(ロシア生まれのドイツ育ち〜) ロシアン・ブランドのPOLJOT。パリョート、と発音する。ポレオットは間違いだ。 (アクセントが2番目の”O”にあるので、1番目の”O"は「ア」の発音となる) POLJOTの生い立ちは第二次大戦前の旧ソビエトの国営時計工場にまでさかのぼる。1930年にソビエト第一時計工場、として設立。その後、モスクワ第一工場へと改名し、東西ドイツ統一、ソビエト解体後の1992年に本社をそのドイツへ移転。POLJOT INTERNATIONAL社として今日に至っている。また、POLJOTの名称は1970年以降に設定され、「フライト」を意味するブランド名であるようだ。そういえば英語の”PILOT”にも似ている気がするが、ロシア語でパイロットは”PILOT”(ピロート)と発音するのだ。パリョートとはフライト(FLIGHT=飛行)を意味する。ご存知かな? 購入の経緯は、随筆B「ドイツ時計蚤の市訪問記」を参照願いたい。 日本ではまだまだ簡単にはお目にかかれないブランドではあるが、当時(=2002年9月)出張先のドイツ・デュッセルドルフ市内ホテルの蚤の市で遭遇した。デュッセルドルフ市内のモールでは意外と言うべきかPOLJOT専門店もあった。ドイツでは手頃な価格とバタ臭い?デザインで、根強いファンがいるのかも知れない。 |
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(限りなく「カサブランカ」似?〜) デザインは見ての通りF.MULLERカサブランカをかなり意識して踏襲した感じもするが、必ずしもコピーとは言い難い。独特のアラビア数字の文字盤ではあるが、1920年頃のアールヌーヴォーを反映した当時のデザインには同様の意匠が多く見られる。つまり、F.MULLERのデザインルーツも過去の歴史にヒントを得ていると言える訳だ。歴史は繰り返す、というのは時計業界においても決して珍しくも、おかしい事でも、恥ずかしいことでもないのである。それが証拠にPATEK博物館へ行けば、さらにそのルーツと思しきモデルにふんだんにお目にかかれる。 ⇒右写真は「本家」F.MULLERのマスターバンカーと比較した写真である。似て非なることがお分かり頂けよう。 金メッキケースは、ごく普通の出来ばえ。淡いサーモンピンク色の文字盤はカサブランカの”サハラ”を連想させる。アラビア数字の白色がピンク地に新鮮に映える。しかし、意外にも派手さは感じさせず、ケースの金色と非常に良くマッチしている。ベゼル部分はFMのように完全な曲面ではなく、前出 ”TISSOT 1925 PORTO”と同様に若干プレス仕上げを感じさせる直線的な面で覆われている。 (お決まりのスケルトン・バックも気分である〜) 裏蓋のスケルトン仕様からはETA2824-2とおぼしきムーヴが垣間見れる。25石。手巻き付き自動巻き。ムーヴも淡い金色、若しくはカッパー(銅)色であり、ここでもケースの金色と調和がとれている。ハック機能あり。日付表示もあるので実用面でも優れる。ケースサイズは縦45mm、横32mm、厚さ10mmであるが、程良いふくよかさであり、手首上でも非常にすっきりくる。こういうベーシックなデザインは数々の場面でも違和感無く重宝する。 同時期にデュッセルドルフ市内で購入したKAUFMANN社製ボルドー色のカーフベルトを装着し、後日Banda製ダブル式Dバックルに変更した。カーフ製のKAUFMANNのクロコ型押しベルトは、可も無く不可も無く「中の中」の出来ばえ、であろうか。Dバックルに変更した為、革ベルトの寿命は格段に延びると確信している。 今やこの手の時計、即ちBIG-NAMEを追随する商品はひっきりなしで後を絶たない。しかし、決してコピー商品ではない。価格と品質のバランスを考えると、このPOLJOTは非常に良く出来たマニア泣かせの1本、と感じている。”TISSOT POROT”と同様、気兼ねなく利用できる。ごくごく普通の万能時計として愛着が持てる1本である。「蚤の市」で偶然に遭遇した想い出も重なり、海外出張や海外旅行の際には必ず持参する1本に加えている。 3針デイト付き、スケルトン・バック。 マグナム・サイズのような迫力あるトノーケース。 サーモンピンクの文字盤といい、適度なエッジと大きさを持つボリューム感といい、日々の愛用にも十分に耐えるし、見栄えも適度にある。 筆者の嗜好のツボを全て抑えた逸品である。 999本の限定生産品。シリアルNo.刻印入り。 まず同じ時計をしている人に出会う確率は低い、レアな”パリョート”であるのだ。
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