SEIKO  セイコー

SEIKO BUSINESS TIMING "WORLD-TIMER" CAL.5T52-7A20




GMT、即ち世界時間を判読する為には独立した小文字盤を有する時計が一番分かり易い。
GMT針で考える時間よりも瞬時に判読出来る利点がある。
フランクミュラーのマスターバンカーはその意味からも理に適っている。
そして、このSEIKOビジネスタイミングは更にその上を行く
クォーツ製の時計ならではのハイ&コスト・パフォーマンスを見せてくれるのだ。



(SEIKO 『ビジネス・タイミング』〜)

一世を風靡したこのモデル。
1980年代後半(89年発売)の製品である。ステップモーターを4個(!)とCPUを搭載した驚異の8針式アナログ式クォーツ時計。これぞ日本のIC技術の粋。ハイテクと融合した先進時計であるが、時計愛好家からは概して評価が低いのが少々可愛そうだ。
機械式時計至上主義、特にスイス製メゾンの圧倒的プレステージ性を前に、いくらIC&クォーツ技術革新が頑張ろうとも、いくら電波時計が精度競争に終止符を打とうとも、残念であるがその評価は価格共に中々上がらないのが現実である。

このモデルはアナログ式で8針を有する。
多針式時計を決して賛美する訳ではない。
筆者の好みはむしろシンプルな『3針・デイト付き』であるが、機械式でもブランパンBLANCPAINの『レマンGMTアラーム』のように8針式時計が存在するのは更に驚異的と言える。しかし、一方で、このSEIKOは圧倒的なコストパフォーマンスとその抜群の機能性から見て、まさに現代における『超』実用時計として一つの理想形、終着点と言えるのではなかろうか。精度を追求すれば現在の電波時計+ソーラー電池式に止めを刺す。しかし約20年も前に、別な形で究極の時計がここにも完成されている。日本のメゾンの実力は、ことIC分野、クォーツ時計においては断トツである。



(多機能だが、扱いの煩雑さは無い〜)

日本国内ではビジネス・タイミングと呼ばれたCal.5Tシリーズモデルであるが、この時計はその輸出版。いわば、逆輸入の形で1991年に日本国内で入手したもの。正式名称は"SEIKO WORLD-TIMER"である。

オリジナルには茶色のクロコ調革ベルトが装着されていた。
『時計オヤジ』はすぐさま、同様のスペア革ベルトと、ケースと同色のブレスをSEIKOに発注。海外モデルであっても、こうした要求にも即座に対応するSEIKOの木目細かなサービス体制が素晴らしい。

革ベルトも良いが、7連式のやや薄目ブレスは非常にしなやかな造りであり、好感が持てる。もうかれこれ20年近く愛用しているが、メッキの剥離やSSの変形や緩みも無い。ブレスのシャラシャラ感は致し方ないところだが、装着上の不都合さではない。あくまでも感覚的なもので、確かに重要な要素ではあるが、そこは値段相応と割り切っている。

12時位置の小ダイアルは24時間式のワールドタイム表示窓だ。
2時(−)、10時(+)位置のPUSHポタンでベゼル表示にある各国都市をセンター針がポインターデイト式に選択する。すると、瞬時にその都市の時間を表示するというクォーツ式ならではの機能である。この時計の最大の売りの機能である。

6時位置の小ダイアルはアラーム機能だが、通常は任意の第二時間帯を表示する。筆者はここを常にJST表示の窓と決めている。8時位置のボタンをクリックするたびにアラーム針が1分進む。1分後には美しいチャイムのようなアラーム音が響く仕組みだ。

そして、この音色も満足できるレベルだ。当然ながら電子音であるのだが、不快でない高音域の音色である。
以前、フランクミュラーのWATCHLANDクロノスイス工房で、機械式のミニッツリピーター音色を聞かせて頂いたが、このSEIKOも中々美的なメロディを醸し出す。
クォーツ時計、侮れず、である。



(『ブランドの真髄は『継続性』にあり〜)


ビジネス・タイミングとは、的を得たネーミングである。
しかし残念なことに現在では既に生産中止。何とも勿体無いモデル名(命)をなくしたものだ。

ブランドの命とは如何に継続してブランド(モデル)を生産するかに尽きる。
頑なにモデルチェンジをしない。改良は必要最小限に留める。
ゆえにベースモデルの高度に完成されたデザイン性が勝負の分かれ目となる。逆に言えばこの辺が日本メゾンの課題と感じている。もっと言えば、そもそも日本メゾンにおいては継続的なブランド戦略というのが極めて少ないか、若しくは極めて限定的な商品に止まる。その場限り、2〜3年サイクルで目まぐるしく変化させることで消費者の購買意欲、興味を煽る。そういう戦略であれば継続性、というのは逆に百害あって一理無し、という哲学も成り立つ。特にIC技術の目まぐるしい進歩とクォーツ時計の多機能化はシンクロしている。そうしたハイテク技術進歩の一進一退と呼応して、多機能腕時計も絶えずモデルチェンジを繰り返している。

