2011年BASELで発表された初代グランドセイコー復刻モデル。 そして、直後に発生した東日本大震災禍にもめげずに生産続行を断行したSEIKOの意地と実力。 私にとってこの『130周年モデル』とは、セイコー時計史に立ち会う生き証人として、 新旧各時代で最高を目指した『日本の粋』に対して、 自らの評価を与える喜びと、 新旧両モデルを所有する喜びに浸ることに他ならない。 この時計を手中に収める意義は極めて大きい・・・。 (2012/4/13 425800) ※今回は、2011年10〜12月にWebクロノス誌上で掲載したシリーズブログをベースに、 遅れ馳せながら加筆修正を加えてHP掲載する。 ★ 無断転載・無断複写は厳禁 ★ |
(実物見ずして時計は買えるか〜) 古典モノについては、オークションとかの写真だけで決断する訳であるが、現行モノ、市販の時計を手にせず決断する、という行為には非常に抵抗がある。いくら新作時計紹介のグラビア雑誌を穴が開くほど眺めようとも、時計だけは実際に手にして質感を確かめないと危険、というのが『持論』。 過去、この持論を破って入手した時計は5本。結果、どれもがヤケドした事実からその後は控えていたのに。 今回、再度、その掟を破ることに。。。 * * * (⇒右写真) Grand Seiko 130周年記念限定SSモデル(以下、130周年)。 SSは国内1,000本と玉が多いので、ようやくここにきて市場でもお目にかかれるみたい。それでも銀座和光では、2011年10月時点においては、注文後デリバリー待ち。一方で、都内量販店では在庫があぶれだすというチグハグ現象が生じていた。 多分、こんなシンプル時計は、普通の若者には興味を持たれないだろうし、面白みも少ない『オヤジ時計』だろう。もっと派手でブランド力のある王冠時計やクロノやデカ厚に走る方が極めて自然。この時計は決して入門時計でもないし、見せびらかす時計でも、はたまたアガリ時計にも成り得ない。ごくごく真面目で平凡な中3針の実用時計。 しかしそこに魅せられてしまう所が、魔物が棲む時計の世界・・・。 現物が見れない日本非居住者の『時計オヤジ』としては、手段として日本からの『海外調達』に賭けるしかない。つまり、私にとっては日本=海外、になるのだけれど、実物を手にして確認出来る環境にないだけに、ここはエイヤアの世界にならざるを得ず。決め手は、初代モデル復刻デザインに最新鋭の機械を詰め込んだこと。羊の皮を被った狼、とはまさにこの時計のこと。現行のうっとうしい”SEIKO、GS、Grand Seiko”の3段重ねロゴがないのも大いに好ましい。 中でも最大の注目点はMEMS製法による中空ガンギ車とアンクル(後述)。 このマイクロ加工技術の粋と中空デザインには惚れ惚れする。しかし、このモデルはシースルーでないので、全く機械が見えないのである。想像だけで満足するほど、コチラは人間として出来ていない。重度のシースルー病に侵される『時計オヤジ』としては、このままでは到底、我慢できない。ならば、自ら手を加えるしかあるまい・・・。 但し、ドイツやスイス時計のような仕上げの巧妙さ、狡猾さ、エロさと比較すると、この130周年をシースルーにしても美麗なグラスバック、とまでは到達しないことは百も承知。自動巻きからローターはずしただけの中途半端な3/4プレートと仕上がり具合も予想が難しい。シースルーにした時の厚みも感触も気掛かり・・・。 という訳で、まずは掟破りで実物見ずに発注する。全てが海外からの遠隔操作、というのも非常にリスキーながら、自分自身の中での様々な葛藤を楽しみつつ、日本からの到着を待つことになる。 (多分、本邦初公開。手術前の我がGS写真が日本から届く〜) 『手術前』の写真が届いたので公開する。まだ一度も自分の手にしていない『我が子』だけに、一抹の不安も。 生写真を見る限りでは表裏、ともに美しい・・・。この美しさは少々意外である。 多分、ケーシング状態の機械生写真は恐らく本邦初公開だろう。光の反射のせいかプレート上のストライプ模様が独特に見える。こんなにも美しい機械を裏蓋で覆って隠してしまうなんて、『時計オヤジ』には耐え難い『仕打ち』でしかない。 これから 『主治医』 と手術細部について詰めるところ。因みに筆者のS/No.は500番台となった。 (『130周年の青焼き針』について 〜) 今回の130周年にはSS、YG、PTの3種類のケースがある。