種々国際問題を抱えた国々であり、緊張もそれなりに高い。しかし、中東のルールと安全対策に十分注意すれば、意外と観光旅行も楽しめる「穴場」でもあるのだ。



「ちょい枯れ中東通オヤジ」は今回、タクシーをチャーターし、運転手ともどもヨルダンとレバノン国内を旅行することにした。通常、中東における移動の足は車と飛行機しかない。鉄道はまず存在しないか、あっても実質的に日本人には使えない中東である。因みに、タクシー料金は運転手代込みで一日約80〜100ドルが目安。車種によって料金は異なるが、概ね@100ドルが相場と思えば間違いない。10日間でも約10万円。自由に時間&ルート設定が出来る上に、安全と快適さの為の保険料と思えばまあまあであろう。運転手は勿論、英語を何とか話す。しっかりしたタクシー会社と運転手を選ぶことが重要だ。

(←左写真: ヨルダン首都アンマン市内にて。イラクから来た車には屋根にまで荷物が一杯。これが長距離便の通常の光景である。)


(意外と楽しいヨルダンの遺跡巡り〜)

ヨルダンには観光ポイントが数多い。ざっと挙げるだけでも、
世界一海抜が低い「死海」〜映画インディ・ジョーンズでも使われた「ペトラ遺跡」〜モーゼ終焉の地である「ネボ山」〜イエス・キリストが洗礼を受けたと言われるヨルダン川〜アラビアのロレンスも滞在し、3世紀ローマ時代に建てられたアズラック城〜世界遺産のアムラ城〜大規模なジェラシュのローマ遺跡〜アンマン市内のローマ劇場、など等、まだまだ沢山ある。各地の観光地では日本から来たパックツアーの皆さんとも遭遇する。改めて中高年パワーを思い知るのだ。そう言うこちらも既に中高年の一員?であるけどね。
(右写真⇒ アンマン市内のGrand Hyatt から見える豪華なホテル”Le ROYAL”)

追記)2005年11月9日夜にアンマンのGrand Hyattが同時自爆テロで一部爆破された。丁度一年前に宿泊したばかりの馴染みのホテル故に大変なショックである。無差別テロは本当に卑劣極まりない。悔しい、悲しい限り。(2005/11/13。) 





それでは、写真ともに観光地を訪問してみよう。























(↑マダバの聖ジョージ教会〜上写真2枚)

アンマンの南30km、死海へ行く途中にマダバMadabaを訪問する。ギリシア正教の教会である聖ジョージ教会St.George's Church内の床には6世紀のパレスチナのモザイク地図がある。このモザイク地図には200万ピースものモザイクが利用されたと推定されている。






(⇒摩訶不思議なアイン・ムーサAyn Musa〜)

マダバからネボ山へ向かう途中、荒涼とした砂漠・土漠が続く。
車道を右に逸れて、山道、岩道を下ること5分の場所にモーゼが杖で岩を叩いたら水が湧き出したと言われるアイン・ムーサがある(⇒右写真)。
なるほど、この場所だけは緑が生い茂り、小川がせせらいでいる。
現在のアイン・ムーサは天然の泉か、はたまたパイプで汲み上げているのか定かではない。










(モーゼ終焉の地、ネボ山Jabal Nebo〜)
旧約聖書に登場するモーゼは、率いてきた人民に対してネボ山からパレスチナに向かうよう促したらしい。そして、そのモーゼの終焉の地がネボ山であった。尚、ジャバールJabalとはアラビア語で「山」を意味する。
←写真左:
ネボ山頂上にあるフランシスコ修道会の教会。中には4世紀に建てられた教会の一部と、綺麗に残っているモザイクが見学できる。







(ヨルダン川〜写真右⇒)

イエス・キリストが先例を受けたと言われるヨルダン川を見学。
途中から専用の送迎バスに乗り換えて、それからまた川まで10分程歩くと、対岸は既にイスラエル領。写真の対岸にはイスラエル国旗がたなびき、緊張する。
クリスチャンの人には、やはり聖地であるのだ。皆、川に足をつけたりして感慨?に耽っている。














(塩分27%の「死海」で驚きの浮遊体験を満喫する〜)

死海沿いのモーベンピックMövenpickホテルに泊まる。ここのプライベート・ビーチにて死海浮遊体験を行う。約15年ぶりの死海再訪であるが、死海の中に入るのは初めてだ。

通常の海水の塩分濃度は約7〜8%。その約4倍もの濃度では生物は到底、住めない。ヨルダン川から流れ込んだ魚なども、死海に入ったとたんに皆、死んでしまう。海水の感触は、ぬるぬる、ヌメヌメ。海水をよ〜く見ると、高濃度の塩分がゆらゆら揺れているのが分かるほどだ・・・。












(←左写真)突如、脚出しシンクロナイズド・スイミング?を試みる「ちょい枯れオヤジ」。見苦しい???


昔、英語の教科書などで、新聞を読みながら浮いている人の写真を見た記憶があるが、まさにその通り。浮力が付きすぎて沈まないのだ。もっとも、この塩分では目にも入ろうものなら、大変な激痛でエライことになるので要注意だ。潜る行為はご法度である。
死海の中(上?)で、あおむけ、うつぶせになることも自由自在。世界一低い海抜マイナス400mの威力と塩分27%は、筆舌尽くしがたい経験をもたらしてくれる。因みに、ボーリングの玉では14号(=14ポンド)までは浮き、15号からは死海と言えども沈んでしまう。尚、一般の海では12号から沈むのである。ご存知???




地場の赤ワイン
”Mount NEBO”(⇒右写真)を飲りながら、死海の対岸、イスラエルに沈み行く夕陽を見るのは至極、至福の時間であった。




(2004年11月、ヨルダン〜レバノンタクシー紀行のページ)
1)マダバ・死海編はこちら
2)ペトラ訪問〜アンマン市内編はこちら
3)ジェラシュ〜アズラック編はこちら
4)ベイルート・バールバック編はこちら



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