スイス製機械式時計の土俵とは根本的に異なる分野の時計であるので、同一視・比較の対象にするのは間違っている。それでも常に同じ『腕時計』としての目線で見る『時計オヤジ』には、そうした国産モデルの継続性の無さが、どうしても腑に落ちない点である。



(『旅する時計』って何だ〜)

瞬時に3ヶ国の時間が読み取れるのが大変便利な点だ。
自動巻きのマスターバンカー(⇒右写真)も3ヶ国時間表示であるが、そこはSEIKOのクォーツである。瞬時の小技は機械式時計の更に数段上を行く。
加えて、アラーム付き。このアラームが非常に使い勝手が宜しい。

約1分単位で、自在にアラームが設定できる。逆算タイマーとしても活用できるのは、クロノグラフ機能よりも実用的だ。音で時間を知らせる機能は一度使い出すと病みつきになるほど。

さて、俗に世に言う『旅する時計』がある。
代表的なモデルが、フランクミュラーのカサブランカ、そしてマスターバンカー。
モロッコの砂漠をイメージしたという流麗な造形美はまさに旅の時間に身を委ねるノスタルジーで溢れている。
イエガー・ルコルトンで言えば、レベルソ・デュオだ。マスターホームタイムでは少々、メカメカし過ぎる。
雲上時計のPATEKであれば5110や5131のワールドタイム、あたりが代表的であろう。

共通点は、複数時間帯表示、若しくは『ゆったりのんびり』がキーフレーズ。
複数時間表示では、このSEIKOは最たるモノである。しかし、この時計からは『旅』というイメージは微塵も感じられない。『旅』ではなく、やはり『ビジネス』。『タイム・イズ・マネー』の世界である。海外出張や、仕事中に身にする時計としては極めて重宝するのだが、『遊び時間』の海外旅行や余暇における使用には可也厳しい。シャープ過ぎて逆にゆとりが無いのである。それ程、研ぎ澄まされた時計がこのモデル、であるのだ。

その点、上記に挙げた機械式モデルというのは、余裕がある。
無駄がある。優しさがある。温もりがある。

そして、その全ての対極に位置するのがこのSEIKOである。モデル名のビジネスタイミングとは良く言ったもの。故に、海外出張やON-DUTYにおける緊張と極限のせめぎ合いの場における出番が自ずと多くなるのであるが、のんびりゆったり外国で時間を過ごす、そんな場面には少々そぐわない。

筆者にとっての『旅する時計』とは・・・。
それは、非日常の世界に入り込む為の小道具。結局のところ、その時々の異なる『気分で選ぶ時計』である。
ROLEXでもSEIKOでも良いのであるが、それなりの品格を有したシンプルな時計であることが条件である。
時差くらい、時計の針の角度と自分の頭を使って読み取る。それが基本だろう。
特に『旅』という私的で貴重な時間の中に於いては、ゴチャゴチャした文字盤は野暮以外の何物でもない。



(多機能式時計の使い方には要注意〜)

文字盤にはギョーシェこそないものの、立体感があり、2段式凸凹ある小ダイアルといい、夜光入りの時分針といい、世界各都市表示入りベゼル部分も手の込んだ仕上げである。20年近くを経過した現在でも色褪せることは無い。


茶色のクロコ調オリジナル革ベルトを装着すると、これまた極めてシックになる。
(⇒右写真)ブレスと革ベルトの与える印象の相違は本当に大きいのだ。

ベゼルの薄い側面に施された繊細なコインエッジも気分である。
以前、日本の地下鉄で一度だけ他人が同じ時計をしているのを見た記憶がある。クロコ調のオリジナルベルトを装着していたビジネスマンらしき男性。今にして思えば、その時の新鮮な印象がこの時計を入手する動機となったかも知れない。ミーハーな『時計オヤジ』はこうした一瞬のスタイルにも大きく影響を受けてしまうのだ。。。


職場で、顧客との交渉の席で、会議で、そして国際的な仕事場という名における戦場において、まさにピッタリとはまるのがこのSEIKO ビジネスタイミング・WORLD-TIMERである。
しかし、本音で言えば、腕時計はハイテクで固め過ぎない方が宜しい。
特にONの場においてはハイテクやコンプリに走りすぎる時計は機械式パーペチュアルカレンダー含めて下品である。

一方で、こうしたハイテク時計こそ継続性を持たせて受け継ぐべきテクノロジーでもあり、今、手にしても十分に完成の域にある見事な性能を持つ時計と感じている。海外製品でこの品質域に達している時計メゾンは無いのだから。(2009/10/25)


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