しかし、中でも一番の魅力はSSケースだろう。 これは半分、貴金属ケースへの負け惜しみであるが、もう半分は青焼き針の魅力にある(これ本音・・・)。 130周年の青焼き針は大変に美しい。そして、この美しい青焼き針搭載ケースがSSだけ、というのも事実。 どうしてYG/PTにも乗せなかったのか不可解だが、SSオーナーにとってはまさに福音である。 青焼き針の何が良いのか、簡単に述べる(↓下写真2枚は初号機との比較): 一目見て明らかなのは、初号機のプレス打ち抜き秒針に対して、肉眼でも容易に識別出来る程の、見るからに立体的な造形美を誇る青焼き針の美しさ。まるで、厚めに盛り付けた塗料と見間違うほどの見事な発色加減。これはブレゲにも引けをとらない仕上がりだろう。 10ビートモデルにも同様の青焼き針が使われているので、もしかしたら共有部品であるかも知れないが、仮にそうであっても問題は何も無い。文字盤とのマッチング加減、分INDEXまで十分に届いた仕上げの上質な曲げ加減といい、非の打ち所が無い(・・・とまで言えばオーバーだが)。 そして、2つ目の見所は、逆サイドにスラリと伸びた秒針のバランスの良さ。こういう処理はブレゲやランゲの古典的な機種にも多く見ることが出来るのだが、現代のSEIKOでは、現行GS全般でみられる特徴だ。 このデザインは間違いなく見識、である。少なくとも130周年全体の秒針デザインは大きな『救い』となって、GS自身を底上げしている。 それ以外にも、130周年の極太短針、そしてBar Indexの仕上げの良さは傑出している。 こんな仕上げの良い時計を手中にしないで、どんな時計を待つべきと言うのか。。。 この130周年を手にすると、あの伝説のPATEK96でさえもが、一瞬、ひるむ姿が想像できて、130周年オーナーとしては一泡吹かせた脳内快感に浸ることが出来るのである。。。 (2針とINDEXの出来栄えについての考察〜) 1.今や自分もファンとなってしまった、SEIKO独自の5面カット針: 何を隠そう、筆者は以前、このGS針が嫌いであった。 理由は、古典的な山折れ針(ドフィーヌ、ドーフィン)が大好物であった為だ。それに比べると、この5面カットが極めて不自然で異端に思えて仕方ない日々が長年続いた。GS初号機の初期針は山折れドフィーヌ針であったので尚更・・・。 しかし、今では完全に形勢逆転。特に、この130周年が出てからというもの、止めを刺されたのである。 この針は実に宜しい。何が良いのかを簡単に述べる。 @ 造形美。 5面カット方式の極太針はスイス製では例を見ない(または稀少)。 これは、GSのトレードマークと言ってよかろう。 圧倒的な存在感を文字盤上で誇る。 と、同時に角度(傾斜)が浅く、面積のあるサイドの4面が非常に美しい。 この上に、あの青焼き針が重なるのであるから、針フェチならずとも身震いして当然。 A 特に130周年の短針の根元にかけての極太加減には歓喜する。初号機から明らかに正常進化した磨きと極太加減は賞賛。 B 周囲の4面カットは光の反射を確実に捕らえて、視認性抜群。 C 130周年ではこうした基本デザインに微妙ながらも抜本的な見直しをかけている。 特に上記@〜Bには、初号機では見られない設計変更と完成度を見る。 やはり、この極太針と青焼き針のコンビネーションだけを考えても、今回の130周年は『買い』であると断言する。 2.INDEXにおける正常進化: 冒頭写真の初号機と130周年のINDEXを良くご覧頂きたい。初号機では、12時位置INDEXが太く、その他は同じようなINDEXが並ぶ。(※実際には、3,6,9時位置INDEXも極微妙に異なるみたい・・・) 一方、130周年では、12・3・6・9時位置のINDEXが太く、それ以外はやや細い揃え方、つまり、十字部分を太く、その間を細くするというINDEX本来の判読性を強調し、かつ結果として文字盤上におけるバランス(均衡)をも実に上手く生み出しているのだ。正常進化と視認性向上を、一石二鳥でここまで成功させた例は少ない、と言っても良かろう。 そして注目のINDEX。 初号機は何と言っても、50年が経過しているので、発売直後の状況は正確には把握できない。 (⇒右写真) しかし、現状を見る限りではINDEXの四隅が一部、文字盤から浮いている(隙間がある)のが分かるだろう。経年劣化によるものであるのか、その原因は特定出来ないが、130周年と比較すればその差は歴然。 勿論、130周年ではこのようなことは無い。 INDEXのカッティングも初号機とは比較にならぬ精度と仕上げである。50年の時を隔てた両者を比較するのは酷過ぎる。 しかし、初号機を大甘に、贔屓目に見ても、やはり130周年のINDEXは文字盤への密着度といい、全ての作りが数段上だ。GS現行のように、INDEXの角度も少なく(鋭角に)しており、過度な光の反射を抑える効果もある。この極太針とINDEXの仕上げレベルの高さを見ても、130周年SSはSEIKOが久々?に放った傑作品と言えるだろう。そんなモデルを手に出来る喜びは、何物にも代え難い満足感を与えてくれる・・・。 130周年を手中にして後悔する人は、恐らく稀有だろう。 一方で、もう間もなく入手難となることは確実である。 その時になって地団駄踏んでも遅いのである。 (130周年ロゴについての雑感〜) 手元に届いた『130周年』なので、まずは舐めるように『鑑賞』している。 裏スケ化については追々言及することにして、まずは手始めに、このGrand Seikoロゴについての感想を。 因みに、私は現行のSEIKO、GS、Grand Seikoの3つのロゴは好きではない。一言で言えば、うっとうしい。クドイ。 しかし、一方でこれが大好きというファンもいる訳であり、この論争は最終的に好き嫌いの世界に入り込んでしまい無意味。 ここで言いたいのは初号機のような”Grand Seiko”を高らかに謳った精神が一番好きである、ということ。もしこの復刻に現行ロゴ3点セットを持ち込んだら、完全に興醒めだろう・・・。それが理由である。 * * * クロノス主筆の広田氏が、130周年の開発段階で新GSロゴの太過ぎる点を設計陣に指摘したのは周知のこと。 その上で、よく見るとまだ『時計オヤジ』的には何かしっくりと来ない。 (↓)新旧のロゴを仔細に観察すると・・・ 左写真が初号機。右写真が復刻130周年。 最大の違いは、書体のシャープネスさ、書体自体の丁寧さで初号機に軍配が上がる。 初号機のエンボスは本当に美しい・・・ @エンボス陰影でぼやけたロゴ: まず復刻ではエンボス加工により陰影効果を狙ったのだろうが、結果的に陰影のせいで、ロゴがややぼやけてしまった。ロゴが大きく見えるのはこのせいである。逆効果である、と言うか、エンボス効果を生かし切れていない。何故か? もし陰影効果を最大限に発揮させる為には、次項で述べるロゴ自体のデザインをよりシャープにするする必要があるだろう。 A中途半端なローマ字デザイン: 復刻のロゴは中途半端だ。 特にa、n、i、k、の書体は初号機と比較すると直線が甘く、カドが丸く、点も欠けたりしてクッキリ感に欠ける。どうしてこうなっちゃったんでしょうか?あまりに、クリアではない復刻ロゴには、正直未完成なプロトのようで不満・・・。逆にもし上記が改善されれば、エンボス効果は十分に発揮出来るはず。一方、もしこのデザインがSEIKOの狙い通りであるとすれば、私は全く賛同出来ない。 ※復刻所有する方は上記確認してみて頂きたい。個体差による相違があるかも知れないからだ。 (『130周年のメダリオンとウラ蓋の考察』 〜) 掲題、初号機と復刻版を比較考察を続ける。 (⇒右写真)私の初号機メダリオンはそれなりに経年劣化しているものの、原形を忠実に保っている。 我が家の『家宝』なので当然と言えば当然・・・。 対する130周年復刻モデルは、流石に出来たてホヤホヤだけあって、刻印模様も仕上げも全てが立体的な造形美を誇り素晴らしい出来栄え。チョイと、おどろおどろしい”GRAND SEIKO”の字体なんて、初号機復刻らしくて中々よろしい。 獅子のレリーフ仕上げも文句無い。 メダリオンの出来栄えは復刻モデルの方が好みである。 特に獅子の周りのザラザラ加減なんぞは非常に良く出来ている。 さて、問題はそのメダリオンのさらに周辺であるが、私は初号機の『刻印何も無し』の方が好み。 しかし残念なことに、メダリオンの周囲の余りにゴテゴテした刻印だらけの復刻は『蛇足感』が充満して窒息しそうだ。 こういう刻印は『裏蓋の裏側』に処理すれば良いではないか。Serial No.なんてラグの間にROLEXみたいに隠して欲しい。 裏蓋には勇壮果敢な獅子のメダリオンだけで十分。 細々としたデータ刻印をやりたいだろうけどそれを我慢する判断、『敢えて表現しない表現力』、というものも尊重して欲しいところ・・・。 (↑上写真) その裏蓋の裏側には見事なペルラージュが一杯。 ペルラージュの大きさもメゾンによって、パーツによって大小色々あるのだが、この大きさはベストであり、美しさが映えるし、技術力も良く分かってしまう。諸刃の剣であるペルラージュだが、流石にSEIKOは乗り越えている。 円心にカブル形で並ぶペルラージュ・スタンピングは王道仕上げ。 センターには、おぉ、しつこいぞ、またもや”SEIKO TIME CORP”だ。 ”JAPAN CASE-A”って、何だろう??? 一体、ここまで本当に必要なんだろうか、このロゴは? (総括) 130周年のメダリオンは素晴らしい復刻度合いで美しい出来栄え。 所有する喜びが十分感じられる。 しかし、その周辺のSerialやら記念碑刻印やらのデータ表示は過剰で蛇足。何も無し、が一番美しいのに、残念。 とは言え、シースルーバック加工に踏み切った私にとっては、最早、この裏蓋は本当の意味で『記念のメダル』でしかないのであるが・・・。 |
(130周年モデルのハイライト、『改造シースルーバック』について〜) 今まで度々告白して来た通り、私は重度の『裏スケ病』に侵されている。この治療は容易ではない・・・。 過去、様々な処方を受けて来たが、特効薬は『シースルバック』そのものを投与すること。逆にClosed(裏蓋)では、この病が悪化しかねない。悪化するとどうなるか。最終的には、裏蓋をこじあけて、神聖なる機械にあらぬ手を加えて、結局自分でぶっ壊してしまう・・・、という最悪の事態が想定される。 今回、Cal.9S64を写真で観てから、この病気が発作となって襲ってきた。 復刻モデルにおいて獅子のメダリオンが如何に重要な位置を占めるか、そんなこたぁあ、百も承知の助だよ、オマエさん。それでもGeorge(常時)!観たいのだ、この機械を・・・。SEIKOがそれを許さないのであれば、自力で強引に裏スケにするしかあるまい。 かの山田五郎氏は、以前、雑誌のインタビューでこう述べた: 『裏スケの氾濫しすぎ。汚いヘアヌードは見たくない!』(⇒安っぽい裏スケに対して・・・BRIO2003年7月号41頁) しかし、私は叫ぶ。 『場末でも良い。ストリップはストリップであり、せめてそれを受け入れるか否かの選択権をコチラ側に与えて欲しい』、と・・・。 * * * 嬉しいかな時代はユーザーに味方する。 今や、高度な加工技術を持った時計技師が日本にも存在するのだ。それもまだ自分の息子のような若さを誇るホープである。 今回、そんな時計師(技師)の力を借りて、躊躇無く決断したのが、復刻モデルの裏スケ化、である。 当然、事前打ち合わせは周到に行った。 しかし、最大の関門は自分自身で時計現物を見ていないという暴挙。あくまで写真と自分のカンと想像力だけを頼りに『計画』を進める。 その『計画』とは何か・・・。 1)裏蓋素材をどうするか(Tiも検討したが、最終的には316Lを選択) 2)極力、オリジナルを損なわぬ裏蓋形状をどうするか 3)厚みを最小限に押さえる工夫(ムーヴとガラスのクリアランス最小化) 4)スケルトン(ガラス)部分の面積 (これがミリ単位以下で一番悩む!) 5)ガラス上に獅子メダリオンをレーザー加工できないか 最終的に、5)については、加工素材の調達難と実績不足もあり諦めた。それ以外は略、計画通りの仕上がりと思っている。 しかし、これは満足感や達成感、自己満足とかいうものではなく、一種の安堵感に他ならない。 (←左写真) どうだろうか、このMEMS(Micro Electro Mechanical System)製法による中空ガンギ車とアンクルは。この造形美を見るために裏スケ化したと言っても過言ではない。 加えて新開発されたSEIKO独自開発によるの合金SPRON610による3日間のパワーリザーブ。最近、シングルバレルの3日巻きという機種が増えつつある。パネライでもお馴染みだが、このGSでも最新ゼンマイによる3日巻きというのは立派。 勿論、SPRON610だからといって、他のヒゲゼンマイとの違いが目視出来る訳では無い。しかし、夢、である。これは夢なのである。これを見る事は果てしなき小宇宙、ミクロコスモスへのインナートリップを楽しむ『夢』をみることに他ならない。 地板のコートも美しい、大型ルビーとの対比もSEIKO独自の緩衝機構(ショック)も大型プレート(地板)のエッジ具合など見所は超満載。これをスケルトン化しない理由が見当たらない。オリジナルの獅子メダリオンも良い。しかし、『時計オヤジ』の選択は迷うことなくシースルバックであるのだ。 * * * 『裏スケ病』から逃れることが出来た安堵感、 Closedの呪縛から解き放たれた安堵感、 そしてリスクに賭けた結果、ヘトヘトで手中に収めることが出来た安堵感・・・。 それが私が130周年を初めて手にした時の感想である。 余裕を持ってこの時計をじっくりと眺めるのは、まだまだこれから先の楽しみであるのだ・・・。 (130周年ストラップと美錠の考察〜) 今回の復刻モデルのストラップを写真で見た瞬間、その出来栄えの良さが伝わって来た。欧州製ではここまで大きな竹班は少ない。そして斑の紋様も独特・・・。製法はステッチを使わない『へり返し仕立て』によるもの。へり返しとは表革で側面まで包み込み、裏革素材を貼り付ける製法のこと。国産だと思うが、これは一体、どこの会社が作っているのか非常に興味をそそられる。芯材も適度にクッション性があるので、感触は極めて良好で高級感もある。 その復刻に倣って、初号機のストラップも今回、茶色竹班に変更した。 ステッチ無しは同じだが、こちらは『切り身仕立て』。表革と裏側をサンドウィッチで貼り合せた物。 側面から見えるコバは2層になっているのが特徴。へり返しより簡易な製法だが、それでもこの竹班で探すのは中々骨が折れる。おまけに18/14mmと一挙に4mmも絞り込まれる。純正美錠に合わせるとどうしてもこのサイズになってしまう。 結果として、両者とも似たような雰囲気で表現出来たと自負している。 * * * さて、復刻の純正ストラップも良いのだが、今回、130周年を私のコレクションとして出迎えるに際して、こちらとしては茶色と青色クロコ(本当はアリゲーター製)も揃えてしまった。特に青焼き秒針の発色の美しさは格別。 この青焼き針に合わせて、ブルーのクロコでも十分に逝けると踏んだ次第。まだベルト交換はしていないが、どの色を選ぼうかと楽しみつつ思案中。。。 * * * 一方、美錠側サイズは、両者16/14mmとそれぞれ2mmも異なるのでその大きさは下写真の通り、親子も同然。 造形の大きな違いは『つく棒』の形状にある。当然、復刻の方がワンサイズ太くて大きなつく棒となる。 美錠の刻印はメダリオンの背景と同様の凹凸ある打ち出し模様が共通仕様。 本来、オリジナルの美錠を使用するのが王道であるが、やはり使い勝手や、素晴らしいクロコ革ベルトの耐久性を考えると、 プッシュ式ダブルフォールディングが好ましい。多分、愛用ユーザーからは大反発されそうだけど、復刻については近々、16mmのダブルバックルに変更しようと画策中。そんなことしたら、メダリオン付き裏蓋といい、この純正美錠といい、全てが未使用備品として在庫することになる訳だが、自分の好きなようにカスタマイズする、それが『時計オヤジ』流、『ゼンマイオヤジ』流の楽しみ方である。 |
(総括・130周年の精神性についての雑感〜) 今回、筆者なりに130周年各論の考察を行って来たが、区切りの総括として『130周年の精神性』について述べる。 そもそも、時計の『精神性』とは何か? 時計に精神なんてあるのか? 言うまでも無く精神とは肉体と対比される言葉。ココで言う肉体とは付属部品を含めた時計本体のハード全体を指す。 その上で私の考える『精神性』とは: 『時計が本来の責(目的)を負うべき正確な時刻表示を全うして、その上で、その時計が更なる自己主張を自ら発し、時刻表示という本来の目的を超越して、より崇高な目的と世界へとユーザーを引っ張り込む内包した力を持つこと。それを受け手であるユーザーが感じとることで、時計とユーザーの間で双方向の信頼関係が生まれること』、を意味する。 ●では、金属部品から成る時計の姿をした機械と人間との間で、どのような信頼関係が育まれるのだろうか。 ●130周年の持つ、『より崇高な目的と世界』とは何であろうか。 これらを感じ取ることが出来れば、130周年の魅力が更に深まると思っている。 * * * まず、時計そのものに『高い品格と志』が無いと魅力は発揮されない。 『品格と志』を時計に吹き込むのは作り手である人間そのもの。つまり、我々ユーザーにとって、時計と言う媒体を通して作り手の哲学を感じ取るという図式が源泉として存在する。換言すれば、時計をインターフェイスとして、作り手の哲学をユーザー側が理解し、ユーザーとして更なる解釈(=崇高なる目的や世界)を付帯させる事こそが、精神性、の意味だと考える。更に言えば、ユーザー側における旺盛な情報と知識(欲)の蓄積無くして作り手の哲学を理解することは出来ない。作り手とユーザー側双方の理解力と包容力が重なった時、そこに両者の信頼関係が生まれるのではなかろうか。 130周年の精神性を理解するということは、簡単に表現すると・・・ @ 作り手の哲学を自分なりに分析・咀嚼すること、 A その上で、自分独自の解釈を与えて、その時計独自のモメンタムを作り出し、自らの時計趣味の世界でそのモメンタムを最大活用・増幅させて更に次なる世界に結びつけること、ではなかろうか。 (130周年の持つ哲学とは何か〜) 以下、作り手の気持ちを勝手に解釈してみると・・・ @ 初号機の基本哲学とは、当時の技術で世界と渡り合う為に日本最高の時計を目指したこと。 ココに原点としての崇高な志があり目的がある。Grand(=偉大なる)Seiko、 という名前からもその目指す志と目的はワンランク上にあることは明らか。 一般家電と違う最大点は機械に込められた、そうした作り手の情熱と息吹、である。 A その基本哲学をSEIKOの現代最新技術を駆使して再度表現し直し、 今回世に問うことでGS生誕50周年モデルとしての品格・純潔性に磨きをかけること。 B 基本GSデザインを踏襲しつつも、設計・生産・仕上げの全工程において、 メゾンとして持てる最高のノウハウを投入すること。 C 現代の新ユーザー層を含む新たなる顧客に対する訴求力強化に全身全霊を捧げ、 更にはアフター体制充実による長年の愛用に応える事、ではあるまいか。 (その上で、ユーザーとして出来ることは何か〜) 130周年の持つ背景や哲学を少しでも理解しようと努めること。興味を示すことから始まる。 自らのライフスタイルと照らし合わせて、130周年の位置付けと意義を自分なりに考えることである。マスコミ情報は大切だが翻弄されてはならぬ。自ら何も考えることなしに時計を使うことは、真の時計愛好家とは言えない。愛好家を名乗るからには、130周年であれどんな時計であれ、自身にとってのその時計の意義やら価値を自問自答すること、そうした反芻無しには『信頼関係』は構築できない。。。 * * * パーツやらデザインやら、細かい点について御託を並べればキリがない。 しかし、最終的にはそうした全てを飲み込んで、その時計の素性と現在形を理解した上で好きになれればハッピーである。 その上で、これからその時計との時間を濃密に築き上げること、それこそが130周年の精神性を理解する為の必須の儀式であり、そこにこの時計を所有する喜びが存在する、のではあるまいか。時計とは、ユーザーの愛情や数々の思い出が重なって初めて、その存在意義や満足感が深まるものなのである。 GS130周年モデルのユーザー諸兄、 SEIKO(GS)の歴史の生き証人として、今、この時計を手中に収めた幸せを噛み締めつつ、 この時計との蜜月関係を今後とも益々深めようではありませんか・・・。 (2012/4/13 425800) (了) 参考文献: クロノス第37号『グランドセイコー』特集 (SEIKO関連WEBはこちら↓) ⇒ SEIKO アークチュラARCTURA 初代モデル(Cal.5M42 ダイバー)はこちら。 ⇒ SEIKO スプリングドライブSPRING DRIVE 初代モデル(Cal.7R68)はこちら。 ⇒ SEIKO セイコーファイブ(海外モデル)(Cal.7S26)はこちら。 ⇒ 『SEIKO KINETIC 3兄弟』はこちら。 ⇒ 『SEIKO Direct Drive Cal.5D44』はこちら。 ⇒ 『現代の名工・塩原氏がスプリングドライブを語る』はこちら。 ⇒ 『Grand Seiko 130周年記念限定モデルSBGW033とGS初号機との比較の考察』はこちら。 ⇒ (腕時計MENUに戻る) |
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